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291 女中イーファの憂鬱・下

 無事に会合室までルリアを送り届けたイーファは扉の前でひっそりと息をつく。これから一時間半ほど話し合いが続くことになる――その間に自分の昼食とルリアの入浴の準備を済ませておくか、と自身に活を入れ直して移動を始めたところ、向かう廊下の先から二人の只人・・がやってくるのが視界に入った。


 近づいてきた彼女たちの内、背の低いほうが手を上げて愛想よく挨拶を寄越してきた。


「イーファさんこんにちわー。聞きたいんだけどさ、もしかしなくてももう会合って始まっちゃった?」

「……ええ、つい今しがたに。遅刻ですよマイネス様」

「あはっはー。ごめんごめん。でも私ってほら、時間とかに縛られる女じゃないからさぁ」

「イクア。謝りながら妙な威勢を張るのはやめてくださいね」


 笑う少女と、それを窘めた女性はイクア・マイネスとその付き人のキャンディナという。


 この一見するとどこにでもいそうな子供にしか見えないイクアこそが、前述した『協力者』の正体である。


 彼女たちはルリアがただの会員の一人として入会した後からやって来た謎の多い只人連中であった。

 どういう訳か市政会の長職に就く者たちから気に入られているイクア・マイネスは、まだ幼いながらに此度の選挙で圧倒的な手腕で瞬く間にルリアの味方を増やし、前会長派閥に属していた幹部数人にまでも彼女の説得の後には別人のように態度を入れ替えさせまでした恐るべき少女でもある。


 そんな彼女を危険視し直接排除しようとする動きも残りの前会長派閥から出たが――それは公的な理由で追い出されない程度にはイクアが聡明かつ警戒を絶やさない慎重さを持っていたからだ――そのことごとくが付き人キャンディナの手によって返り討ちにあい、襲撃者たちは全員惨たらしい死体となって内々に処理された。

 そんなルリアには知らされない裏の攻防を制したことで選挙の趨勢は決まり、その結果前会長は心をぽっきりと折られ自ら逃げるように市政会を去った。ひょっとするも彼はもうクトコステンのどこにもいないのかもしれない――。


 只人ながらに間違いなく政権交代に最も貢献した人物であるイクアはしかし、それを周囲へ誇ることなく、さりとて傲ることもなくルリア政権を影に日向にと熱心に支え続けている。まるで貞淑な妻を思わせる内助の功ぶりだが、イクア本人の野放図めいた明け透けな態度もあって彼女は良き隣人の如く獣人たちから受け入れられだしてもいる。


 直近では交流儀開催への風向きができたのも彼女の功績が大きいと言われており、革命会のほうにも内通者を仕込むことに成功したらしいイクアは今となってはもはや市政会になくてはならない存在である。


 もう一人いる彼女たちの保護者的な立ち位置にいると思われる只人の老人もいるが、そちらはあまり会館に顔を出すことはしない。歳が歳なだけにあてがわれた住処から外出することも殆どしていない様子だ。

 ただし時期によってはイクアが助言を求めて老人やキャンディナと一緒にあてがわれた会館の自室にこもり切っては何かしらの相談をしているのだが、そのたびにぎゃあぎゃあと騒がしい声を響かせるので、イーファを含めた女中たちは何度も何度も口酸っぱく「会館内ではお静かに」の注意をさせられている……いい加減に学んでくれと思わなくもないが、まあそれを除けば特に問題らしい問題もない。


 時折なんの届出もなしに数日間ふらっといなくなったり、こうして重要な会合に悪びれもせず遅れてきたりもするが長職と同等かそれ以上に忙しい身でもあるのだから多少時間にルーズなのもある程度は仕方ないことだろう。只人ながらに成熟しているならともかく、能力は別としても年齢で言えば彼女はまだまだ子供なのだ。いくら仕事ができたとて体力のほうがもたないこともあるだろうと、そういった点からもイクアは周囲から大目に見られている。


 イーファもまた、真剣に謝ろうとしないイクアに対していくらか思うところはあったがそれ以上厳しい言葉をかけようとはせず――そもそも彼女が謝るべき対象は自分などではない――「どうかお急ぎください」と軽く頭を下げながら二人の横を通り過ぎようとした……の、だが。


「いやー、いっつもご苦労様だね。会長ルリアの世話係って大変でしょー?」


「……なぜ、そのようなことを?」


 思いがけぬ台詞にイーファの足はぴたりと止まる。会話の前後が繋がっていない、だけでなくその内容が何より問題だった。


 聞きようによってはルリアを貶めているようにも受け取れる今の言葉。


 文面だけなら要職の主人へ仕える者としての苦労を単に労っているだけと思えなくもないが、イクアの口調とニヤニヤと人を食ったような顔つきが決してそれだけの意味ではないことをはっきりと教えてくれる――知りたくもないのにだ。


「っ、マイネス様――お答えください!」


 どういうつもりで吐かれた言葉なのか。その意味次第ではイーファはイクアを許すつもりはなかった。いくら重要なポストについていると言っても組織にとってもイーファにとっても最重要はルリアなのだ。その彼女を貶す旨の発言はたとえ軽口の一種だとしても到底看過できるものではない。場合によっては自ら規定罰則を『内監部』――獣人としての性質もあって何かと内輪で揉め事が起こりやすいため、それを迅速に収めるべく設置された仲裁役と取り締まりを担う激務の部署――へ進言することも視野に入れながら訊ね返したイーファの厳しい目付きを受けても、イクアはあくまでへらりと真剣味を感じさせずに答えた。



「だってさぁ……ルリアってたぶん、ぜーんぜんわかってないでしょ? イーファさんがどれだけ想ってくれているかってのを、さ」



「っ――、」


「イイ子だよ、ルリアは。すごくイイ子。獣人じゃない私にも最初から優しかったし、自分を支えてくれる周りの人たちへ常に感謝を忘れない――でも、それだけだよね。みんながどんな気持ちで支えているのかまでは理解できていないんだ。あの子が本当に知ろうとしているのは、マイスっていう幼馴染の犬人の気持ちだけなんじゃない? だから気付かないんだろうね。マイス以外から向けられている気持ちには見向きもしない――イーファさんがどれだけ親身に尽くしているのか、その行為の本質に目を向けようとは、あの子は思いもしないんだよ」


 悲しいね、とイクアは言う。


 まるで己が心の全てを見透かすようにして告げられた『悲しい』などという言葉にイーファは先の怒りとは別種の苛立ちを胸に覚えた。


「あ、あなたに――あなたなどに、私の何がっ……!」


 物騒な護衛キャンディナがすぐ横にいることも忘れて思わず少女の胸ぐらをつかみ上げようとしかけた、その時――機先を制するようにイクアが放った次なる言葉は、激情にかられたイーファの衝動が強制的に停止させられるほど衝撃的なものだった。


 それは彼女にとって、聞き返さずにはいられない――甘い甘い誘い水。


「今、なんと……?」



「ルリアがあなたのもの(・・・・・・)になる。あなただけを見てくれるようになる。そんな可能性がこの先にあると言ったら……イーファさんはどうするかな?」



 口の端をいやらしく吊り上げながらイクアは、掴みどころを見失ったイーファの腕を自ら取って……まるで『手を組む』かのように握手をした。


「イーファさんにとっても、そしてルリアにとっても幸福な結末エンディングになれるよう、私は協力を惜しまないよ? でもそれは、イーファさんがどうしたいか次第だね。さあ、言ってみて。あなたは本当は、何を願っているの? 市政会と革命会が歩み寄るままに、ルリアとマイスがくっつくこと? それとも――あなた自身の手でルリアを幸せにしてあげること? ――どっちかな?」


「私の、願いは――」


 促された返答はもはや、たったひとつに絞られているも同然で。

 棹さすことすらできずにイーファは望むことを望まれるがままに口にしてしまい。


「そっかそっか! よくわかったよイーファさん! それじゃああなたには、やらなくっちゃいけないことがあるよね――え、それがなんのか分からない? だったら私がどうすればいいのか、一から十まで丁寧に教えてあげるから心配しないで! ふふっ! うふふふふふふっ!」


 獣人以上に獣めいた形相で笑うその少女の手を振り払うことは叶わなかった――それがきっと、何かを捨てることになる選択だと、なんとなく理解していながら。


 それでも『最も欲しいもの』のために、彼女は選ばずにはいられなかったのだ。




 ――誘惑に抗えないイーファの姿。そして彼女の手を握るイクア・マイネスとそれを黙って見守るキャンディナの姿を、廊下の奥からひっそりと見つめている視線があることに……彼女たちはついぞ誰も気付くことはなかった。


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