298 秒読みのクトコステン
色々キャラ出してとっ散らかっている感あるのでざっとしたクトコステンのまとめをば
次話からようやくナインたちを出せます
クトコステンは常に騒がしい街だ。同じくいつでもどこにでも騒ぎが広がるエルトナーゼと差異があるとすれば、より暴力的な事件が頻発しているという点だろうか。喧嘩っ早い性質の獣人がほとんどであればそうもなろう、などと思うかもしれないが比較対象はあのエルトナーゼだ。住民間での暴力沙汰の件数は負けず劣らずといったところだったはず――十数年前までは確かにそうだった。始まりがどんな小さないざこざであっても本格的な闘争行為にまで発展してしまう傾向が特段に強くなったのはやはり、この都市特有の問題がいよいよ目に見える形で人々に影響を及ぼし始めたからなのだろう。
東西間の分裂……保守派と改革派は長年をかけて仲間で寄り添うように居住を移すようになり、成立直後にはなかったはずの住み分けも三百年以上が経過した今となっては完全に東と西で都市を分断するまでに至ってしまった。
長い問題はそれだけ根深いものになる。何世代にも渡って保守の立場を守る者、改革を目指す者、そして相手側へと移る者。今世代ともなれば生まれた時から当たり前のように周囲の思想は――家族も友人も道ですれ違う顔見知りさえも――ひとつの派閥へ固まることになる。だから明確なきっかけがなければ対立陣営に寝返る発想になどならないし、なったとしてもそれを実行することはそれまでの人生を捨てることにも等しく、言うほど簡単なことではない。だがそれでも、そういった行動を起こす者が毎年度現れるのだから不思議なものだ。
自分たちは正しくない。そう結論付けたとて、だからと言って対立する側が正しいとも限らないはずなのに、必ずどちらかの陣営に入っていなければならないと盲目的に信じて疑わない住民たちの定まってしまった意識こそが、そのままクトコステンの現状を表していると言えるだろう。
どっちつかず。
そんな風に言うとまるで童話の蝙蝠が如く日和見主義の狡賢い小心者を指しているように聞こえるかもしれないが、クトコステンに住む彼らはそうではない。
例えば治安維持局所属の職員。
クトコステン支部に勤める彼らは全員が獣人であり都市出身者のみで構成されているが、彼らに思想の偏りはない。どちらの派閥へ与するようなこともなく公正な立場を貫いている。変わるべきか変わらざるべきか、街の行く末への個人的な思いや願いはあれどそれを態度に出すようなことはせず、もっと狭い目で人を見る。それが彼らの仕事だ。そして連続する事件にまるで手の追いついていない状態ながらも懸命に日夜奮闘している苦労人たちでもある。
そんな彼らの協力者兼邪魔者となる人物たちもクトコステンにはいる。
それが『神逸六境』。
住民たちより二つ名で呼ばれるほどに浸透した街切っての強者六人の総称である。クトコステンは獣人の街であり、彼らは只人(獣人たちの使う純粋な人間種に対する呼称)よりも強き者への憧れや畏敬が強い。そんな住民たちから認められるほどの明確な強者がいるということは、その六人がそれだけ活躍していることに他ならない。
自治裁量。都市長でもなければ地主でもない彼らにそんな権限などありはしないが――そもそもクトコステンに都市長はいないのだが――二つ名持ちには残念ながら常識など通用しない。
神逸六境は勝手に裁く。
目に付いた悪を、悪意を、悪行を。
行き過ぎた行為を咎めるべく行き過ぎた行為を行う彼らに治安維持局は頭を抱えている。しかして彼らの強さは本物で、日に日に混乱が助長される街の混迷化を少なからず緩やかにしている要因でもある。住民たちからの支持も厚い。特に改革派がこれ見よがしに保守派地区で乱闘などを繰り返すようになっている今は、保守派陣営からまるでヒーローが如く扱われまでしている。
しかし、勘違いしてはいけない。彼らは治安維持局と同じで、特定の派閥へ肩入れしているという訳ではないのだ。「咎には報いを」の精神だけで自身が悪と断じた者へ私闘を吹っかけているだけの、要するに質の悪いならず者とやっていること自体はなんら変わりない野蛮人たちである。
機会があれば取り締まる、と治安維持局は一貫して神逸六境の存在を認めないスタンスを取っているが――取らざるを得ないのだが、これで本当に彼らを全員を『大監獄』の檻の中に押し込めたとしたら、街は更に酷い方向へと向かうのだろう。戦り合って勝てる保証もなければ仮に勝てたとしても生じるであろう被害、そして逮捕によって起きる多大なる影響の余波を思えば容易に手出しできないというのが実情でもある。
こんな事態に陥ってしまうことがクトコステンが正常でない何よりの証拠。
五大都市の中でもリブレライトに次ぐ広大さを持つこの街が、それ故に一度広がり決定付けられた流れというものは容易く止まってはくれない。
保守派を取りまとめる『市政会』と改革派の中心である『革命会』は治安維持局や神逸六境という中庸たちとは正反対の、それぞれの派閥の筆頭であり旗頭でもある。長い歴史の中で対立構造に変化はなけれども行われた最低限の交友関係を持つための年に一度の『交流儀』――各々が持つ国最高峰のマジックアイテムである『聖杖』と『聖槍』とに友愛を誓い合うことが慣例となっていた街を挙げての祭典も、もう久しく執り行われていない。
これではいけないと思い立った者たちが立ち上がり、近年市政会も革命会もその内部で大きな動きを見せた。
急な代表の代替わりを果たし、その直後に決定となったのが久方ぶりの交流儀の開催。
前回から二十年ぶりとなる本年度に置いて近日中に市政会代表と革命会代表が友好を結ぶことが発表されたのである。
反応は様々で、これを機に改革派が目を覚ますだろうと笑い合う保守派もいれば、これを機に改革派が攻めてくるのではと警戒する保守派もいる。また改革派にも保守派の策謀を疑う声や、本当に市政会を潰してしまおうと有志と共に革命会へ協力を訴え出る者も現れた。
交流儀などと言っても結局のところ、どちらか一方が「間違っている」のだと断じている――だからこそもう一方が「正しい」のだと決めつけている彼ら彼女らは、相手へ自分たちから歩み寄るなどということは一切考えられない。そんなことは思いつきもしない。対立陣営こそが折れて譲歩して謝罪すべきなのだと凝り固まった思考しかできない。
あるいは、そういった固定観念に縛られない柔らかい発想を持つ者であれば……数は少なくとも確かに住民の中にいる獣人以外の種族たち――国を持たず獣種で群れるだけしかしてこなかった獣人とは別の歴史を持つ、ドワーフやエルフ、リザードマン、ケンタウロス、竜人たちといった亜人種たちはこの違和感に気付いているのかもしれない。
あまりにも急激な東西間での仲の険悪化。深刻になり始めたのは前述したように十数年も前からだが、保守派がいっそう意固地になり、改革派がいっそう過激になったここ数年の目まぐるしいまでの変化ははっきり言って常軌を逸している。
まるで誰かがそれを望み、誘導しているように――そしてこの数ヵ月で、その流れはより速く、より強くなっている。
明らかにおかしい。
そう感じる者も、都市住民の中にはきっといるだろう。それを人に話すこともするだろう。――しかしそれだけだ。人一人にできることなど、所詮はその程度。個人で流れを変えられるような者などいない。似たような思いを抱く者たちが数十名集まったところでそれは同じだ。
もしもそこに、例外がいるとすれば。
誰かの意思によって作り上げられたような、『破滅へ向かう街』の未来予想図を――それを脳内に描き嗤う何者かの邪悪な意志の跳梁を阻止できる者がいるとすれば、それは。
たった一人でも流れに対抗できるだけの、圧倒的な何かを持つ者だけ。
治安維持局も、神逸六境ほどの強者でも叶わないそれができる、そんな可能性を持つ者がいるのだとすれば。
それはきっと――。




