289 【鉄騎】従える【氷姫】
改革過激派組織『ファランクス』が都市住民を巻き込んだ小規模な、しかし全体数を見ればかなりの広範囲かつ高頻度のテロ行為に精を出す一方、それに対抗せんと保守派から立ち上がる別の集団もいた。
それが対過激派組織『タワーズ』である。
有志の集いによって結成されたこの組織は、名前の通り過激派の暴挙へ然るべき報いを与えることを活動理念としており、実際に被害を受けた者やそれに近しい者たちで構成されているためにそのモチベーションは著しく高い。それこそ、亜人特区撤廃を目指そうと自分たちにとっては崇高な目標を抱いているつもりのファランクスにもなんら劣らない程度には、彼らの台頭をこれ以上許してなるものかと怒りに燃え滾っている者ばかりである。
そんな集団をまとめ上げるのがタワーズのリーダーである女性、獣人の中でもすらりと細身のスタイルをしている『豹人』のナトナティである。彼女は今日も過激派撲滅のための重要な一手を打つべく副リーダーかつ補佐役である歳の離れた妹スマスティとともに、かの人物たちの応対に心身を張り詰めて応じているところだった。
「ご足労いただきありがとうございます。今日は、先日依頼した件のお返事を頂けるということでよろしいのですね?」
毅然としていながらもどこか緊張した面持ちでナトナティはそう言った。彼女の座る背後にはスマスティが立って控えている。
それと対面している、招かれた側の人物たちもまた同様の配置でナトナティの言葉を聞き――その返事として「おほほ!」と席に座しているほうの女性が高らかな笑い声を上げた。
「ええ、そうですとも。なんだったらあの場ですぐにお答えしてあげてもよかったのに、あなたたちときたら告げるだけ告げて帰ってしまうんですもの」
ですからこうしてわざわざわたくしが足を運んで差し上げたのよ、と嫌味なく尊大な口調で言ってのけるその女性に、ナトナティは微笑みを返す。どうしても苦笑じみた笑い方になってしまったが、そこはしょうがない。
「申し訳ありません。考慮のための時間を用意したつもりでしたが余計な気遣いだったようで」
「いえ! その殊勝な心遣いを蔑ろにするわたくしではございませんわ。ですからきちっと五日間、考えさせてもらいました。けれどどれだけ考えようとも、やはりわたくしの答えは変わりませんわ――」
ごくり、とナトナティとスマスティの喉が我知らず鳴る。この返答如何によっては今後のタワーズの活動に大きな変更が出るのだ。その決定権を握っていると言ってもいい相手の返事が果たして色よいものであるかどうか……。
ぐわっと女性は立ち上がり、その豊満な胸を上下に大きく揺らして宣言した。
「答えは当然、『イエス』ですわ! 義を見てせざるは勇無きなり! タワーズの皆さまの弱きを助けようという志とこれまでの奮闘を聞いてわたくし、大いに心を打たれました! で、あるからして! あなた方にわたくしの力をお貸しすることを、ここに約束いたしましょう!」
「さすがでございますお嬢様!」
派手なドレス姿で露出した大きな胸に手を当てながら宣言した若き獣人女性を、背後の執事服を着た妙齢の、こちらも獣人である男性が拍手しつつ褒めたたえる。
頭の左右から生えた短な角から見て取れるように、彼らはともに『牛人』である。種族特性としての逞しく骨太な肉体を持つ二人は、対面する豹人たちがスマートなだけにこの空間では余計大柄さが際立って映った。ナトナティとスマスティが態度には出さずとも先ほどから内心圧倒されっぱなしなのは、何も女性としての象徴部位が自分たちの十倍はあろうかという圧巻のボリューム感に気圧されているだけではなく――彼女と彼の放つ強者としての貫禄に気圧されてしまっているからである。
「……ありがたい。神逸六境が一人、【氷姫】のあなたが我々に協力していただけるならこれ以上に力強いことはありません。まさに百人力――いえ、千人力です」
「おーほっほっほ! そうでしょうそうでしょう! そしてそれだけじゃなくってよ、ナトナティさん。私が手を貸すからにはこのクリムパもおまけで付いてくるのよ。そうでしょうクリムパ?」
「勿論にございます! このクリムパ・ロウパ、全霊を賭してジエット家が次代当主にあらせられるジエロお嬢様のお手伝いをすると誓っておりますゆえ」
「それは本当ですか! いやはや、なおのこと感謝の念に堪えません。【鉄騎】のお力添えまであるとなればますます心強いことです」
「やったね、お姉ちゃん!」
「ああ。これで私たちは勝利したも同然。タワーズは――この街は安泰だよ」
「とーぜんですわ!」
鼻高々、といった表情で胸を張る【氷姫】ジエロ・ジエット。ただでさえ巨大な胸が更に強調され同性でありながら豹人姉妹は揃って感謝も忘れそちらへ視線を吸い寄せられてしまう――が、「ごっほん」というクリムパの幾分か大げさな咳ごみによって我に返った。
「と、とにかく改めてお礼を。協力してもらえることと、我々の活動に理解を示してもらえたこと。タワーズの頭目を任されている身として本当に嬉しいことです。お二人とも、どうぞこれからよろしくお願いいたします」
「お願いします!」
「ふふっ。お二人とも、どうか頭をお上げくださいな。わたくしはとーぜんのことをしているまでですのよ――強者として! 人から頼られたならば手を差し伸べるのは、ごく当たり前のことなのですから」
「なんとお美しいことでしょう。ジエロお嬢様は騎士道を気高く歩まれる、実に良き主にございます!」
「おーほっほっほ! いいわよクリムパ、その調子でわたくしをもっと褒め称えなさい!」
「は、はは……」
強烈な個性を持つ二人を前にまたしても苦笑いをしてしまうナトナティであったが――その内心はしてやったりとファランクスへの対抗心で燃え上がっているところであった。
神逸六境を味方に引き込む、というのは言うほど易いことではない。何故なら彼らは揃いも揃っての奇人にして鬼人たち。自分のルールというものを明確に定めそれを周囲にも押し付けるだけの強さを持った厄介者である。完全中立を貫く治安維持局職員の【天網】と自由人として縛られることを極端に嫌う【風刎】に声をかけることなどあり得ないし、最も街中を奔放に動き回っている【雷撃】と目に付いた諍いをそれ以上の暴力で荒らしている【崩山】などはもはや論外。そもそも彼らが相手ではまず交渉の席につかせることすら至難である――それに比べて【氷姫】はどうか。
彼女は我を貫く神逸六境の中で唯一義務と義憤こそを信条として動く、最も話の通じる「可能性の高い」存在である。
絵に描いたような「お嬢様」かつ並外れた強さを誇る彼女もまた、その扱いは他の六境同様に難しい部分もありはする――が、それでも弱者を救うことを己が義務として受け入れている様子があるからには希望もあるだろうとナトナティは考えた。
ジエロだけでなく、彼女がうまく軍門に下ればもう一人の神逸六境である【鉄騎】クリムパもセットでついてくる公算が高いこともまた一層魅力的であった。
故に、ここ数週は彼女の目につくように、されど最大限さり気なくタワーズの人命救助の活動を見せつけ、それとなく知人として所属員を接触させつつ、機は熟したと判断できたタイミングで交渉ではなく『お願い』をした。相手の考えを尊重する姿勢を見せるためにわざと返事を待たずにいつでもいいからと期限を設けなかったのもきっと好印象に繋がったことだろう――細心の注意を払ってようやく手に入れたこの戦力。
……罷り間違っても無駄になどしない。
「改めてタワーズの活動をご説明しますと――むっ?」
「お姉ちゃん、いま聞こえたのって……!」
「ああ、スマスティの考えている通りだろう。今のは間違いなく悲鳴だった」
タワーズへの帰属意識を確固たるものにすべく今一度自分たちが何を目標としているのかの説明を行おうとしたところで、それを邪魔するように通りから(おそらく獣人女性が上げたと思われる)けたたましい叫び声が聞こえてきた。十中八九それは、誰かに助けを求める悲鳴の声。そして今もまだ大勢の怒鳴るような騒めきがここまで響いてくる。
事件の発生に顔色を変えたスマスティにナトナティが立ち上がりながら頷けば、
「おーほっほっほ!」
「っ、ジエットさん……?」
「ジエロでけっこうですわ、ナトナティさん。それよりも、なんと好都合でしょうか! これではまるで神がわたくしの活躍を望んでいるかのよう……いえ! 実際にこの世界が、わたくしの晴れやかなる舞台となることを願っているに違いありませんわ。そうよねクリムパ?」
「まさに、まさに! お嬢様の仰る通りかと存じます」
「ならば行きましょう! さあナトナティさん、あなた方が頼りにするこのわたくしがどれほど優れた存在であるか――改めて再確認するといいわ!」
「あ、ちょっと……」
豹人姉妹の呼び止める声はもはや彼女とその付き人には一切届かなかった。
意気揚々と事件の現場に向かったジエロ・ジエットは――【氷姫】の二つ名通りに向こう三十軒を氷海に沈めるという大惨事を引き起こしながら見事暴動の鎮圧を成し遂げた。
そのあまりの力の規格外ぶりと被害の大きさに、ナトナティは神逸六境を味方に引き込んでしまったのは早計だったのではないかと早速頭を抱えさせられることとなった。




