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リブレライト編クライマックス突入
館内を疾走するナイン一行。その足取りは極めて順調である――何せ、進行の邪魔が一切入らないからだ。妨害者が一人とて出てこないことを疑問視しながらも、彼女らの足が鈍ることはない。
目指す場所はただひとつ、これ見よがしに怪しい気配を垂れ流している館の一角である。
駆けながら、確認としてリュウシィは口を開いた。
「私と同じものを感じているかな? ナイン、クータ」
「うん、ぞわぞわする!」
「すまん、なんのことかさっぱりだ」
鳥肌を立てながら同意するクータに比べ、ナインの勘のなんと鈍いことだろうか。
しかしリュウシィはまだナインが「あの状態」になっていないことを承知しているので、眉を顰めることもなく「分からないのも無理はないね」と首を振った。
「感覚的な話だからね。私も口での説明は難しい……ただ、この濃密な気配が暗黒座会のボスから放たれているのだとすれば、想定以上に厄介な奴かもしれない」
「そうなのか? じゃあ気を付けとく」
真剣味があまり感じられない口調だが、決してリュウシィの忠告を軽んじているわけではない。
むしろこれがナインにとって最高の警戒なのだ。
短期間とはいえそれなりに戦闘経験を積んだナインだが、一端の戦士と呼べるような段階にはまだいない。本人の飛びぬけた強さもあって、警戒すると言っても雨が降るかもしれないから早めに用事を済ませよう、くらいの気概しか抱けないのだ。傘を持とうだとかそもそも出かけるのを中止しようという発想にはならない。
土砂降りの豪雨にもへこたれない肉体を持つ以上、そこまでして雨を――つまりは小さな脅威を避ける理由がないからだ。
「見えてきた。あの扉の向こうだ!」
目的地が近づいても三人は速度を緩めなかった。館へ乗り込んだ際と同じように、リュウシィが先頭切って扉をぶち破りながら侵入する。
重たいはずの扉がまるで小さな丸板のように軽々しく転がっていくなかで、三人は見た。
待ち構えていたのを隠すこともなく、堂々と出迎えるように侵入者を眺める男たちの姿を。
「よく来たな! 館の主としてこのオードリュス様が歓迎してやるぜ、治安維持局の屑共よぉ!」
猛るように吠えた男は、鋭い目をギラギラと気色に溢れさせながら三人の少女へ殺意をぶつける。
この程度の脅しで怯む者はこの中にいはしない――が、彼女たちは一瞬言葉に詰まった。
その原因は、不可解さである。濃密な気配は確かにこの部屋から漏れている。空間を充満するように寒々しいものが、より克明に感じられる。
しかしそれはオードリュスからでもなければ、隣の痩せた男からでもない。この二人とは別の何かが気配を放っている。だが、その何かが見当たらない。故にリュウシィとクータは少しばかりの困惑を抱いたのだ。
ちなみにナインは何も感じていない。ただリュウシィ任せにして本人は戦闘開始の合図を待っているだけである。言うなれば待機モードだ。
「おいおいどうしたあ? 怖い顔しちまって。この出会いをもっと喜んでくれよ、リュウシィ・ヴォルストガレフ局長様よお! わざわざこんなところまで出向いてくださって俺ぁ感激してんだぜ。それ相応のお出迎えはしてやっから安心しなぁ!」
「へえ、私のファンなの? それならこっちおいでよ、握手してあげるから」
「へはは! よりにもよってファンとは言ってくれるな――その逆だボケ! お前が憎くて憎くて堪らねえんだよ! だからこそ、ここで痛めつけられることに感謝してんのさ……のこのことその間抜けな面晒しに来てくれてどうもありがとうございますってなあ!」
「こりゃ握手だけじゃ満足してくれなさそうだから、特別にハグしてやってもいいよ。手前の薄汚い中身全部ぶちまけるくらい強烈なやつをさ……!」
リュウシィの全身から凄まじい怒気が弾ける。
オードリュスの殺意すら塗りつぶすそれにはナインも正直ドン引きした。クータも同じくだ。そしてだからこそ解せない事態に、遅ればせながらナインも違和感を覚えた。
味方すらも引かせるリュウシィの本気の威圧を受けてなお、オードリュスは笑みを崩していない――この奇妙さにナインは気付いたのだ。
当然、ナインが気付くのだからリュウシィだってとっくに気付いている。彼女とてプロだ、怒りは本物だがそれにかまけて観察を疎かにすることはない。その自慢の観察眼が目の前の異常を声高に訴えてくるのだ。
それは戦力分析の結果であった。彼女の推察では、オードリュスよりもその隣で油断なくこちらを見据えている痩せぎすの男のほうが、洗練された戦士の佇まいをしている――つまりはオードリュスより、実力は上と見ている。実際に戦ってはいないが、雰囲気や立ち姿だけでもある程度の実力は測れるというもの。
よもや歴戦のリュウシィがそれを見誤るはずもなく、この見立ては実に正確であった。
オードリュスはディゲンバーよりも、弱い。これは歴然とした事実だ。悪党としての才覚はともかくとして純粋な戦闘能力で言えば、彼はディゲンバーに一歩も二歩も劣っている。まさしくリュウシィの読み通りである。
だからこそ彼女は解せないのだ。武芸者として相応の力を持っているディゲンバーですらも、自分の怒気に気圧され額に玉のような汗を浮かべている。だというのに、それより実力の劣るはずのオードリュスが未だに余裕綽綽の態度を崩さないのはいったいどういうわけなのか?
リュウシィはそこはかとなく嫌な予感がした。
「おお、怖え怖え。局長様がご立腹だ。ディゲンバー、茶でも出してやったらどうだ? 一息つけばちったあ落ち着くんじゃねえの――くっく!」
「その態度がいつまで続くかな……ああ、楽しみだ。鼻水垂らしながら命乞いする数分後の君が想像できて、私はすっごく楽しみだよ」
「はっはあ! そりゃこっちのセリフだぜ! お前こそいつまでその上から目線が続くか見物だな――こいつをとくと御覧じろ!」
立ち位置をずらしたオードリュス。その背後の机に置かれた物体がナイン一行の目に晒された。
それは華美な装飾の施された美しい王冠であった。埋め込まれた赤い宝石がきらりとその存在感を放っている。しかし高価な品特有の過度な虚飾を感じさせない瀟洒な一品。見事な宝飾品という他ないが、リュウシィとクータは双眸鋭くその冠を睨みつけている。
無論、女子としての本能で輝く宝石に魅了されているわけではない。彼女たちはこの王冠こそが奇妙な気配の正体だと一目で見抜いたのである。だからこそ感心よりも警戒が勝った。
言わずもがなナインは「高そうだな」ぐらいの感想しか抱いていないが。
警戒を増したリュウシィに、オードリュスは嘲るように笑みを深めた。
「へっ、目付きが変わったな。さすがに少しは知識があるようだ――こいつは『七聖具』がひとつ、『聖冠』さ!」
「なにっ……!」
オードリュスの言葉に反応したのはこの場においてリュウシィただ一人だ。ハッとした表情で信じられないと言わんばかりに瞠目している。クータは七聖具というワードに聞き覚えがなく、首を傾げている。ナインもそれは同じなうえ、気配すらも感じ取れていないので余計に話についていけない。
ナインは内緒話をするように、こそりとリュウシィへ耳打ちした。
「なあなあ、聖冠ってなんぞ?」
「……一言で言うならとてつもない力を持ったマジックアイテムだよ。この国一番の宝のうちのひとつと言えば、どれだけ価値ある物か伝わるかな」
「マジかよ。そんな凄いもんをこいつが持ってるのか?」
訝しむナインに、リュウシィは内心で大きく頷き同意した。
間違ってもこんなチンピラあがりの悪党が持っていていいものではない。
普通ならブラフと切って捨てるところだが、見るに聖冠はすでに解放状態に入っている……つまりは、その真価を発揮しているということだ。これだけの力の奔流が偽物に出せるはずもなく、それはとりもなおさずオードリュスが『所持者』として聖冠を手中に収めていることすらも意味している。
リュウシィの腹から沸々と憤りがこみ上げる。先ほどとは毛色の違う怒りが彼女の顔を歪めた。
「どこから掠め取った……!? いや、お前たち如きにそんなことができるはずもない! 誰から受け取った!? お前なんぞに七聖具を寄越した最悪の間抜けはどこのどいつだ!」
「知りたきゃこいつにでも聞けばいい! 聞けるもんならなあ!」
オードリュスが机へ手をかざす。
否、正確には聖冠へかざしたのだ。
途端、美しき王冠が独りでに動きだした。ふわりと宙に浮いたかと思えば、半透明の膜に覆われ――その膜が変形するように、にょっきりと四本の脚を生やしたのだ。
「うえっ?」
ナインもこれには驚いた。かさかさと動く脚はまるで機械のようにも昆虫のようにも思える。聖冠は規則的かつ忙しない動作で机を掴み移動したかと思えば、危なげなく床に着地した。
荘厳な雰囲気すら纏っていた冠が今は一転、怪しげな生き物になってしまったことにナインに限らず一同は目を点にしている。初めて聖冠を使うオードリュスやディゲンバーも同様である。所持者の命令に従って動くことは知っていても、まさかこのような起動の仕方をするとは彼らも想像だにしていなかった。
全員が呆気に取られる中で、一人(?)マイペースに聖冠はかしゃかしゃと姿勢を調整し、ナインたちを見た。どこに目があるかは定かではないが、宝石部分を正面として冠は自身の所持者たるオードリュスの敵を見定める。
端から順に……クータを見て、リュウシィを見て、そして――ナインを見た。
瞬間。
ざわりと空気が揺らぎ、部屋全体に張り詰めた匂いが漂った。
その原因はナインにある。
聖冠からの視線が肌に刺さると同時、ナインの意識は自然と戦闘モードへと移り変わっていた。ここに来て初めてナインは敵の戦闘力を感じ取ることに成功したのだ。
――この冠は、ヤバい。
そう考えるまでもなく異常性を認識したナインは眼から深紅の輝きを放ち、その身を低く構えた。