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327 呆気ない幕切れ

「ちょ、ちょっと!? この霧はなんなんですの!?」

「お気を付けくださいお嬢様! 無暗に位置を知らせてはなりませぬ――これもおそらくはナインの術中でありましょう!」


「いや、こいつは……、」


 まさに唐突としか表現できないようなタイミングで場を覆いつくした白い霧。

 それをナインの戦法のひとつかと慌てるジエロとクリムパを余所に、このあらゆる感知を阻害する霧の正体に勘付いたメドヴィグは「ちっ」と舌を打った。


(間違いない、これは『水門・水引き』……ラズベルがやったな? 手を出さず見るだけにしろと伝えたはずなのにあいつめ、言いつけを破りやがって)


 ラズベル・ランズベリー。

 メドヴィグと所属を同じにする、彼にとって職場の後輩にあたる兎人だ。


 水門の適性を持つ彼女はいくつか補助やかく乱に向いた術を習得している有望な術師である。術式を自力で組めないメドヴィグは勿論、俊英と称してもいいジーナ・スメタナと比較してもなお門術の細かな操作に関する才能は抜きんでたものがある。欠点は局員としては少々気が弱いところだが、それでも最近はメドヴィグと共に仕事をこなすにあたって段々としっかりしてきてもいる。これもメドヴィグによる薫陶の賜物だろう――そしてその例に漏れず、今回も彼と彼女は連れ立って治安維持局を出発していたのだ。


 案件がそこらの獣人同士の諍い程度なら、それが喧嘩だろうと抗争だろうと、規模の如何に関わらずラズベルを手伝わせていただろうが、今回は武闘王の連行という通常とは大きく違った任務を課せられているのだから迂闊にラズベルを駆り出せはしない。しかも現場にはメドヴィグの懸念通りに彼以外の神逸六境の姿もあったのだから尚更だ。


 対過激派組織『タワーズ』の活動について常からある程度情報を掴んでいる治安維持局は当然、つい最近になってそこへ【氷姫】と【鉄騎】が加入したことも知っている。


 市政会を全面的に支持し、時にはサポートもするタワーズなのだから、武闘王ナインにかけられた吸血鬼との共謀容疑を受けて動き出すことは読めていた。そして動く人員が他でもない【氷姫】たちというタワーズの最高戦力になるであろうことも、ナインという相手の力量を思えば簡単に予想のつくことだった。


 故にラズベルへ手を出すなとよくよく言い含めたメドヴィグは、群衆に彼女を紛れ込ませて自分だけでナインを捕らえるつもりでいた。見方によっては伏兵を仕込んでいるようにも思えるがメドヴィグに真実そんな気などなく、本当の意味で彼女を控えさせようとしていた、のだが――その命令をラズベル自身が破ってしまったようだ。


(責めることはできんな。あいつが命令を無視してまで水門の使用に踏み切ったのは俺が不甲斐ないせいだ。仮にも神逸六境の三境が手を組んでこのザマなんだからラズベルが不安になるのも当然だろう。そして明らかに攻勢に出ようとしているナインを見て咄嗟にその邪魔をしようと動くことは、いかにもラズベルらしい判断でもある――が、これは……いくらなんでもリスクが高すぎるぞ)


 『水門・水引き』――それは単に視界を塞ぐだけの術ではなく、術者の魔力によって他者の魔力へ干渉する割と高度な阻害術。

 空間認識を作用させないことで転移などの妨害に特化している風門の『霞吐き』と比べ、こちらはそこまでの徹底した阻害効果こそ持ちえないものの幅広くありとあらゆる術式を中和する利便性が売りだ。


 実際、ジエロが未だ発動中の『氷中道』も操作性がかなり鈍っているようだ。彼女が霧の出現に少なからず動揺していることもその理由ではあるだろうが、それ以上にラズベルの『水引き』の効力が確かであることの証明にもなろう。


 範囲内の術を弱め、獣人の目や鼻すらも機能しづらくさせる優秀な補助技。


 ナインの攻撃の手を止めるための手段としてラズベルがこれを選んだのは真っ当な判断と言うことができる――が、しかし。



(俺たちのほうまでナインの位置を掴めなくなるのはマズいなんてものじゃない……! この霧は獣人の知覚をも鈍らせるが、だからといってナインの知覚まで鈍るとは限らない。……こうなったらやるしかない。居場所を知らせると高確率で狙われることになるだろうが、どうにか耐えてみせようじゃないか……!)



 そう決断した彼は深く息を吸い、


 『咆哮搏撃』ほどの声量ではなく、それはただの大声の範疇でしかなかったが、しかし鍛え上げられた肉体を持つ獅子人の咆哮はただそれだけでビリビリと空気を揺るがす。

 ナインへぶつけたように面ではなく周囲全体へと張り上げられた獣の声は、水門によって空間中へ満たされた水気をすべて押しやった。


 その間のメドヴィグはまったくの無防備。しかも「俺はここだぞ」と自分から教えているようなものだ。確実に手痛い一発は貰ってしまうだろう、と覚悟を決めて耐える姿勢に入っていた彼は――けれど霧が晴れだして、やがて大方の視界が元通りになろうという頃になってもまだナインが攻めてこないことを疑問に思い。


 それから自身のとんでもない考え違いを悟った。


「しまった――! まんまと逃げられた!」



◇◇◇



 謎の霧によって自分の姿も相手の姿も視認できくなったのをいいことに、すたこらと逃げ出した少女の姿は先ほどまでいた大通りではなく、道幅が細く入り組んだ路地の中にあった。


(あれ以上やり合ったところで俺に得なんてないしな。もう知れ渡っているだろう瞬間跳躍ナインジャンプはともかく、他の技まで露呈しちまう前に撤退したのは間違ってない……はずだよな、うん。……まあもとかくまずはこの服をちょっとどうにかするか。やれやれ、こんなことならもっと買っとくんだったなぁ。これ、動きやすくて気に入ってたのに)


 メドヴィグの爪によってボロにされた服(スフォニウスで大会のためにまとめ買いをした戦士用衣装最後の一着)を脱ぎ、自らの手で細長く裂いてサラシのように巻くことで、とりあえず胸だけは隠した。


 いや、目で見て分かる程度の膨らみすらないのだから案外堂々と上半身を曝け出せば――獣人にはそういったファッションをしている者も多い――男子に見られて平気なのかもしれない。だがナインも表面上は少女として生活してもう何ヵ月も経っているのだ。今更努めて男子のフリをするのも妙、というか逆に疲れる気がしないでもないので一先ずはこの状態でいいだろう。


 道ばたでこんなことをしていたら嫌でも目立つというものだが、今ナインがいるのは人気のない路地裏だ。隠れるつもりであの場を離れたのだから人目につくような場所に行くはずもない。運よく誰もいないスポットを見つけられた彼女はそこで身だしなみを整えつつ今後のことを考えるつもりでいた。


 けれど。



「……来てる、か」



 ぽつりと呟き、手を止めた少女。


 路地の真ん中で仁王立つ彼女は一瞬だけ闘気をその身から漏出させる。

 しかしすぐにそれを引っ込めたかと思えば、何かを黙して待つ。


 静かな時間が僅かばかり路地に流れ――



「「――……!」」



 音もなく忍び寄っていた何者かが仕掛けるのと、ナインが動き出したタイミングはまったく同一だった。


 振り向きざま地を這うように迫ってくる何かを認めたナインは瞬間的にそれを踏みつけて止めた。先端に鋭くも大きな針のついたそれがどうやら尻尾であることに気付いた少女は、即座に影から抜剣。次いで針に続き接近してきていた人物に叩きつけるような動作で月光剣を押し付け、その身動き一切を封じてやった。


「遅え」

「う、……そういうあなたは、やはりとんでもなく速いですね……それに、この剣。あなたにはまだまだ我々に披露していないものがありそうだ」


 首筋に刃をぴたりとつけられたまま壁際に押しやられている彼は、顔色を悪くさせながらも口元には笑みを浮かべている。その態度にナインは剣を持つ手へ力を込めつつ言った。


「誰だお前? 名前と所属と目的を言え」


「その前に……踏んでいる尻尾を放せとは言いませんから、もう少し足の力を緩めてはいただけませんか? このままでは今にも千切れてしまいそうです」


「本当に千切ってやってもいいんだぜ」


「無体なことを仰る――当然気付いてらっしゃるでしょうが、私は本気であなたを襲うつもりはありませんでしたよ。ここまでキツい対応を取られるのは些か予想外です」


「馬鹿言ってんな。お前がさっきからずっと俺を見ていたのは知ってんだぜ。俺はこれでも視線には敏感なんでな、隠そうとしたって無駄だ……――なんて、言うとでも思ったか?」


「…………」


 笑みを消さない彼――おそらくその造形から『蠍人』であると窺える謎の人物は生殺与奪を握られた状態でも余裕を崩さない。故にナインも、足も剣も動かすことなくそのままの姿勢で話を続けた。


「敏感なんて言ってもそりゃ一般人より多少は、って程度だ。俺は他の戦士たちみたいに他人の意を読むことなんてできやしねえ。そんな俺が戦闘中でもお前の視線に気付けたのは……お前自身が元から隠そうともしてなかったからだ。いやむしろ、気付かせようとしていたんだな。だからご丁寧にも俺だけに視線を向けていたんだろ? ……それを踏まえてもう一度聞くぜ」



 ――お前は何者だ?



「ふふ……」


 薄紅色の瞳に剣呑な色を浮かべ問い質す少女へ、口を開いた蠍人は――


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