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320 武闘王待ち受ける神逸六境

「おっっそいですわね! このわたくしをこれだけ待たせるだなんて、信じられませんわ!」


「由々しきことですな、お嬢様。おそらくナインとは武闘の『王』などと呼ばれて増長した愚か者でございましょう」


「そうでしょうとも、違いありませんわ。でなければ人に夜討ちをかける吸血鬼ふらちものを仲間に置くなどあり得ませんもの――ああ、もう! いったいいつまで待たせるつもりですの!? いい加減にわたくしの前へ出てらっしゃい、武闘王ナイン!!」


 もはや彼女――神逸六境が一人【氷姫】の二つ名を冠する牛人の女性ジエロ・ジエットの我慢も限界に達している。びりびりと空気を震わすその声量からもそれは明らかで、彼女にとって絶対の味方であるはずの老執事――こちらも神逸六境が一人【鉄騎】の呼び名を持つクリムパ・ロウパであっても思わず身を震えさせてしまうほどである。それだけジエロの放つ怒気混じりのプレッシャーには凄まじいものがあるということだ。


「どうか今一度お気を静めてくださいませ。お嬢様には常時、ジエット家の次代当主として相応しい立ち振る舞いが求められるのですぞ」


「――ええ、ええ、そうねクリムパ。よくぞ忠言をくれました。怒りに飲まれるなどジエット家が令嬢には似つかわしくない。家督を守る者として失格も甚だしいことですもの」


「あぁ、流石はお嬢様にございます。己が非を認められるその度量、まさしく今は亡き御父上より受け継がれた当主としての資質でございましょう!」


「おーほっほ! とーぜんですわ、わたくしは俗物の兄上などとは違いましてよ!」


 口元に手を当てて高笑いするジエロ。感じ入ったように彼女を褒めたたえるクリムパ。異様なまでにテンションの高いこの二人組を大勢の衆目が遠巻きにして望んでいる――当然、彼らには名乗られずとも女性の正体も執事の正体もとっくに知れ渡っている。その名もその容姿もその言動もクトコステンでは一等有名なのだから、天下の往来で大声を張り上げる彼女が誰であるかなど気付けぬほうがおかしいというもの。


 そしてジエロとクリムパがここまで注目を集めているのには、もうひとつ理由があった。


「おい、本当にここに武闘王が?」

「間違いねえよ、入ってくのを見たってのが何人もいるんだ」

「しかもその時にも治安維持局と揉め事を起こしてたらしいぞ!」

「なんだって! やっぱりナインって悪い奴なんだな!」


「そうじゃなきゃ吸血鬼の口から武闘王の名前なんて出てこないだろうしな……」

「だから【氷姫】が退治しに来たのか? 記事を読んでからの行動がいやに早いじゃないか」

「お前、知らないのか? ジエロ・ジエットとクリムパ・ロウパは対過激派組織『タワーズ』の実行隊長に選任されたんだぜ!」

「うぉ、その噂って本当だったのかよ!」


「なるほどね。それで市政会の被害を受けて【氷姫】と【鉄騎】が出張ったのか」

「果たしてナインは誘いに応じるのか?」

「応じざるを得ないだろ、反抗するなら罪を認めたも同然だ」

「けど、相手は武闘王だぜ。国一番の強者の称号を持つ奴が大人しく投降するとはとても思えねえ」

「いやぁ、さすがの武闘王だって神逸六境を二人いっぺんに敵には回せないだろ?」


「そうそう、どうも皆ここでバトルが始まるのを期待しているみたいだけど、そうはならないさ。『ナインズ』の子らはきっと両手を上げて出てくるよ。それから【氷姫】たちに連れられてタワーズのほうへ謝罪か釈明をしに行くだろうさ――」



 ――本当にそうか?



 騒めく群衆の語り口はガヤガヤと喧しく、その内容の一部はジエロの耳にも聞こえてきている。

 彼らの言うことは至極真っ当で、この場でナインが自分たちに歯向かうことは到底賢い行動であるとは言えない。


 あちらの周囲からの心証はさらに悪化するし、保守派の住民をこぞって敵に回すことにもなりかねない……それすなわち神逸六境の内の二人と対するどころか、都市の半分と反目するということだ。いったい『ナインズ』が何を目的にこの街を訪れたのかは定かではないがしかし、どんな予定を立てているにせよ現地民との対立を選ぶような真似はきっとすまい。


 そう考えていたのはジエロも同じだ。万が一にも武闘王の愚かしさが天元を突破している可能性も視野に入れて戦闘に備える心積もりはしてあるが、おそらくは観衆たちの言うように争いは起きず、少女たちは黙ってこちらについてくるだろうと……そう予想していたジエロだが、けれど段々と、なんだか言い様のない引っかかりのようなものを胸の内に覚え始めていた。


 ここで待ちぼうけをしていることで苛立ちが募り、それが自身の目算に誤謬を与えているのか、あるいは確かに存在している『武闘王と戦いたい』という内なる欲求が激しく鎌首をもたげてしまっているのか……そのどちらもきっと間違いではない。


 けれど正解とも言えない。



 ――わたくしは何かを予感している。



 正しく言うならこれだ。理屈だとか推測だとか、そういう思考で導き出すような結論では到底見えてこない、己が感性と感覚だけに依った根拠の一欠片すらもないような、されど絶対の確信を抱かせる本能の叫び。


 強者としての勘。

 それがジエロ・ジエットの胸中で鳴り響く祝福とも警告とも取れる鐘の音の訳。


 ごくり、と我知らず唾を飲み込む。彼女の額には一滴の汗があった。そんなジエロのいつもとは様子がハッキリと違う姿に、傍に立つクリムパはひどく驚いた。


「お嬢様……いかがされましたか?」


 彼はホテルの入り口など見ていない。クリムパが見ているのは常に自分の愛し守るべき対象――ジエロ・ジエットだけである。武闘王など端から眼中にない彼はだからこそジエロの異変に気付け、そしてだからこそもう一方の異変へ目を向けることがジエロよりも遅れたのだ。


「――来ましたわ」


 静かな呟き。先ほどまでの一帯へ轟いた声量が嘘のように小さな声でそう言ったジエロ。その視線を追うようにクリムパがそちらを見れば、いた。それはクリムパもメディア媒体で何度か顔を見たあの少女、武闘王ナインで間違いない。純白の長髪や透き通るような白磁の肌は少女特有の清廉さや処女性を殊更に強め、まるで彼女が天上の存在であるかのように錯覚させる。美しく整った――整いすぎているその顔立ちも少女がこの世のものではないような印象を見る者に与える一助となっており、度を超えた造形美の中でも一際目を引くのが、やはり彼女の瞳であった。


 薄紅色をした宝石のような両眼。


 白さばかりが目立つ彼女のかんばせに唯一別の色として淡い紅が文字通りの異色を放つ。吸い込まれるような瞳だ。ただ色合いの美しさだけでなく、少女が魅せる赤には何もかもを見通し、何もかもを惹き付けるような不思議な魅力と奇妙な引力が働いているかのようだった。


「武闘王、ナイン……」


 誰が漏らしたものか、その声は辺りによく響いた。騒がしがった群衆もいつの間にか静まり返り、今この場だけは喧騒だらけのクトコステンが別の街に成り代わってしまったかのような違和感が空間を支配していた。


 違和感の主、元凶は言うまでもなくナインであるが、少女はそれを気にする様子もなくむしろ当たり前だと言わんばかりの態度で堂々と歩みを進める。


 まるでただそこにいるだけで自分が場を支配することは、極々自然なことであるかのように――それが摂理だとでも言うように。


 張り詰めている。


 少女の自然体ながらに明らかにこちらを「敵として見ている」その警戒の仕方から、当初はジエロの予測と同じような見解を持っていたクリムパもまた自身の認識を改めた。


 反抗しない? 

 大人しくついてくる? 


 とんでもない! 


 この子は、この少女は――誰の目から見ても明らかなほどメラメラと反抗心を燃え上がらせている!



「一応、聞くが」


「なんですの?」



 豊かな胸の下で腕を組んで仁王立ちするジエロ。それと相対するようにホテル前からある程度の距離まで近づいてきたナインはそこで足を止めて、代わりに口を開いた。


 なんてことはない普通の声音。


 道すがら見知らぬ他人とちょっとした会話を交わすような、冷たくはない、けれどどこか平坦な喋り方を互いにしながらナインとジエロはファーストコンタクトを果たす。


「俺の言い分を聞き入れてくれる気はあるかな」


「ありませんわね。どう言い繕おうとそれは無駄な努力だと言わせていただきましょう。武闘王ナイン。あなたには市政会員襲撃犯である吸血鬼と共謀の容疑がかけられておりますわ! この場で言い訳を聞き届けるつもりはございません。弁明されるおつもりならこのわたくしが所属する組織『タワーズ』。そのリーダーを務めていらっしゃるナトナティさんの前で行なってくださいな」


「つまり俺は、大人しくあんたたちに連れていかれるしかないと?」


「エグザクトリィ! その通りですわ!」



「なるほどなるほど……はいはい、やっぱそうだよな……やっぱりそーなんだろうなぁ!」



「!」

「お嬢様っ!」


 爆発――否、それは解放。


 純然たる力がそこに解き放たれたのだ。


 その広がりがあまりに力強く、あまりに暴力的だったものだから咄嗟に攻撃を疑い臨戦態勢に入ったジエロとクリムパ。彼女らの見据える先で、少女は変貌を遂げていた。


 それは言葉に表すなら僅かな変化でしかない。しかし押し寄せる波濤のような圧力は先の少女とはまるで別人、息の詰まる絶大なる変革である――ナインの深紅に染まった瞳を見てそう確信した二人、【氷姫】と【鉄騎】は強制されたように目の前の存在との戦闘へ入った。


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