300 ミノスvsナイン
本編300話目やー
不満はあれど一応の納得を見せたジャラザたちを一旦下がらせ――クータだけは未だに自分が戦いたそうにしていたが――影の中にいるもう一人のメンバーであるフェゴールにも「手出し無用」を言い渡し、ナインはすたすたと歩いて位置についた。
牛人の大男ミノス・モーリスから数メートルほど離れた距離で、準備運動として軽く肩や手首を回している少女に気負った様子は一切なかった。これから戦闘を行おうとしているようにはとても見えず、日課のジョギングでも始めようかというような気軽さだ――それを見てミノスは呆れるでも苛立つでもなく、警戒心を強めた。
――この少女は、強い。
彼は武闘王ナインの途轍もない強さを知っている。彼だけでなく、クトコステンの市民であればほぼ全員がその顔と名前と肩書きを記憶していることだろう。
クトコステンの住民はほとんどが獣人。そして獣人とは強者を愛し、強者を敬う種族である。大都市にしては他都市の情報が入りづらく、また住民たちのほうも率先して知りたがろうとする者は少ないのだが、それでも『武闘王の誕生』というニュースは街のホットラインに乗った。その称号の特別さはクトコステンでも同様で――いや、ひょっとすれば只人の都市などよりもよっぽど注目されていると言ってもいいかもしれない。
国最高峰の武芸者の位。国自体に反感を持っているような者であってもその謳い文句にはどうしても弱くなるというもので……そしてそれはミノスも例外ではない。
元老院という万理平定省に連なる組織の下部構成員である彼は、自身は他のクトコステン市民と比べて運のいいほうだと思っている。とある事情から強者についての情報を共有することに近年余念のない元老院の方針によって、その所属である彼もまた普通の立場では入手しづらい鮮明な映像での第二百五十回闘錬演武大会決勝――要するにナインが優勝を決めた試合の様子を好きなだけ見ることができたからだ。
他の獣人たちで彼と同じような境遇の者がいったい何人いることだろう?
正確な多寡は不明だが少なくとも多くはない。
そんな少ない立場の中に自分がいたことを、試合を見ていない者たちに申し訳なく思いつつもその幸運に感謝もした……それだけあの決勝戦は素晴らしいのだった!
十回、二十回と繰り返し映像を再生させながらもまるで飽きがこない。何度見ても惚れ惚れする――特にラスト、対戦相手の高名冒険者ミドナ・チスキスが繰り出した大技。その映像越しでも総毛だつような力の結晶へ、それ以上に高純度な力で攻め勝ったナイン。あの決着の瞬間は毎度のようにため息が漏れる。眩い閃光によって激突した次の瞬間からは元老院の用意した映像でも何が起きているのかいまいちよくわからないのだが、しかしミノスには不思議と空白の一瞬がその目に映るかのようだった。
――ナインは、強い。
あるいはクトコステン中で最もそれを知識ではなく実感として知っているのはミノスであるのかもしれない。ならば何故、もはやナインのファンであると言っても過言ではないはずの彼が、それでも彼女がクトコステンへ入ることを是としないのか?
断じてもいい。彼に思惑や謀略などないと。
あったとしてもそれは先ほどナインに語って聞かせた通りの純然たる善意からくる配慮のみであり、ここでナインズ一行を足止めすることで彼に利となる何かがあるわけではまったくない。
ナインズの安全と市民の安全。その両方を想っての行為である。通行手形まで所持している者を相手とするには些かやりすぎな対応であることは確かだが、それも彼の良心からくる愛ある暴走である――などと言っても、本来なら不必要の戦闘行為を強要されるナインにとっては「そんなこと言われても……」としか返せないだろう。だがそれでもいい。ミノスとて感謝されたくてやっているわけではないのだ。
物見遊山の旅人たちを追い返したことは一度や二度じゃきかない。彼は『難あり』と判断すればそのつど決然とした態度で通行を許可せず、渋るようなら腕ずくで帰してやった。恨まれていることだろう。クトコステンが――亜人都市というのがどういった街であるかその実情を知らぬ者からすればミノスの横暴に腹を立てて当然だ。しかしいくら口で説明しようと今のクトコステンの情勢は他都市の住民、それも亜人種ならばまだしも只人には到底理解しがたいものである。彼らの多くは獣人がどれだけ不満を持っているかすらも知らない――只人ならば容易に行える都市から都市への移住も獣人からすれば夢のまた夢とも言える難度の高い行為であることすらも、知らないのだから。
やがて国の、あるいは万理平定省内部の誰かの思い通りに獣人は「誰が只人のうじゃうじゃいる場所へ住むものか」と意地を張るようにして自らクトコステンへ閉じこもる流れができた。……だがそれも決して本心からくるものではない。
その証拠が改革派の存在であり、獣人の立場向上と解放を訴える一派の勢力が年々強まっていくこともいい例だ。しかしてその反対の派閥とされている保守派とて改革自体を拒否しているわけではないのだ。彼らが望むのは「穏便な改革」であり、結局のところどちらの派閥であっても今の状況を良しとしてはいないということがよく分かる――そのことをクトコステンに籍を置く獣人の一人してよくよく知っているミノスは、故に己が行いを改めることを決してしないのだ。
闘錬演武大会の優勝チーム、そして武闘王。
どんな大事件の引き金なるか定かではない彼女たちを、揚々と受け入れてやることなどできるはずもないのだ。
――ナインは強い、ならば……その強さを直接この身に教えてくれ。
実感だけでなく体感しないことには、武闘派事務員ミノス・モーリスは納得できない。
己の我儘だとは自覚している。
横暴乱暴、大いに結構。
それでこその『門番』である!
「あらかじめ言っておく――俺は本気を出さない」
「! ……、」
体操を終えてナインが開口一番言い放ったのは、ミノスの意気込みを鼻で笑うような内容だった。
さっきまでの取り繕ったような敬語もやめて、彼女は素の調子に見えるごく自然体な雰囲気で言葉を続けた。
「本気にはならない。そのうえでミノスさんを倒す。どうかそれで、俺たちが街に入ることを了承してほしい。なるべく円満にいきたいからな」
「……いいだろう! 条件は『俺を圧倒すること』だからな。本気を出そうが出すまいがそれはそちらの自由だ」
舐めているのかと憤ってもおかしくないところだが、ミノスはちらりとも怒気を見せることなく冷静に言葉を返した。
本気にはならないとは即ち、決勝戦での『あの状態』にならないということだろう。
全身から白いオーラを放ち、長い白髪を天へと逆立たせ、射貫くような深紅の輝きを両の眼から迸らせる、人間離れしたあの姿。
あれを披露するに値しないと判じられたことは屈辱ではあるが、しかし強者は驕って当然。むしろここはその油断を歓迎すべき場面でもある。
――力も手も好きなだけ抜けばいい。その隙を突いて、武闘王を下してやるのも悪くない。
事務職ではあっても、その前に獣人として――元戦士職として。
強敵を倒そうとするからには、積極的に判断ミスを促してやることもするのだ。
(これは力比べなんかじゃない――だが負けを認める前提の茶番でもない! 俺はあくまでもお前を潰すつもりでいかせてもらうぞッ、武闘王!!)
「うおぉおおおおっっ!!」
猛然と走り出したミノスは全身を武器としてぶつかりかかろうとする。地面を揺らし直進する彼の巨体は相当な威圧感を相手に与えることだろう――ただしそこに立ち塞がるは怪物少女。
「う……っ!?」
手の平であっさりと止められる。
ミノスの三百キロを超える体重の激突。それをどう見繕っても三十キロ前後という背丈の少女が片手で易々と受け止めるその光景は、実際に目にしていても恐ろしく非現実的で激しい違和感に襲われることだろう。検問所からこっそりと戦闘の様子を窺っているミノスの同僚たちもそれを見て息を呑むようにする。彼らも武闘王ナインの強さは映像から克明に胸に刻んでいるが、こうしてその力をまざまざと見せつけられるとやはり改めて衝撃的なものが――
などという周囲の者たちの驚きなどつゆ知らず、ナインはぐっと空いているほうの手を握り。
「ふんっ!」
「ぐぅあ……っっ!!」
躊躇なくぶち込む。
巨岩をも叩き割る少女の絶拳がもろにミノスの胴部へと突き刺さり、哀れ牛人はその巨体を崩す――かと思えば然もあらず。
「! へえ……」
「ぬぅ、ふうぅ――、」
耐えた。
ミノス・モーリスは炸裂したナインからの殴打を防御もなしに、その壮健なる肉体でもって見事に耐えてみせたのだ。
これにはナインも目を見開き……そしてどこか嬉しそうに口元を緩めた。
「やるなぁ、ミノスさん。俺は決める気で殴ったんだぜ?」
「なんの、これしき……! 勝負を終えるにはまだ早いぞナイン――次はこっちがとびきりを食らわせてやろうじゃないか!」




