301 思った通りに強いやつ
異変は真下から始まった。
「っ……?」
ぐらりと傾ぐ平衡感覚。先ほど受けた突進程度で自身の脳が揺らぐことなどないと知っているナインは、ならば変化の原因は足場のほうにあるに違いないと見抜く。
下を見れば、さもありなん。ナインの足はずぶずぶと地面に沈み込んでいく……否、飲み込まれていくところだった。
「俺の門術! これが『土門・砂絞め』だ――この仕込みを卑怯などとは言ってくれるなよ!?」
「ああ、言うもんか」
纏わりつくように柔らかく、それでいて締め付けるように固く。土砂が生き物の口のようにナインの体を奥へ奥へと引きずり込もうとする。足首より上まで捕らわれてようやく気付いたのは完全にナインの失態だ。相対する敵の姿にばかり意識を向け過ぎていた。それはきっと、ミノスの容貌からしてどんな技を使うにしてもきっと肉体的な技能だろうと――もっと言えば直接的な攻撃手段に限られるだろうと無意識のうちに決めつけてしまっていたからこそ、発見が遅れたのだ。
術中に嵌るとはまさしくこのこと。突進の最中からおそらくミノスはこの展開を思い描いていた。自身の初手が容易く防がれることを予期し、そのうえで次なる攻めへの布石を打っていたのだ。ナインにも相応の予測か、もしくは観の目を最大限に見開いていればミノスから魔力の起こりを感じ取って身を躱すこともできたのだろうが――しかし少女は窮地と呼べるような状態でも、己が拳を耐えた牛人へ倣うように「なんのこれしき」と笑ってみせた。
「なにぃっ!?」
そこで驚愕に目を見開いたのはミノス。可能ならばこのまま土中へと少女の全身を取り込んで圧迫させようと目論んでいた彼は、その思惑が叶ったことに声を上げた。
喜びではない。
続けざまに狙い通りで事が運んでいるのだから喜べばいいところで、それでもミノスの胸を俄かに騒めかせたのは……ナインが自ら潜ったからだ。
彼が砂の動きを操作するまでもなく、まるで飢餓の虎へ我が身を差し出さんとする異常者が如くにナインは進んで地面の下へと沈んでいったのだ。
「っ、どういうつもりか知らねえが! そいつは驕りどころじゃねえ、とんでもない誤りだ! 少しの身動きもできない状態、ならばいくらお前でもそこからの脱出は――」
不可能だと言い切ろうとしたミノスの前で、地面が激しく弾けた。
地獄の釜の蓋が開くような騒々しく重苦しい轟音を立てて土が上空まで打ち上げられる。水柱ならぬ土柱の発生に言葉を途切れさせたミノスは、その瞬間に本能に任せて勢いよく身を伏せた。
身長四メートルを超える巨体を可能な限り低くした彼の頭上を閃光が通り抜けていった。その正体は言わずもがなナインである。一旦地下へ潜ることで術の範囲ごと周囲の土を爆散させて自由を取り戻した彼女が、次いで異様なまでの鋭さを持った飛び蹴りを放ってきたのだ。見えたわけではなく勘に任せた偶然の回避だったが、運に恵まれたミノスはどうにか首の皮が繋がったことを理解して――ニヤリと笑う。
次の一手はもう打ってあるのだ。
「不可能、なわけがなかったなぁ武闘王――俺がこの街の誰よりそれを知ってたんだ! だから! そこだってもう俺の術の範囲内なんだぜ?!」
「んだと――おぅっ?」
ミノスの後方へと着地した途端、ナインの四方から壁がせり上がる。それらは瞬く間に箱を形成し少女を中に入れたままぴたりと繋ぎ目同士を合わせた。要するにナインは再度土中へ閉じ込められたのである。
「これが『土門・文鎮』! ――そしてぇ!」
ミノスが発動する、彼最大の門術。土壁のシェルターを作り出す土門としては基礎的な部類に入る『文鎮』の上位派生術。それこそが――
「『土門・攻城楼閣』!」
ナインを囲う箱を更に上から囲うように多大なる質量の土が動かされ、瞬く間にそこへ建造物を造り上げる。それはまさに『城』だった。それも戦に向けて急遽建てられた城落としの城である。堅牢な土壁で編まれた城は防御力こそが自慢であるが、しかし『攻城楼閣』の本質は守りではなく攻めにこそ表れる。
この術最大の恐ろしさはこれだけ強固な、これだけの質量が、術者の意のままに動作を取るという点にある。
自由自在にして自裁に動く城。その只中に取り込まれているナインがこの後どういう目に遭うかなど――もはや語るに及ばず。
「ぶっっっ潰れなぁあ!! 武闘王ぉおおおおお!!」
攻城楼閣形成によって多量の魔力を消費した身ながら、もう一度魔力を大量に放出する。渾身の意気で城をより強固に、より素早く動かし、中心に囚われているナインへとその全質量を殺到させる。
ミノスの策は先ほどから一切変わっていない――即ち「土で圧し潰す」作戦は継続実行中なのだ。
(『砂絞め』程度じゃ潰れねえし縛れねえ……! 惚れ惚れするぜナイン! そんなお前だからこそ、俺はこの戦法でいく!)
彼は本来、己の肉体で敵にぶつかっていく戦法を好む根っからの戦士である。門術は補助程度に留め、術者のような戦い方はあえて避ける。そんなミノスが自身の矜持をかなぐり捨ててまで端から術だよりに戦闘を進めているのは当然、そうしなければ勝ち目がないと理解しているからだ。
その屈強な見た目や言動で誤解されがちだが、ミノスは決して力任せしか知らないような単純馬鹿ではない。戦いとなればクレバーに戦術を巡らせるだけの冷静さと頭脳を所持している。突進で己が身を囮にしての『砂絞め』も、土中に取り込んでからもある種ナインを信じて備えた『文鎮』も、そしてすぐさま移行した彼にとっての決め技たる『攻城楼閣』も――すべては格上の強者へ「土を付ける」ための最善策として用意されたものだ。
(本当ならお前とは拳で戦いたかったぜ……! だが贅沢は言わん! 勝てる可能性を捨てちまうわけにはいかねえから――戦い方を選り好みなんかせず、俺の持つ全力をぶつける!)
保有魔力量には乏しい彼だが、術の行使に関しては光るものを持っていた。肉体的な強さもあって一門以上の戦士として自身を誇ってもいた――だがそんなミノスであっても、まるで目算の通らない相手というのはいるものだ。
それはそう、例えば――今も城の中からガリガリと異音を響かせている、あの怪物的な少女など。
「ば、馬鹿な……っ! いくらなんでもあり得ねえ、俺の城を……あいつは潰されながらも掘ってやがるっていうのかぁ!?」
内にいるナインをぺしゃんこにすべく蠕動しぎゅうぎゅうと縮こまろうとする土の城――異音の聞こえがよくなった次の瞬間、その天井が打ち上げ花火のように遥か上空へと吹き飛んだ。そして開いた箇所から姿を現したナイン。掘削の音もぴたりと止み、静まり返ったその場を睥睨しながら少女は高みから牛人へと言い放った。
「これでいいのかよ、ミノスさん」
「あ、あぁ……?」
突然の不可解な問いかけに、呆気に取られていたミノスが眉を動かせば――
「こんな砂遊びの――土遊びのお城をぶっ壊せば、それでなにかの証明になるのかって聞いてんのさ。あんたは本当に、それで納得がいくのかよ? 俺の強さが知りたいっていうんだったら……きっとあんたのやるべきは『こういうこと』じゃあないんじゃねえかな」
「! …………、」
図らずしもそれは、ミノスに燻る葛藤を指摘するような言葉だった。
勝つために。好まない戦法を取って、憧れまで抱いた相手になるべく自由を与えないように気を付けて戦って――しかしその結果が、これだ。繰り出した術は通じず、ならばと見せた奥の手もあっさりと破れられて。
まるでダメージのひとつも与えられないままに言われてしまった――「お前はこれでいいのか」と。
「――いいわけが、ねえ」
故にミノス・モーリスは、開き直った。
勝ちの目を拾うことばかりを念頭に置きすぎて、戦うことの意義というものを見失っていたと気付く――そう、これは力比べなどではないが、それでも比べたいと思ってしまったのであれば。
「ははは! お前の言う通りだな! 体で味わうことをしないんなら体感したとは言えねえわけだ――だったらここからは遠慮なしの肉弾戦だ! 俺の体がもつ限り、この意識が飛ばねえ限り! 思いっきりぶん殴らせてもらうぜ、ナイン!」
「受けて立つ」
「はっ、あいも変わらずにいい返事をありがとよ!」
駆け出す、と同時にミノスは術を解く。
ナインに内部から穴を開けられても健在だった土の城がたちどころに崩れ、その形を失う。当然頂点の位置で仁王立ちしていたナインは足場の消失によって落下して――そこへ丁度、拳を振り上げたミノスが迫ってきていた。
「やろう……っ!」
何がなんでも確実に一撃を入れようとするミノスのしたたかなやり口に、ナインは口角を挙げた。堂々策へ嵌めようとするそのやり口から男の意地が垣間見えて好ましく思ったのだ。そういう我の通し方は少女にとっても望むところであり――けれどなすがまま食らってやろうとまでは思わなかった。
彼女には彼女の意地がある。
「ふん!」
回る。いつでもそうしているように、今回も強引な重心移動でもってただ落ちていだけの体勢に捻りを加え、打突を打ち出す構えへと瞬時に変化させる。そこで混じり合う視線。結果として同タイミングで拳を相手目掛けて振り抜くこととなった両者は、どちらが狙わずとも自然に互いの殴打を重ねて。
「ぐ、うぉおおおおおおおおっ!!!」
ミノスの全霊を込めて雄叫びが辺りへ響き渡った――が。
次の瞬間、打ち負けていたのは彼のほうだった。間違いなく己の出し得る力の全てを注いだその一打が、少女の後から出した一打に軽々と粉砕されてしまったのである。
「、かっ……!」
殴り飛ばされ、重たいはずの自分が軽々と、まるで木の葉のように宙を舞っているその事実にミノスは思わず苦笑する。
(ああ、ちくしょう。全力で挑んだってのにまるで対抗すらできなかった。やっぱり強ぇんだよな武闘王は――こりゃあ、いくら俺だって認めるしかねえよ)




