幕間 自由な狐人と囚われの猪人・上
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クトコステンの戌区には『大監獄』と呼ばれる収容施設がある。名の示す通り捕らえられた犯罪者たちが檻の中へ所せましと押し込められているそこは、都市の中でも飛び切り有名な場所でありながらも、意外なことにその外観を知る者は誰もいなかったりする。しかしそれも当然なのだ。
何故なら『大監獄』とは地面の下に造られた建物であり、言うなれば巨大な地下施設であるのだから。
建物内は深度によって1~7の数字でエリアが分けられ、罪人たちも罪の重さや本人の力量から判断されどの深度へ収容されるかが決まる。当然、深い位置になればなるほど重罪人となるので、警備のレベルも最下層と最上層ではまるで違ってくる。
檻に入れられている悪漢と見比べても外見上ではなんら変わりないような屈強な獣人の看守たちが常に複数人チームで見回りを続ける、深度6階層。しかしてそんな中に、そのような環境にはとても似つかわしくないような一人の女性が姿を現した。優雅な足取りで通路を進む彼女はどうやら、深度七――つまりは『大監獄』でも一際重要で最も危険なエリアから上がってきた様子である。
狐人。ボリュームのある六尾の尻尾をしゃなりしゃなりと揺らしながら歩を進める美しい女性が、今看守たちとすれ違った。しかし彼らは絶世の美女など目に入っていないかのようになんの反応も示さなかった……実際、彼らの視界にその女性は映り込んでいないのだ。
おそらくは何かしらの術か異能によって自身の存在を隠蔽していると思しきその狐人の名はルナリエ・ル・ルールナ。
とある『冒険者パーティのリーダー』を担う女性である。……今の彼女が名乗れる肩書きはそれだけだ。
見つかればただでは済まされない緊迫の状況下で、ルナリエは余裕の笑みを崩さない。昼下がりの時間帯にのんびりと散歩を楽しんでいるような雰囲気で、いっそ優雅とも呑気とも言えるようなふわりとした歩き方で深度5階層を目指している。発見される恐れなど微塵も抱いていない彼女からすればその態度もごく当たり前のものでしかない――だが実のところ、表面上の優雅さとは裏腹にルナリエの心中は「申し訳なさ」からくる苦渋でいっぱいだった。
それが誰に対するものかと言えば、地上で待たせっぱなしにしているパーティの仲間たちへ向けられたものである。
本当はこんなに時間をかけるつもりなどなかった。
その可能性も見越してはいたがなるべく事を急ぐ気ではいたのだ――だというのに、『大監獄』は思ったよりも広く厳重で、それでいて捕らえられている犯罪者たちの数も多かった。
完璧主義のきらいがあるルナリエはどうしても全員から一度は話を聞きたいと思い、上から順に階層を辿って文字通り全収容者たちから一通りの情報を引き出すことができた。浅い階層にいる者たちは数ばかり多くて碌な情報を持っていないことは予想できたし、また実際にその通りだったのだが、しかし「思わぬ拾い物があるかもしれない」などと考えてしまえば、ルナリエは少なくとも自分が潜入した時点で監獄内にいる者たち全員に接触しないわけにはいかなかった。
アウトローたちこそ街の実態をよく知るもの。
凶悪犯になればなるほど街を動かす側の人物や組織の内部情報についても詳しくなる――全ての犯罪者がそうであるとは限らないが、期待は持てる。
という考えからアルフォディトという国家の歪みが顕著となっている大都市クトコステン、更にその煮凝りとでも言うべき『大監獄』にて独自調査を行っていたルナリエだが……前述した通りこれがまさか数日がかりの大仕事になってしまう――してしまうとは我がことながら実に驚きであり、そちらのほうは見事に予想を外してしまったと言える。
待ちぼうけとなっている仲間たち――とりわけリーダー不在によってその代理の役割をこなしているであろう副リーダー、自身の妹であるルゥナに対しては悪いことをしてしまっているという自覚がある。
なので、すぐにも地上へ上がりたいところではある。あるのだがしかし……彼女はそこでふと足を止めた。
ひとつの檻の前で、ルナリエはじっとそちらを見つめた。
そこには彼女が潜入した時点ではいなかった大柄な男性猪人が手足を拘束されて収監されている。
どうやら自分が深度7階層に時間をかけ過ぎている間に新たに収容された獣人であるらしい。そのひとつ上のここ、深度6は最下層には劣るとはいえ上から二番目に警備の厳しいエリアだ。そこに入る犯罪者もそう多くはなく、事実帰り道としてここを通っているルナリエにとっても知らぬ顔はこの猪人ただ一人だけであった。
時間的にはつい先ほど、だろうか? 傷を癒した後のような気配と、まだ手錠や足枷が新品同然なことからルナリエは猪人がつい今しがた檻に入れられたばかりだと見抜いた。
……もう聞けるだけのことは聞き終えたはず。
浅い階層ではきっと既に何十人と新たな収容者が増えているだろう。
その全てから話を聞こうとすればキリがない。
だからルナリエはもう囚人たちに構うことなく監獄の外へ出ようとしていたのだが……深度6の新たな住人だと思うと無視してしまうのは少々勿体ない気もする。
これで本当に最後だ。やると決めたらどんな些事も見逃せない厄介な完璧主義の発露もこれで終わりとして、彼と少しだけお喋りをしたら今度こそここを出よう――。
そう決めたルナリエは、誰の目にも映らない自身の姿をそこへ現した。
と言っても誰にも彼にも見えるようになったのではなく、あくまで目の前の彼――猪人にだけ見えるようにしたのだ。彼女にはこういった細かな調節を行なえるだけの技量があった。
「…………?」
急に感じられた人の気配に、猪人はのっそりと俯かせていた顔を上げた。檻の傍に立つルナリエを怪訝そうな顔つきで眺めてしばらく、やがて彼は「へっ」と短く笑った。それは何もかもを捨て去った者がするような、ひどく投げやりに見える笑い方だった。
「こんばんは猪人さん。ご機嫌麗しゅう」
「ああ、こんばんはだ狐人の姉ちゃん。こんなところで何をしてるんだ? 迷ってきちまうようなところじゃねえぞ、ここはよ」
「うふふ、この歳で迷子にはならないわ」
「そうかい……じゃあ、なんだってこの『大監獄』にお前さんみたいなのがいるんだ?」
「私が新米の看守だと言ったら、信じてくれるかしら?」
「はん、いいぜ。そう信じさせたいってんなら信じてやるよ。別に俺ぁあんたがどこの誰だろうが、知ったこっちゃねえんだからな」
本題に入りな、と口元の牙を動かしながら彼は言う。
「俺になにか、用なんだろう。とっとと済ませちまおうぜ」
「あらぁ……ジェス・コーマンさん。私が思い描いていた人物像と実際のあなたとは、ずいぶん違っているのね?」
「なんだあんた、俺のことを知ってんのか?」
「ええ、『荒くれ者のジェス・コーマン』さん――さすが、準二つ名持ちに数えられているだけのことはあって、あなたを知る者は『大監獄』内にも大勢いたわ。ファランクスのメンバーとしても特に活動的で、周囲からだって一目置かれていたのでしょう?」
同時に彼の粗暴さや、仲間に対しても高慢な態度を取るというとても褒められたものではない人間性などもルナリエは一緒に聞かされている。
だがしかし、そこから想像していたジェスという人物象が目の前の彼とは少しも一致しないのはいったいどういうことなのか――少しばかり不思議に思った狐人は、首と六つの尻尾を連動させるようにして同時に傾げた。




