329 真面目に不真面目イクア・マイネス
市政会館内の自室にてイクア・マイネスはふんふんと鼻歌を歌っていた。その手元は忙しく動いている。筆を握り書面につらつらと何かを書き連ねている様子はイクアの十二歳前後という見かけからすると、いかにも子供が落書きにでも精を出しているようにしか見えないが、これでも立派に執務中の彼女だ。椅子から足をぷらぷらと遊ばせていても書いている内容はごく真面目なものである。
そうやって仕事をしている最中、突然ノックの音が響いた。扉越しに入室の許可を求める声がする。
査定部へ計上する報告書のまとめというやっていて面白くはないはずの仕事をそれでも上機嫌にこなしていたイクアは、一旦その手を止めて「はぁーい、入ってどうぞー」と気の抜けたような返事をした。
「失礼しますイクア――今、大丈夫ですか?」
「ん、へーきへーき。他の人はなんかヒイヒイ言ってるらしいけどこれくらい楽なもんだよ。あと一時間もせずに終わるよ」
「さすがはマイネス様ですね」
部屋に入ってきたのはイクアにとっても良く知る人物たち――キャンディナとイーファの二人だった。キャンディナは丁寧にも入室の是非を問うたがそもそもこの時間に呼び出したのはイクアのほうである。普段はもう少し砕けているキャンディナだが、イーファを始めとする市政会員がそばにいる時は主従関係を強調するようにこういった態度を取る。他の連中はともかくイーファに関してはもう取り繕う必要もないんじゃないかとイクアは思っているが、別に直させようとまではしない。彼女にとってはどっちでもいいことだからだ。
「キャンディナお姉ちゃんの腕ももうばっちりみたいだね?」
「はい、心配をかけてしまってすみませんイクア――ですがこの通り、腕はもう『完治』しましたので」
「吸血鬼を撃退した名誉の負傷なんだから謝ることはないでしょー」
けらけら笑うイクアへ袖を捲った左腕を掲げてその復調ぶりを見せるキャンディナ。晒されたその腕へちらりと視線をやったイーファだったが、何かを言うことはなかった。
いそいそと袖を戻したキャンディナは「ですが」と言葉を続ける。
「あの吸血鬼たちを逃してしまったことはともかく、ナインの件は本当にこれでよかったのですか?」
「えー? だってあの子たちからナインの名前が出てきたのは嘘じゃないでしょ? 治安維持局からももっと詳しく話せってせっつかれて鬱陶しかったし、契機としては丁度よかったじゃん。案の定みんな食いつきよくて笑っちゃったよ、あっははのはー」
「しかしイクアは確か、ナインへ手を出す時期は慎重に見計うつもりでいたはず。なのにこのような、まるで衝動的にナインをお尋ね者としてしまうのは些か無計画が過ぎるのでは?」
「いーんだって、無計画も楽しいじゃん? 思いついちゃったからにはやってみないと気が済まないんだ、あたしってば。一応どうしよっかなーってちょっと考えはしたけど、ナインちゃんがとうとうここまで来たかと思うともう我慢できなくなっちゃった。てへ!」
「まったく、あなたという人は……」
重たいため息を零すキャンディナ。イクアは一事が万事この調子で、企み事を好むくせにそれを簡単に放り投げてしまう悪癖があった。本人は好きにしているだけなので気楽なものだが、それに付き合わされる身であるドックや自分からすると毎度毎度振り回されていい迷惑である。
とはいえいくら注意しようとこの癖が治ることはないと身をもって知っているために、もはやイクアの不真面目な爛漫さは完全に放置されている状態だった。
「うふふー、ナインちゃんが今頃大慌てしてるって思うとこっちまで楽しくなってきちゃうなぁ。交流儀までにはもっともっと追い込みたいところだけど、そっちはいつヴァンパイアハンターが到着するかだね。明日明後日くらいにはもう来てもいいころだと思うけどなー」
「吸血鬼狩り、ですか」
「おろ? どったのキャンディナお姉ちゃん、ますます渋い顔しちゃって」
「私たちの手の内にない者たちを――つまりは予期しない動きを見せる駒を、これ以上増やしていいものかと思いまして。ナインや治安維持局だけでなく損害管理局もこの件に関わると思うと、クトコステンもさすがに手狭かもしれません」
損害管理局には人間社会を単体でも脅かすような人類にとっての天敵種――吸血鬼や悪魔、幽霊といった人を操るスキルを持つ魔物を討伐する専門家がいる。
実際には局の職員ではなく雇われではあるが、専属で仕事を受けている以上は彼らもまた損害管理局の一員として数えて問題はないだろう。
吸血鬼狩り、悪魔祓い、幽霊退治者……それぞれの専門ごとに小隊ほどの人数が確認されている彼らのうち、今回クトコステンへの出動が決まったのは当然、対吸血鬼のプロフェッショナルであるヴァンパイアハンター、部隊名『夜を追う者』である。
「損害管理局のナイトストーカーねぇ……ま、そっちには大した興味もないんだけど。でもあたしとしては歓迎するつもりだよ? 暴れる人たちはいくらいたって困らない。ごった煮になってくれたほうが面白いもん。上手くやればナインちゃんにぶつけることもできるかもだし? あたしだけじゃ干渉力がちっとも弱くても、ルリアが頼めば割といける気もするよねえ。入れ替わりもとっくにばっちりだしやろうと思えばできるはず……」
そこでイクアはキャンディナからイーファのほうへ視線を移した。
黙って話を聞いている彼女の顔をじっと見て、それからにっこりと笑う。
「そうそう、『本物のルリア』のほうはどうなの? 順調に調教できてる?」
「ええ、おかげさまで」
「そっかー! よかったよかった、お薬は出してあげたけどちゃんとやれてるか気になってたんだー。仲良くできてるなら安心だね――そんでさぁ。『本物のイーファさん』はどうしてるのかってのも、聞いていいかな?」
「「…………」」
イクアが何を言っているのか分からない、といった困惑した表情でイーファはキャンディナを見たが、戸惑っているのは彼女も同じようだった。二人は困ったように顔を見合わせたのち、キャンディナのほうが恐る恐るといった具合でイクアへと訊ねた。
「あの、イクア? 私たちにはあなたの質問の意味がよく……」
「わかんない? キャンディナお姉ちゃんはそうでも、そこの人は何を聞かれているのかわかってるはずでしょ。とぼけなくたっていいよ。演技はすっごく上手だけどあたしには無意味だもん。昔からあたし、そういうのってすぐ気付いちゃうんだ。ねえ教えてよ。勝手にイーファさんにすげ代わって何食わぬ顔をしながら、あたしから情報を聞き出そうとしているあなたは――いったいどこのどなたなのかな??」
「……!」
その瞬間僅かに、しかし確実に室内の温度が下がった。原因はにわかに部屋中へ渦巻きだした殺気にある。キャンディナは目付きを険しくさせて今一度イーファを見やる。すると彼女のほうも無感情にも思える無機質な目をこちらに向けてきた。――女性たちによる一瞬の視線の交錯。互いに目の色を変えた両者はまったく同時に動いて己が得物を抜き放った。
「あは♡」
眼前で白刃が交差するのを眺めながらイクアは、非常に愉快そうにその顔を綻ばせた――。
ここで5章の前半終了……長いな!巻いてけ巻いてけ!
よければブクマ、感想、評価などくれたら嬉しいです




