318 容疑と呼び出し
いつかにもかけられた吸血鬼に関する容疑。その時のことを振り返りながらナインは気の遠くなるような思いだった――どうしてこうも自分は、毎度奇妙なことに巻き込まれてしまうのか? 特に吸血鬼はその字面通りに鬼門であるのかもしれない。吸血鬼関連の厄介事はこれで三度目なのだから、ナインがそう感じるのにも無理はない。
ただし今回はエイミーから言いがかりを受けた時とは比較にならないほどまずい状況だと言える。なにせ実質追及してきたのがエイミー、リュウシィという二人だけだったあの件とは違って此度は新聞に載ってしまっているのだ――それはつまりクトコステン中がこのことを知ったにも等しい。
保守派を代表する組織『市政会』。そのうちの幹部にも近い何某かを襲ったという謎の吸血鬼二人組。ナインもまたその一味なのではないか、と当人からすれば明後日の方向から刺されたようなとんでもない疑惑をかけられてしまっているのだ。
「なんでそんなことになってんだ!? まったく意味がわからんぞ!」
「だぁから、書いてある通りだって言ってんだろうが! 被害者側がそう証言してんだよ。襲撃犯は間違いなく吸血鬼で、その口から『武闘王ナイン』の名が出たってな!」
「んなはずがないだろ!?」
「俺が知るかバカ! そう書かれてるんだから仕方ねえだろ!」
襲撃自体は数日前の夜更けに起こったことらしい。
会館からの帰り道を襲われたという会員とその付き人は幸いなことは二人ともに命を落としてはいない。しかし会員を庇った付き人のほうが大怪我をする事態になったのだ。
夜に吸血鬼から不意を突かれて単なる怪我で済んでいることはこの上なく僥倖であったが、やはりショックが大きかったのか会員もその付き人も犯人像をしばらく語ろうとはしなかった。治安維持局の捜査にも非協力的で、このままでは事件もなかったことになってしまうだろうと目されていたが――それが一転、態度を変えたのがつい昨日のこと。固く閉ざしていた口を開いて会員は犯人が少女の姿をした吸血鬼だったこと、その吸血鬼が襲撃中に武闘王ナインとなんらかの会話を――事件現場に武闘王の姿はなかったのでおそらく念話の類いで――していた様子だったことを明かしたという。
「昨日、ナインズを街中で目撃した獣人は多いはずだ。その大半がお前が武闘王だってことにも気付いているだろうよ。ここに泊まってることもどーせすぐ広まるぜ。だいたいジーナ・スメタナがお前の居場所を知ってるんだからな。治安維持局は間違いなく事情聴取……いやいっそのこと強制連行に踏み切るかもしれねえな。被害者がこうもはっきり証言しているし、何より奴らにとって憎き監査官と関係があることも判明してるんだからよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。確か治安維持局には、検問所から俺たちが街に入った報告が行ってたんだよな? だったら時系列が合わないことにも気付くはずだぜ――だって数日も前の話なら、俺たちはまだクトコステンに辿り着いてすらいないんだから!」
絶対的な証拠かのように自分たちのアリバイを挙げたナインに、シィスィーは馬鹿を見るような目を向けた。
「お前さぁ……」
「な、なんだよ?」
「そんじゃあ聞くが、会員を襲った吸血鬼はいつ街に入った?」
「え、そんなの俺にわかる訳が……」
「そう、お前だけじゃなくそんなことは誰にも分からねえんだよ。当の吸血鬼たち以外にはな。つまりそいつが答えだろうが――それと同じように! 公的には昨日来たことになってようとも、お前ら『ナインズ』がその以前から街に忍び込んでなかった保証になんてなりっこねえのさ!」
「…………!」
クトコステンは人の出入りを厳重に管理する街だ。街の特色が色濃く反映されているが故の監視体制ではあるが、それも決して完璧ではない。物理的な門以外にも魔力センサーを筆頭にその他の各種感知網も敷かれてはいるが、それらの警備をまとめて掻い潜れるような方法だってあることにはある。容易ではないことは確かだが決して不可能でもない――事実、そういった方法で吸血鬼が人々の目を欺いたことは確定しているのだから、武闘王たるナインもまたそういった術を覚えていたとてなんら不思議なことはないだろう。
「そんな無茶な……?! 俺には隠密なんてできっこないのに!」
自身の人目を引きまくる外見を指し示しながら嘆く少女。
周囲から姿を隠せるような便利な術などナインには使えっこないし、仮に使えたとしても都市の感知網を出し抜けるような技量まではとてもじゃないが身につかないと自信を持って断言できる。
けれどナイン本人がいくらそう訴えたところで意味はないのだ。
「ナインちゃん。残念だけどそれを他の人たちは信じてくれないわ」
「できねえことを証明するのはめっちゃ難しいぜ。本当は力を隠してるんだろって言われればそれでおしまいだからな。いわゆる『悪い魔女の物語』と一緒だ。お前は疑いを晴らさないことには大手を振って街を歩けなくなる――けれどその疑いは晴らしようがねえ」
名が売れる弊害というものがここにあった。一見して不可解な出来事が起きた時、あの者なら実行が可能なのではないかと容疑をかけられやすくなってしまうのだ。一応治安維持局は対象の超常的技能適性をある程度数値化して調べる方法を確立させてはいるが、それが証拠として通用するかどうかには一定のラインがある。例を出すなら超高齢にして現役の『大魔法使い』アルルカ・マリフォスなどを調べようとしても、あまりにも力を持ちすぎているために数値化不可能となり、どういったことができるかについて大まかにすらも判断がつかなくなるのだ。
同じように、間違っても一般市民どころか世間から強者と認められる者たち以上の力を有してしまっているナインは、それゆえに自身の潔白を証明するのが非常に難しくなってしまっている。
「なんてこった。それじゃあ俺にはどうしようもないじゃないか……」
自分以上に難しい顔をしているジャラザやクレイドールを見たことで現状、容疑を晴らすことは不可能だと思い知ったナインは本格的に頭を抱える。そんな彼女に、シィスィーは「念のために聞くがよー」と確認を取った。
「お前、本当にやってねえんだよな?」
「当たり前だっ! ……ぶっちゃけると知り合いにちょっと危ない吸血鬼はいるんだけど、そいつとは数ヵ月も前に別れたっ切りだ」
「いや吸血鬼の知り合いなんてのがいるのかよ?!」
「え、嘘でしょうナインちゃん……あなたまさか?」
「だからそいつとはそれっきり会ってないし、連絡も取ってないんだって! もしもこの記事の吸血鬼が俺の知ってるやつだったとしてもこっちにはなんの関係もない――、」
そこでナインはハッとする。
思い浮かべた知り合いの吸血鬼の美しくもどこか子憎たらしい顔。
そこから芋づる式に彼女との別れ際やその目的などが蘇ったことで「まさか」というような考えがその脳裏をよぎった。
「こ、この襲われたっていう会員の名はどこかに書かれてないのか?」
「あ? ああまあ、安全面を考慮して被害者のほうは名を伏せてあるらしいな。新聞にはどこにも名前は出てねえよ。ってんなことより、治安維持局が出張ってくる前に身の振り方を考えろや。じゃなきゃせっかく俺たちが朝一から駆け付けてやった意味が――」
「待ってくれ、これは大事なことなんだ。できればこの場でちゃんとハッキリさせておきたい。被害者がどういう人物なのか、お前たちは知らないか?」
「知っているわ。治安維持局からじゃなくって、執行官のディーモさんからの情報だけれど」
「あのおっさんは市政会へ潜り込んで直接情報を集めて回ってるっぽいからな。最近じゃいくつかこっちにも回してくれるようになったぜ。最初からそうしてろって話だが……で、名前だったか。えーと確か、割と覚えやすい名前だったよな……ああ、思い出した。『イクア』だ。『イクア・マイネス』。それが襲われた会員のフルネームだよ」
「……っ!」
イクア・マイネス。
その名を聞いてナインは顔色を変える。彼女の名とどんな人物であるかを共有しているジャラザとクレイドールもまた同様に目配せをしあった。
そのいかにも「何かある」と傍目から見ていても丸わかりな反応に、事情を知らないシィスィーとセンテは怪訝そうな面持ちになる。
「なんだよ? まさか被害者とも知り合いだとか言い出すんじゃねえだろうな?」
「いや……知り合いじゃない。俺は向こうのことを少しだけ知ってはいるが……だけどこいつはあくまで一方的なもんだ。結局リブレライト以来、あいつの影を見ることもしていない。どうして奴がここで俺を狙う? ユーディアとは因縁があっても、俺と奴は直接的には無関係だぞ」
「否――そうとも言えんぞ? 以前のリュウシィ・ヴォルストガレフからの警句が単なる考えすぎの違いだったとしても、主様は有名人だ。恨みつらみなど関係なしに名前くらいなら聞く機会はいくらでもある。主様の来訪をどこぞでイクア・マイネスが耳にしたのなら……そしてユーディアから聞かされた奴の人となりが真実であれば、興味本位程度でも主様を何かしらの策謀に巻き込もうとすることは十分に考えられるはずだ」
「あるいはなんらかの手段を用いて自らを襲った吸血鬼――推察するにほぼ確実にユーディア・トマルリリーその人だと思われますが、彼女とマスターの関連性を見抜いたことで濡れ衣を被せようと思い至った可能性もあるでしょう。いずれにせよどうやってマスターがこの街にいることを知ったかはさして重要ではありません。懸念はやはり、何故そんなことをする必要があるのか。流石に現時点で彼女の目論見については定かではありませんが……」
「おいおいおいおい、こっちにも分かるように説明してくれよな! つまりなんだ、お前たちとマイネスには何かしらの縁があるってことでいいのか? そのせいでやってもいない犯罪の片棒を担がされそうになってるって?」
「……端的に言うとそうなる。まだそうと決まったわけじゃないが、たぶん俺を名指ししてきてんのはただの偶然じゃあないんだろうよ」
「あらあら、それじゃあ潔白を証明するのがますます難しくなったわね。証言している被害者のほうが悪意を持ってナインちゃんに罪を押し付けようとしているのだとすれば、この後の展開は当然――」
「出ていらっしゃい、武闘王ナイン! いいえ、吸血鬼のお仲間のナインさん! このわたくし、【氷姫】ジエロ・ジエットが直々にあなたを成敗しに参りましたわ!」
「……やっぱりこうなるわよねぇ」
「は、はは……はあ」
苦笑しながら気の毒そうな視線を寄越すセンテに、ナインも渇いた笑いを返してため息を零した。
――どうやら自分には、悩む暇すらも残されていないらしい……。




