314 蹂躙する乱入者・下
獣じみた咆哮だった。
ここは獣人の街であり、そして一部の獣人には確かに咆哮を武器とした技を持つ者も存在することから、突然聞こえてきたその大音量の叫び声もどこかの獣人のものであろうと――そう考えるのは自然のことだがしかし、この時のジーナにはそんな考えなど微塵も浮かばなかった。
その声が誰の上げたものか。
彼女には考えるまでもなくわかっていた――声の主はシィスィー。
ナインに蹴り飛ばされて無力化されたはずの彼女は未だ健在であったのだ。
いや、健在と言えるほど彼女がダメージを負っていないかと言えばそんなことはないのだが、しかしそれでも彼女にはまだ槍を振るえるだけの力が残されているようだった。
あるいはそれは激情によって無理やり体を動かしているだけに過ぎないのかもしれないが……いずれにせよ専用装備『戦槍』を翳している彼女は即ち、文字通りに蹴散らされてもなお戦う意思を失っていないことを示している。
むしろ戦意はより高まっているとも言える。シィスィーは自分を足蹴にした挙句センテまでも手にかけた不埒者ナインに対して、ジーナへ向けた以上の敵意を募らている――それは彼女のその形相、口を食い縛って歯を剥き出しにした怒りの表情からも明らかであった。
「『電撃作戦』……『第二段階』ッ!」
バチィッ!!
一時は枯れ果てたように潜まった少女の電撃が再び発露する。ただし今度は全身から均等に放たれるのではなく、あからさまに比重は偏っていた――右腕。
銀の槍を強く握りしめる彼女の腕には、過剰なまでの電力が注がれている。
今や鳥の鳴き声にも似たような破裂音を連続させながらシィスィーはぐいんと己が右腕を大きく振りかぶった。
彼女が何をしようとしているのか、ジーナにはすぐにもわかった。離れた位置からそれを眺めているクータ達も、そして当然ながら敵意を一身に受けている側であるところのナインにも、シィスィーの狙いは明らかとなっている。
槍投げ。
つまりはそれこそがシィスィーの言うところの電撃作戦の次なる段階なのだ。『戦槍』の帯電機能によって自身の駆動性を高めるのが第一段階だとすれば、こちらは転じて脚を止めての大攻撃こそがその本領。槍を中心としてそれと隣する体の一部へ電撃を一極集中させ、肉体の限界を超えた投擲を可能とさせる奥の手。
電気信号によって少女の筋量を逸脱した腕力を実現させるだけでなく、電磁誘導によって槍そのものも自動加速するその技は、矛盾を許さぬまさに最強の矛となりあらゆる艱難も障害も貫いてみせるシィスィー絶対の奥義だ。
それを今ここで披露することに、彼女にはなんの迷いもなかった。
「ぁぁぁああああああああっ――――『電撃飛槍』ゥ!!」
投げつける。死の槍が飛ぶ。極点化による速度向上は先ほどシィスィーが自身で見せた速さの比ではなく、雷速をも超えた驚異の速度を実現させた。空気すらも切るでのはなく刃で刺し貫くようにして突き進むその槍は、刹那の時すら刻まれない内に標的であるナインへと到達し――。
「よっと」
そして訳もなくナインの手によってしっかりと掴まれ、止められてしまった。
「なっ――」
「――んだとっ……!」
ジーナとシィスィーがどちらも愕然としたように言葉を漏らした。それもそうなるだろう、これだけの攻撃を、あれだけの速度で迫る槍を、回避するか防御するだけならばまだしも――いやそれができるだけでも十分に恐ろしいことだが――手で掴んで止める、なんてことを可能とする者がこの世にいるなどとは思いもしない。それも少女は穂先を素手で握っている。指どころか手先ごとごっそり切り落とされてもおかしくないはずの蛮行だが、よくよく見ればその手からは一滴の血も流れていないようだ。
――傷付いてすらいない。
それはどのような意味合いにおいても、この武闘王である少女に傷を負わせるのは、ただそれだけでも快挙と言い表せるような偉業であることを証明していた。
(す、凄すぎる……! やはりこの少女は間違いなく逸脱者! 常人には届き得ない高みに到達している者の一人なんだ――)
「てっ、てめえ! 俺の槍をよくも……!」
とかく感嘆するばかりのジーナとは違って、決め手があえなく不発に終わったシィスィーは黙って感心などしていられない。しかしこうも力の差が歴然としているとなるとどう歯向かえばいいものか。彼女も自分がナインの何に対して怒っているのかもはやよくわからなくなっていたが、その傍には倒れたままのセンテがいる。とにかく自分と彼女の恨みを晴らさないことには引っ込みがつかない――秘匿強襲部隊『アドヴァンス』の一員として、ここで怖じ気づいてしまっては情けないどころの話ではなくなってしまう。
ただしそんな彼女の懸命とも言えるつっかかりの仕方に、ナインのほうが相応のテンションで付き合ってくれるわけでもなく。
「いや、人のもんを取ったりしないって。ちゃんと返すよ……つーか、そっちが投げてきたんだろうが」
「お、俺が言ってんのはそういうことじゃねえ!」
「んじゃどういう……? ああ、俺がこいつを止めたこと自体に怒ってんのか。なるほどな」
そこに一応の理解を示しながらも、しかし今ひとつわかっていないようにしか見受けられないのほほんとした顔付きで少女は頬を掻きながら。
「いやまあ、けっこうビックリはしたけどな。思ったより速かったからさ。ちょっと前までの俺なら戦闘モードでも普通に食らってたかもしらん。大したもんだと思うぜ、シィスィーのこの技は」
「っ……!」
ぎりぃ、と一際強くシィスィーが歯噛みする。
ナインの言いざまは最大限、彼女にとっての称賛を表したつもりのものだっただろうが……シィスィーからすればそれは侮辱以外の何物でもなかった。
追い打ちをかけるように放り投げられて足元に転がってきた『戦槍』を見て、シィスィーはもはや我慢がならなくなった。
「そうかよ……武闘王様にとっちゃ俺なんてそんなものかよ。『大したもんだ』の一言で。そんな心もこもってねえような煽てのひとつなんかで済まさる程度のものでしかねえってのか――ふざけやがって!!」
「あー……かえって怒らせちまったか? そりゃ悪かった。だけどこっちもこれ以上お前たちの癇癪に付き合うつもりはないぜ。悪いようにはしないから、ちょっと今は大人しくしててくんねえかな」
「へえそうか、悪いようにはしない。そいつはありがてえことだな。だが俺はよ……ここで大人しくしなけりゃてめえがどうしてくれるかってほうが気になるなぁ!」
転がる槍を蹴り上げて手に持つ。ひゅん、と振り回して構えを取ったシィスィーは呆れたようにこちらを見る――その態度がまたいっそうムカついて仕方がない――ナインへもう一度『戦槍』の帯電機能による電撃作戦を発動させて
「――ッ?!」
駆け出そうとしたところを強制的に止められる。
それは彼女の眼前に飛来した剣が原因だった。地面に突き刺さったそれにあたかも縫い付けられたかのように動けなくなったシィスィー……当然だ。何故なら彼女にはそれがいつ投げられたのかまったくわからなかったのだから。
剣を取り出し、振りかぶり、そして投げる。
その一連の動作が一切目に映らなかった。
勿論シィスィーはナインを視界から外すようなことはしていないし、そして肝心のナインのほうも確かに何かを投げた後のような体勢になっている。
この青白い刀身をした大剣を彼女が放り投げたことは確かで、されどその動作は加速中のシィスィーであってもその影すら捉えられないほどの極限的素早さで行われたことになる。
(こ、こいつ……投擲ひとつとってもこれか……! いったい強化人間とどれだけの差があるっていうんだ!?)
槍を用いての加速が切り札で、その一極集中が奥の手だとすれば、シィスィーには真の切り札とでも称すべき最後の手が残されている。電撃作戦の『第三段階』は彼女の実力を飛躍的に引き上げるだけの効力があるが、しかし仮にそれを実行に移したところでナインとの遠大過ぎる差。その全てが埋まり、ましてや追い越せるようなヴィジョンはちらりとも浮かばない。
――自分では逆立ちしたって勝てない。
少なくとも如何に強化人間と言えどたかだか戦闘向き程度の能力ではこいつには太刀打ちできない。
理不尽なまでに強いナインに打ち勝つには、その相手もまた相応に理不尽な存在でなければならない。
例えばそう、七人のアドヴァンスを率いるリーダーのウーネ。
彼女が持つような理不尽なまでに恐ろしい能力でもなければ対等の戦いを演じることすら難しいだろう、と。
否が応でもその事実を認めざるを得なくなったシィスィーへ、ナインから声がかけられる。
「そのまんま黙っててくれ。ジーナさんには俺が話をつけるから」
「……ちっ、わかったよ。もう俺は手も口も出さねえよ……けど、そこのセンテを介抱してやりてえ。それは許してくれねえか」
「ん、好きにしてくれ。一応、大きな怪我はさせてないぞ」
「知ってるよ」
そうでなければまず自分が起き上がれなかっただろう。ナインは出来得る限りの手加減をしていたのだ。事前にジーナとの戦闘でタフネスを発揮していたセンテにはそれなりに重い一撃を入れたようだが、どれだけ頑丈なのか掴みあぐねたシィスィーに対しては少しばかり手加減をし過ぎた――たぶんはそういうことなのだろう。
頭に上った血が引いたことで落ち着いて物を考えられるようになったシィスィーは、改めてナインの逸脱加減を胸に刻み……てくてくとジーナの下へ足を運ぶ彼女の背中をなんとも言えない眼差しで見送るのだった。




