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3 村娘マルサの親切心

 男の呼びかけに間を置かず、扉が開かれる。


「なんでしょうか、トリオルさん? ミッドさんも。……その子は?」


 出てきたのは素朴ながらも愛嬌のある印象を受ける、若い村娘であった。整いすぎていて怖いくらいの自分よりもよっぽど可愛い、という感想を少女は抱いた。


 端的に言って、少女好みの娘であったのだ。


 マルサと呼ばれたその村娘は、やはり少女の容姿を見て驚きの表情を浮かべた。透き通るような髪と肌に、宝石のように煌めく瞳。男たちと同じく、その浮世離れした造形には同性であっても目が離せない。


 ……今の少女が女性と称していい存在なのかどうかは議論の余地が残るが、少なくとも人目には女の子としか映っていないのは確かである。無論、その中身は一介の男子高校生なのだが。


「この子とは村の外で会ったんだ。どうも迷い子らしい。……いろいろと事情もありそうだから、聞いておいてくれないか。君のほうがこの子も話しやすいだろう」

「食事も出してくれるかな。それと……この村についても、話してやってくれ」


「え、それって――」


「一宿の提供と、説明だけでいい。他には何もしなくていいんだ。俺たちは村長のところに行ってくるよ」


「……分かり、ました」


 粛々と頷くマルサに、男たちはなんとも言えない笑みで返すと「お嬢ちゃん、今日はここで休むといい」と言い残して去っていった。その背中をなんとはなしに見送っていた少女だが、マルサから「中へどうぞ」と言われて素直に従った。


 やり取りがどうも気になるが、疑問はこのマルサという村娘に聞けばいい。とりあえずは寝床を確保したことで安堵する少女。しかしながら、半ば言われるがままといった感じで自分を預かった村娘マルサが内心でどう思っているかが気がかりでもある。疎ましく思われているのなら正直居心地は悪い……何か手伝えることがないか訊ねるのが先決だろうか。


「あなた、名前は?」


 家へと招き入れられ、きょろきょろと内装を見回す少女へマルサが問いかけた。

 初対面の人物に対する当たり前の質問だが、少女はうっと言葉に詰まった。


 すぐに返事をしない少女にマルサが首を傾げる。


「どうしたの? 名前が知りたいだけなんだけど……」

「いや、えっと」


 どうすればいい? 本名では明らかにこの肉体に合わないし、彼女らの名前とも響きが違いすぎて奇妙に思われることは間違いない。かといって咄嗟にいい偽名が浮かぶわけでもなく――


「な、無いんだけど」


「そう、ナインちゃんね」


 思わず名乗れる名など無いとカミングアウトしてしまった少女だが、村娘はそうとは解釈しなかったらしい。「(名前は)ナインだけど」と答えたのだと受け取ったのだ。


「……うん。ナインだよ」


 少女は迷わずそれに乗っかることにした。ここでぐだぐだとした問答を続けても意味はない。それより偽名に悩む手間が省けたことを喜ぼうではないか。


 今から俺は『ナイン』だ。それでいいさ。


 少女――ナインは、かいつまんで自分の事情を話すことにした。何はともあれ正体不明の女の子の素性についてマルサも知りたいだろうと思ったからだ。そこから説明しないことには話が進まないだろう。ただし、本当のことは間違っても言えはしないのだが。


 ナインの説明はずばり記憶喪失の一点張りであった。


 何をしに来たのか、どこから来たのか、誰か仲間は一緒ではないのか――そういった諸々の問いをすべて「覚えてない」の一辺倒で返した。それは投手から放たれたボールに毎度ピッチャー返しで応じるような真似であったが、一応はこれでも会話のキャッチボールの体は成り立っているはずだとナインは心を強く持つことでこの時間を乗り切ったのであった。


「そっか。自分のことは名前しか覚えてないなんて、困ったね」


 気の毒そうに見つめるマルサにナインは苦笑いを返した。口からの出まかせでこういう反応をされると良心の呵責に苛まれる。


「でもナインちゃんは……その、とっても特徴的だから。すぐにあなたのことを知っている人も見つかるんじゃないかしら」


 ナインのどこをとっても普通ではない容貌を「特徴的」の一言にまとめるのは、なるほど上手い。幼い少女本人に美辞麗句を並べるのもどうかと思ったマルサはそういう判断をしたのだが、ナインのほうはというと違う理解のしかたをしていた。


(特徴的……なんだ、そんなもんか。男たちを見つけたときは、白い髪に紅い眼は目立ってしょうがないんじゃないかとも思ったが……こっちの世界じゃそこまで珍しいもんでもないみたいだな)


 そのことに少しほっとしつつ、ナインは言う。

「そのためにも街を目指したいんだ。地図なんかがあれば見せてもらいたいんだけど」


 なるべく見かけらしい口調――変に畏まらず、かと言って馴れ馴れしすぎないように気を付ける――を意識しながら喋るのはちょっとばかし苦労するが、慣れるしかないなとナインは内心でため息をつく。


「この周辺のものならあるわ。少し待ってて」


 奥へと消えたマルサは間を置かず戻ってきた。その手には一枚の古びた羊皮紙があった。彼女は机の上にそれを広げると紙上の一点を指差しながら説明した。


「これが、あなたの今いる場所……エルサク村よ」

「エルサク村」

「そう。私たちの村。そしてここから一番近い街が、これね」


 つい、と羊皮紙の上を滑る指が違う箇所を差した。エルサク村とは森らしきものに挟まれた場所だ。


「ここが?」

「ええ。この――あ、ごめんなさい。座って説明するわ」


 立ちっぱなしもなんだと思ったマルサは少女に着席を促し、自らもその対面に座った。どれほどの距離を移動してきたかは記憶喪失のために聞き出せないが、ナインが疲れていることに違いはないだろうという配慮からだ。


「村から街までは直線距離で言えばそこまで離れていないんだけど、森を挟んでいるから移動には迂回が必要になるわ。一応、道はあるから迷いはしないと思う」


「……離れていない?」


 ナインはマルサの言葉に眉根を寄せた。


 エルサク村を示す点は非常に小さい。それこそ針の先を刺した痕のような小ささ。対して街はその数倍ほどはある。単に村と街の違いを強調しただけであればそう気にすることはないのだが、もしも現実の敷地を参考に地図が制作されているのであれば、ちょっと気がかりである。


 エルサク村はけっこう、広い。オーガのいた広場のような場所もそうだし、移動中にちらりと見えた畑はかなりの面積があるように思えた。家畜を飼育しているスペースもあった。建物こそそう多くはないが、村全体を考えたら広大と言ってもいいくらいだろう。


 そんなエルサク村が、この点。一見すると汚れか何かかと勘違いしてしまいそうな極小の丸印。


 ナインは地図から顔を上げてマルサへと訊ねた。


「街は、やっぱり大きいのかな」


「もちろんよ。『こことは比べ物にならないくらい広い』って街に行った経験がある人から聞いたことがある」


 その返答で、ナインはもう一度地図を見る。


 マルサの言葉が真実なら、点の大きさはそのまま土地面積の差を表している可能性が高い。街ってこんなに大きいのか――という驚きもそうだが、問題は村と街を分断している森である。


 めったくそに広いのだ。

 それこそ街を十倍、いやもっと広げたくらいの巨大さがある。

 村と街の差が正確であれば、この森もまた正しく描かれているということであり……ますますナインの眉間には深いしわができた。


「村から街までって、どのくらいかかる?」

「うーんと。馬で三日ちょっとの距離だったかしら」

「馬で三日。なるほど」


 もっともらしく頷きながらもこのナイン、実は何も分かってなどいなかった。何故なら彼女は馬の行進速度などまったく知らないからだ。


 一日でどれくらい進むか、一時間でどれくらい走れるのかすらも知識として持っていない。故に三日間ともなれば、その全体距離などは雲を掴むようにようとして思い浮かばず、朧げにすらも計ることはできなかった。


(というかそうか、この世界にも馬はいるのか。そういや家畜にも牛っぽいのがいたしな。てっきり人間以外はモンスターしかいないのかとばかり思ってたぜ。おっさんたちが担いでいた猪みたいなのにも派手な角が生えてたし――って、なるほど。この「馬」が必ずしも俺の知ってる馬じゃない可能性もあるんだよな。だったら予断は禁物だな……)


 となれば余計に道程の長さは判然としない。


 ううん、とうつむきながら唸る少女。その様子にマルサは柔らかい笑みを浮かべて言った。


「安心して。ちゃんと街まで案内の人をつけるから」

「えっ?」

「あなた一人を行かせたりはしないわよ」


 少女の足では街まで何十日とかかるか分からないし、そもそも所要時間よりも危険のほうが大きい。こんな幼い子に護衛もつけずに村から追い出すような真似をするつもりは、マルサにはなかった。


「明日の朝、すぐに出発するつもりでいてね。私はこれからあなたの案内を頼みに行くから、しばらくお留守番を――」


「ちょ、ちょっと待って」


 いくらなんでも性急すぎる、とナインは目を白黒させる。まるで一刻も早く出立させたいと言わんばかりのマルサへ「気持ちはありがたいけど」と立ち上がろうとするのを止めた。


「案内人は用意してくれなくていいよ。俺一人で行くから」


 思わず一人称を変え忘れて話すが、マルサはそこには反応しなかった。もっと聞き捨てならないことを少女が言っているからだ。


「何言ってるのっ、そんなのダメに決まってるじゃない! あなた一人でなんてすぐに――」


 叱りつけるような口調になってしまったマルサは自らの口を手で覆って言葉を止めた。怒鳴ったこともそうだが、それ以上喋っていると少女の耳には入れられないようなことを言ってしまいそうだったから。


「ご、ごめんねナインちゃん」

「? いや」


 謝るマルサに少女は首を傾げた。気にしているのは彼女だけで、ナインのほうは何も応えていない様子である。


 きょとんとしているその無邪気な顔を見て、マルサは安心と同時にそれ以上の不安を抱いた。それゆえに彼女はもっと決意を固めることになる。やはりこの子を一人にはできない、という義侠心に溢れた決意を。


「いいから、私の言うことを聞いて、ね? 悪いことは言わないから」

「……いらないんだけどなあ」


 ぼそぼそと呟く少女はまだ納得してくれていないようだ。この時のナインは自らの特異さが明るみに出るのはよろしくないとし、それがバレるのを恐れて村人の同行を断ろうとしているのだが、当然そんなことがマルサに見抜けるはずもなく。


 彼女の目には、無知な少女が意固地になって一人旅に拘っているようにしか見えなかった。


「ナインちゃん、よく聞いてね。あなたみたいな女の子が一人で遠出するのは――」

「あ」


 どうにか説得しようと語りだしたマルサを、ナインは呆けたような声で遮った。とあることを思い出し、どのみち村娘からの提案はお断りするしかないのではと思い至ったからだ。


「どうしたの?」


「朝一ですぐに出るっていうのは、できないんじゃないかな」


「? もしかして、早く起きるのは苦手?」


「いや、そーいうんじゃなく」


 ああ、子供だと思われてんだなー……と遠い目をしかけるナインだったが、どうにか気を持ち直して言った。


「いやほら、この村にオーガがいるでしょ? なんか俺、『明日はこいつ』って指名されたんだよね。だから勝手に村を出て行ったらあいつが怒るんじゃ……マルサ?」


 話すうちにみるみる顔色の変わっていくマルサを、少女は不審に思って名を呼んだ。

 目を見開き、わなわなと唇を震わせているその様は控えめに言っても不気味であった。


「お、おーい? どこか体調でも」

「アレにもう会ったの!? なんで!?」


 ナインからの呼びかけなどまるで聞こえていないかのように、マルサは必死の形相で激しく問うてきた。そのあまりの血相にナインは若干引きながらも「なんでもなにも」と答えた。


「さっき俺を連れてきてくれた……えーっと、トリオルさんとミッドさん、だっけ? あの二人がオーガと会わせてくれたんだよ。顔通しってやつ?」


「そんな……!」


「え、なに? マルサはどうしてそんなにショックを受けてるんだ?」


「……………………」


 いやそこで黙らないでくれよ、とナインは思うが急かすようなことはしなかった。青ざめている彼女には意を決するための時間が必要に見えたからだ。


 事情は汲み取れないものの、何かしら彼女にとって――あるいはこの村にとっての不都合な真実を、部外者に告げるための時間というものが。


「あのね、……その」


 言いあぐねる様子のマルサに、ナインは真摯な声音を心がけることにした。


「よく分からないけど、隠し事はなしにしてもらえると助かる。何かあるなら話してみてほしい。俺もちゃんと聞くから」


 正面から見据えられた、少女の薄紅の瞳。その輝きに呑まれるようにマルサはごくりと喉を鳴らし、決心した様子で口を開いた。


「オーガは村人を食べるのよ」


 モンスターが人間を捕食する。

 当たり前と言えば当たり前のことを口にしたマルサへ、ナインは――


「……へえ?」

 相も変わらずのあどけなさで相槌を打つのみであった。


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