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334 血の鎧は燃やせぬ

「偽血装――『紅蜻蛉』」


 どこからともなく流れ落ちる血液が形を成し、オウガストの全身に装甲として張り付いた。アーマーを着込んだようなその背中には、蜻蛉を想起させる薄羽が展開している。


「血を、鎧にした……!?」

「うん、まあね。ちゃんとした代物ではないけど、逆にそれがいいかもね――あなたが相手ならさ」


 まさかの戦い方に少々引いたようにするクータへ、オウガストはにへらと衒いのない笑みを浮かべた。


 彼女の言う通り『紅蜻蛉』は吸血鬼の使う血装術をそれっぽく再現しただけの真似事に過ぎない――本物の扱う本物の術と比べれば、その強度も展開速度も雲泥の差がある。


 彼女の纏う装甲は血が固まり切っておらず表面上を流れるようにぬめぬめとした新鮮な血液が滴っている。オウガストの血装術がいかに不完全なものであるかを証明するような、吸血鬼が見ればせせら笑うであろう出来の悪さと言えるだろう――けれど、こと相手が火使い(クータ)である今に限っては、この不出来具合がかえって有用となるかもしれない。


「恥ずかしながら私、見ての通りびしょびしょなんだけどさ……濡れたものを燃やすのって、やっぱり大変だよね? 特に私の血は水なんかよりよっぽど燃えにくいからね」


「関係、ないよ! なんだってクータがぜんぶ燃やし尽くしてやる!」


「わあ。それは勘弁してほしい、かな!」


「!」


 間を詰められる。血の装甲から滲み出る赤い煙と一緒になって接近してきたオウガストに、クータは即座に迎撃の蹴りを叩き込んだ。


「おっとと」


 するりと避けられる。足運びが上手い。前へ出ながらも蹴りが来ると見ればすぐ後ろへ移るその重心の扱い方は、彼女がそれだけ戦い慣れた歴戦の兵であることを示している。まだ子供ながらにオウガストは戦闘経験が豊富らしかった――しかしそれはクータとて同じこと。


「はあっ!」


 空振った回し蹴りの勢いそのままに、クータは右の足裏から炎を噴出させた。クレイドールのスラスター格闘術を参考として以前より遥かに洗練されたクータのジェット戦法はますます鋭さと苛烈さを増している。炎の勢いに振られて体を動かし、強い反動を利用することで流れるような二撃目へと繋げる。ソバットにも似た軌道で左足裏をオウガストへ思い切り突き込む。


 クータ得意の爆炎キックが炸裂する――、


「偽血装・甲展開」


 というところで、攻撃を受けるオウガストの腹部装甲が厚みを増した。見た目の堅固さに釣り合うがっしりとした手応え……否、足応えを受けて眉を顰めながらも構わず蹴り抜いて爆発させるクータ。しかし、少女の抱いた嫌な予感は的中することになった。


「っ、効いてない……?」



「あはは、いやまさか。ふつーにビリビリきてるから……でも私の予想は当たってたみたいだね。硬くて濡れてる物をあなたは攻めきれないんだ。さっきの爆発の威力が嘘みたいに()もん」



「……!」


 奥歯を噛みしめるクータと勝ち誇るように笑うオウガストは実に対照的だった。実際、彼女の言うことは正鵠を射ている。ただの鎧であればそれごと中身を破壊する程度は訳のない破壊力を誇るクータの爆炎キックだが、オウガストの血鎧を前にはその本領を発揮できないでいる。端的に言って相性が悪いのだ。しかもオウガストは部分的に血の量を増やすことで任意の箇所を重装甲で守ることもできる。そうすると表面上に流れる固まり切らない血液の量も増えるので、ますますクータの炎は威力を殺されてしまうことになる。


「本当は『血巡り』って言って、もっと自在に血の形状を変えられる技なんだけどね。体内で使うことで腕や脚の力を一時的に増加させたりすることも本物の吸血鬼ならできるんだって……まあ、そこまでやれるような吸血鬼なんて私は一匹しか知らないし、そいつだってとうの昔に私たちで滅ぼしたんだけど」


「吸血鬼を、滅ぼす……」


 その言葉を聞いてクータが思い浮かべるのは、彼女にとって辛酸の記憶――進化した吸血鬼を名乗る『ヴェリドット・ラマニアナ』に奮闘も虚しく完敗を喫したあの屈辱の思い出であった。


 高等な術を操る吸血鬼を、仲間と共だっていたとはいえ討伐したという少女オウガスト。それ即ち、彼女がそれを成せるだけの実力者であるということでもある。自分にはできなかったことをオウガストは成し遂げた――あの日の自分よりも、その時のオウガストのほうがであったのだ。


 だが、今はどうか。

 今日の自分と今日の彼女。

 いったいどちらのほうが上にいるのか。


 格付けは不動ではない。



「――『炎環』」



「!」


 クータの全身から湧き上がった火炎が渦を巻き、やがて彼女の背後で燃え盛る炎輪となった。

 ぐるぐると高速かつ高密度で流転する炎の輪――アムアシナムにて彼女が身に着けた新技『炎環』は圧倒的な威圧感をもってオウガストを睥睨している。


「な、なんですかそれは……」


 思わず後退る。血の装甲を頼りに多少の被弾くらいは気にせず攻め切ろうと画策していたオウガストだったが、思惑とは裏腹にどうしても足が前に出ない。これは特段にまずいと本能が訴えている。クータの攻撃を防げると確信したはずの血装へ、途端に信が置けなくなった――防げない。きっと次の攻撃は血の鎧ごと自身を消し飛ばすだろうと、なんの根拠もない未来予測が少女の脳内を埋め尽くす。


 なんとしてでも逃げねばならぬ。


 ああ、でも。



 彼女は既にそれを撃ち放とうとしている――。



「血ごと吹き飛べ! 超熱せ――うぎゃあぁっ!?」


 吐き出されるはずだった熱の奔流。勝負を決するクータ最高の一撃はしかし、その発射を待たずして途切れることとなった。目の前の敵一人に熱中し過ぎていたクータは気付くことができなかったのだ――自身に向けて振るわれる、第三者からの剣撃に!


「あんたが吹き飛びな――爆剣!」



◇◇◇



 ジャラザの水術によって足を掬い上げられ宙に浮いた状態でいるベル。無防備もいいところの彼へクレイドールが眼球からの怪光線を発射しようとした瞬間、ベルの全身に並んだ杭が一斉に所かまわず吐き散らされた。


「うおぉおおおおっ! 俺の確殺、乱杭乱れ撃ちぃ!!」


「――ッ」


 その遮二無二のやけくそめいた抵抗に意表を突かれたクレイドールは、咄嗟に『フェノメノンアイ』の使用を打ち切って身を投げ出した。それは投擲杭から逃れるため……ではなくその逆。むしろ彼女は自ら当たりにいったのだ。そうすることで、射撃速度のみを優先させて狙いも何もなく無作為にこちらへ撃ち出されたであろう無数の杭。その内のいくつかの射線上にいるジャラザの身を守るために。


「ク、クレイドール!」 


 ベルの投擲杭の威力はかなりのものだ。それを我が身を盾にして防いだからには、クレイドールの被害は避けられない。さしものオートマトンとして高度な防御力を持つ彼女であってもその体中に裂傷が生じた――これが生身であれば致命傷になっていたであろうことを思えば、まだしもこの程度で済んでいる頑強性をして流石と讃えてもいい場面なのかもしれない。だが仲間が傷付いたばかりか、せっかくの有利場面において自分が理由でその状況を覆されたことにジャラザは険相を作り上げた。


 睨むは無論、敵である少年ベル。彼は脚部から射出した杭によって水の綱を断ち切っていた。その顔には得意げな笑みが浮かんでいる。


「はっ、もう勝った気でいたのか? 舐めるなと言ったはずだぞ――俺がこの程度で負けるなんてありえないのさ!」


余計なこと(・・・・・)をしおって……どうせ勝負はついているのだから大人しく負けておればいいものを。お陰でクレイドールが無駄に傷を負ってしまったではないか」


「そいつはお前を庇ったんだろ? だったら俺よりもまずは弱い自分を責めたらいいぜ――って、待てよ? いまなんて言った? 『勝負はついている』……とかなんとか言わなかったか?」


「ああ、そう言ったとも。貴様はとっくに負けているのだ」


「間抜けか? こうして拘束からも抜けて攻撃まで決めた俺にそんな物言いは、強がりにしたってお粗末だ――うっ?」 


 いきなりだった。調子よく喋っていたベルがガクリと膝をつく。何故か足に力が入らない……いやそれだけじゃない。手もだ。手足全体が痺れてうまく動けない。なんだこれは? 自分の身体に何が起こっている? 戸惑うベルは蹲るような姿のままで顔を上げて、ジャラザを見た。すると彼女は「くっく」と悪辣な笑みをこちらに向けてくる。



「水流邪道……儂の操る毒術がひとつ、『不服毒』。肌に触れるだけで症状の出る急性の麻痺毒を、貴様の足を吊り上げた水流に混ぜ込んでおいたのだ。異能を扱う吸血鬼狩りと言えど所詮は生身の人間。儂の毒に抗えるはずもない――食らえばその時点で終わりだとも」



「く、そ……ひきょうだぞ、このやろう……」

「女子相手に野郎呼ばわりとはな。それも自分たちから仕掛けた勝負で卑怯だなんだとは、なんともズレた奴よ……まあよい。しばらくはそうやって這い蹲ったままで己の無力さを噛み締めているといい――」


 と勝ち台詞を決めようとしたところ。

 そこへ突然肩口から血を流すクータが飛び込んできたことで、ジャラザは大きく目を見開いた。


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