316 ホテルはみんなのもの
ナインズは一旦、アドヴァンスの二人組とは別れた。本当なら宿泊部屋にて互いの認識のすり合わせや今後どうするかについて具体的な相談を行うべきなのだが――そして当然彼女たちもそのつもりでいたのだが、思わぬ展開(ジーナというシィスィーたちからすれば『お邪魔虫』の登場)によって紆余曲折……というほどでもないがまあ色々とあった結果、アドヴァンスは両名共に負傷することになってしまった。
さすがは強化人間というべきか、彼女ら特有のナノマシンによる自己治癒によってシィスィーは元より文字通りの大打撃を貰ったセンテですらもジーナとの問答が終わるころには起き上がることが可能となっていた。
とはいえ、それでもやはり怪物少女の拳は重きに過ぎたらしい。手加減込みではあっても念入りに殴られたセンテのほうは特に被害が著しい。会話ぐらいならできるが逆に言えばまだ会話くらいしかできそうにないほど不調なのだ。そんな状態を押してまで話し合いに移るべきかと問われたら誰だって首を横に振るだろう。早急に行うべきではあるが緊急性があるわけではないのだ。今すぐが無理なら明日でもいい、焦る必要はない。
ということで翌日への繰り越しを提案したシィスィーにナインズも了承を返し、すべては明日からということになった。
「あの、404号室を予約したナインですけど」
月光剣を半ば押し付けられる形で購入した(させられた)武器屋のドワーフ店主が親切で既に部屋を取ってくれていることから、ナインズはただ名乗りさえすればそれで宿を確保できる。肩書きを明かしたり満室に怯えたりしなくていいのは楽だな、と余裕を持っていたナインだが、その『象人』と思しき牛人にも負けない巨体を誇る店主がカウンター越しに言い放った一言で笑顔を固まらせることになる。
「よう、待ってたぜ。到着前から店先で騒ぎを起こしてくれるとは、さすが武闘王。豪気なことだな」
「……も、申し訳ないです」
「別に責めちゃいないさ。ただまあ、宿の中で暴れるのは勘弁してくれよ。宿泊客はお前たちだけじゃあないんだからな」
「肝に銘じます……」
しおらしく忠告を受け入れるナインに「なんだい素直だな」と幾分か拍子抜けしたようにしつつ、象人の店主は鍵を渡した。
「はいよ、404号室の鍵だ。確かに渡したぜ。紛失は賠償責任になるから気を付けな。それから部屋の中で騒がしくしすぎるのもご法度だ。うちはどの種族にも快適に泊まれるってのが売りなんでな」
ドワーフや獣人なんかは集まれば喧しくなる筆頭種族であるが、クトコステンは何もそういった者たちばかりではないのだ。エルフやケンタウロスといった静寂を好む種族だっている。騒げないというのはそれはそれでストレスになるだろうが、元来公共の場とは静けさを守るのが基本でもあるのだからその点は我慢してもらうことにしている――と店主は語った。
「オッケーです。他のお客さんに迷惑はかけません」
子供四人だからと余計に心配させてしまっていることがわかったナインはそこでも粛々と頷き、仲間にも同意させた。それから店主を見るが、彼は顔色を一切変えないので何を思っているのかは不明である。しかしまあ、対応から察するにこの店主はただ愛想を振りまかないタイプというだけで、一言目から受けた印象ほど自分たちを悪く思っているわけではないんじゃないか――いやこれは多分に希望込みの感想ではあるが。ナインは頬をかいた。
「まず三日分の代金を頂こうか」
「こちらに」
事前に宿代を用意していたクレイドールによるスムーズな支払いを経て、手の中の小さな――彼からすれば本当に小さい――コインを数え終えた店主は「よし」と頷き、
「きっちり三日分だな。もしも予定より早く宿を出ることになっても余剰分の金は戻ってこないってのは確認済みだな? もっと長く泊まるつもりなら三日後の朝までに決めといてくれ。何も言わないなら出ていくものとして次の客を入れるから気を付けな」
ホテル『ファンファン』は五階建てだ。クトコステンの例によってレイシャルフリーの観点から入り口も大きければ天井も高く、外観からだともっと階層があるようにも思える。ただでさえ背の低いナインからすれば巨大すぎる気がしないでもないが、対して象人の店主なんかはこれでも天井に頭が届きそうになっているくらいだ。他種族が入り乱れる街というのは予想以上に大変かもしれない、とナインはこの時になってようやくその実感がわいた。
階段ではなくラウンジ横にある壁沿いのスロープで階を移動する造りになっており、客が泊まれる部屋は二階から五階にかけて七つずつ用意されている。宿の規模からすると異様に少なく感じるが一部屋一部屋が広く、中には特定の種族向けの特別室もあるのでこの数にも納得だ。
因みに一階には食堂があり、こちらは宿の利用者でなくとも食事をすることができる――無論代金は払わせられるが。しかし宿泊客であれば朝食と夕食は(決まったメニューだが)無料で食べられる。その分の代金も宿代に含まれているからだ。それを思えばやはりこの宿、とんでもなく激安である。
(形としてはドマッキさんのとこと似てるな……まああっちはここほど広くなかったけど。でも食堂の客入りは断然向こうのが多かったな)
半年程前にリブレライトで世話になった『ドマッキの酒場』のことを思い返しながら食堂を覗き込んでいたナインを見て、象人の店主は腹が空いているのだろうと今日の献立を教えてやることにした。
「今日のスープはミネストローネ。メインはフィード牛のステーキだ」
「ミネストローネ、いいですね。フィード牛っていうのは?」
「フィード高地のブランド牛だ。知らないのか? 低価格高品質肉の代表格だぞ」
「へえ……」
勿論まったく知らなかった。
こっちの世界での家畜事情をあまり存じていないナインはそのまま有名なブランドというものもまるで知識を持っていない。
しかしここでナインが気になったのは牛肉の種類よりも、もっと別のことである。
「あの、ここって牛人の人が泊まったりとか……」
「獣人の客は多くないが、ないことはないさ。それがどうかしたか」
「いやその、なんというか。牛人からすると牛の肉ってどうなんだろうとふと思ったもので」
「そんなの……食うに決まってるじゃないか」
「え゛、そうなんですか」
「当たり前だ、同種でもなければ近縁種でもないんだからな。ただ似た特徴を持ってるってだけだ。牛人だって牛を食うことはあるし、豚人が豚を食うことだってある」
「へ、へー……勉強になります」
なんだか慄いている様子のナインに頓着せず「だがまあ」と象人の店主は大きな手で顎をさすった。
「わざわざ好んで食うってことはないかもな。俺も象の肉なんて食いたいとは思わないし……いくら別の生き物とはいえ、やっぱりそれぞれ思うところがあるのかもしれないな」
「なるほどなるほど……ん、どしたクータ?」
興味深く話を聞いているところ、服の袖を引っ張られた。そちらを見れば目を潤ませたクータがいるではないか。どうしたことかとナインが少し驚いた様子で訊ねれば彼女は――
「お腹が、空いたよ……! クータはもう限界だよ!」
「そ、そうか――それはすまんかった。じゃあ飯にしようか?」
さっきシィスィーたちと一緒に食べたばかりじゃないかと言いたかったナインだが、思い返せばあの時のクータはシィスィーとセンテを警戒するあまり殆ど食事に手を着けていなかったなと思い出す。彼女としてはたぶん料理にむしゃぶりつきたかったことだろうが、ジャラザやクレイドールが食事よりも相手らの観察を優先させていたのに習って自分も我慢したらしい。そんなことお前はしなくていいのに……とナインは少し苦笑する。
「クータが先ほどから静かだったのは、空腹のせいでしたか」
「今日は朝食も早かったし、昼食の席も中途だったしの。この食いしん坊にとっては絶食にも等しい苦痛だろう」
「そこまでなのかよ……わかったわかった、今すぐ昼飯の取り直しといこう。俺たちもここで食べていいんですよね」
一応はと確認を取ったナインに店主は鷹揚に頷いてみせる。
「いいとも。もう昼時も過ぎているが特別だ、朝食ってことにしてやろう。料金はいらないぞ」
「いいんですか?」
「ああ。ただし一人一品までだ。パンもスープも付くがそれ以外を頼みたかったら別料金だぜ」
それでも十分すぎる。ナインは喜んで食堂へ向かった。月光剣という高い高い買い物をしたことで、優勝賞金と天秤の羽根の警護代という大きな収入が直近でふたつあったにも関わらず懐がかなり寒くなってしまっているところだ。まだ素寒貧というほど逼迫はしていないが、ただの旅人として決まった収入源を持たない以上、浮かせられる部分は是非とも浮かさなくてはならない。
「いいかクータ。さっきだってシィスィーたち持ちだったんだから、遠慮なんかせずどんどん食べまくればよかったんだ。警戒とか観察とかはさ、ジャラザとクレイドールに任せとけばいいじゃん? 俺たちはそーいうの向いてないから」
「うん、わかった! 次からそうする!」
「それはそれでどうなのかの……」
「人にはそれぞれ期待しても仕方のない部分というものがありますからね」
「前から思っておったがクレイドール。お主なかなか言うタイプだの」
こうしてクトコステンでの拠点となる宿を確保し、来訪初日をナインズは和やかに過ごしていった――しかし夜が更け、明けて、次の朝が来たとき。
事態は既に自分たちの知らぬところで動き出していたことを、ナインズ一行は知ることとなる。




