285 ままならない治安維持局・後
エディスは大柄な体をソファの上で窮屈そうにごそごそ身じろぎさせてから、じろりと相手を見やった。彼と相対するは少女が二人。彼女たちはどちらも色素の淡く見える長髪を腰元まで伸ばし、黒の女性用スーツを着用している。十代前半にしか見えないうえに乱暴な喋り方をするシィスィーという少女にシックなスーツは些かミスマッチに思えるが、相方のセンテのほうはすらりと背が高く体付きも大人びているために、対照的によく着こなしているような印象を受ける。
揃って若く、また万理平定省からやって来る者特有の『気配』というものに薄い、この奇妙な二人組――。
言ってしまえば彼女たちは人間でありながら人間ではない。
その正体はかつてパラワンというとある天才女性によって改造された孤児たちが後に開発局に引き取られ、別の科学者の手によって実戦に耐えうるように再開発を施された恐るべき生体兵器――その名も秘匿強襲部隊『アドヴァンス』の構成員である。
強化人間などと大層な名付け方をされていることからも分かる通り、人の身に生まれながらもただの人ではなくなった彼女たちは当然、その身体機能も常人とは一線を画している。本来なら圧倒的に肉体スペックで勝るはずの獣人とも与するほどに恵まれた運動能力を所有しているのだ。
シィスィーもセンテも一見すると普通の少女にしか見えず、自分たちの所属の詳細を明かすこともしてないがしかし、それらの事実を知らされずとも局長エディスはその観察眼から目の前の少女たちが間違ってもただの人間でないことを既に見抜いていた。
けれど、彼の物憂げにも思える表情は何もそればかりが理由なのではなかった。
「まあ、見ての通りこちらは猫の手も借りたい状況なものですから……お手伝いいただけるのであれば嬉しいんですがねえ。しかし、ちと不安でもありますな」
「あーん? なにがだよ」
「それはもちろん、おふた方の急な心変わりが、ですよ。今日まで私たちの仕事ぶりになんぞまるで目を向けていなかった……どころか、コアランさんも含めて街のどこにいるのかもよくわからないまま、まるでうちを放置するような監査の仕方だったじゃないですか? だというのにいきなり『手伝おう』だなんて言われても――ほら、うちとしてもね。監査官を内に招き入れるともなれば特に疚しいことがなくても警戒してしまうというものですから」
可能な限り濁した「お前たちは信用ならない」という指摘は、しかしシィスィーにはまったく通じなかったようだった。
彼女は笑いながら膝を叩き、
「んだよ、そんなことか。そっちも心配すんな、近くからあんたらを見張ろうとなんざしてねーからよ。そっちがイヤでも緊張しちまうってんなら、俺らは俺らだけで動いてもいいんだぜ。あんたの許可さえもらえれば一時的でも局の職員っていう扱いにできるんだろ? コアランがそう言ってたのを俺は確かに聞いたぜ」
「…………」
エディスは苦虫を噛み潰したような顔になる。
快活に語るシィスィーからその隣のセンテへ視線を向けるが、彼女は彼女でただにこにこと笑っているだけだった。
エディスの言葉の裏を彼女のほうは正確に読み取っているように見受けられるが、あえてそれに反応せずやり取りをシィスィーに任せている――というよりも委ねているようだ。
どうしようもない、と熊人はずんぐりとした指先でもう一度頭をこりこりと掻きながら承諾の意を返した。元より万理平定省の名を出されてはこちらに拒否権などないも同然なのだ。向こうに気を変えさせるしか回避の手段はないが、どうやらそれも無理らしい。そう理解したからにはもはや諾々と提案を受け入れるほかない。
その後すぐ、驚きの手早さで許可証が発行されてしまう。局間嘱託の手続きが正式に受理されるまでをご丁寧に傍らで見守った二人の監査官は満足げに事務所を出ていった。早速仕事に取り掛かるつもりでいるのかどうか、それは彼女たちのみぞ知ることであった。
「局長、いいでんすか? 正直に言わせてもらえば……あの二人もディーモとかいう執行官も、私には少しも良く思えないんです」
「そりゃー俺もだよジーナ。監査は数年ごとにあるが通達から実施までがここまで早かったことはないし、開発局から協力者を引っ張ってきているのも妙だしなぁ……あの子らも開発局員って感じが全然しない。何より三人ともに、これまでの監査官とはまったく仕事のやり方が違いすぎている。――こりゃあ、明らかに別の目的があるってのが丸わかりだよ」
「それがわかっているのに、捜査と逮捕の権限を与えたんですか?」
「そりゃそうっすよ、そうしなきゃ最悪うちがお取り潰しになるかもっすからねー」
「そうそう、そういうことだとも」
横手から恐ろしいことをさらっと言ったハンシーに、鹿爪らしく頷くエディス。
世間話をするような気軽な雰囲気で二人にそう述べられたからこそ、ジーナにも万理平定省の権力がどれほど絶対的なものかがしかと伝わった。
「……嫌ですね、権力というのは。私が普段それに頼っている身分だからこそ、余計にそう思います」
「そうだなぁ。俺たちも、監査官たちも、結局はお上にへいこらと従って動かされている側に過ぎないんだから、たまらんよなぁ……。ま、焦らず腐らず、やれることをやるしかないってな。そういうわけで頼りにしてますよ、うちの若手ホープくん」
「局長……その呼び方はやめてもらっていいでしょうか。若手と言っても、実質私とラズベルの二人だけしかいないじゃないですか」
「あっ、ハンシーくん聞いたか? 今ジーナが君のことを年増ってぶへ!」
「言ったのはあんたっすね」
「フ、フラスさん、さすがに顔面グーはマズいですよ。これでもこの人はうちのトップなんですから」
「いいんすよ。こうしてやったほうが局長も喜ぶっすから」
「え、局長は殴られて喜ぶ人なんですか……?」
「いや、変に畏まられるよりも立場関係なく仲良くできたらいいなって思ってるだけだから――だから距離を取らないでくれるかなジーナ?」
「それより早く鼻血を止めてくださいっす。掃除するの私なんすからね?」
「君が出させた鼻血だろうに……というか全然止まらないんだが。いくらなんでも強く殴りすぎだぞ!」
「あ、また通報っすね。……あちゃー、どうやら『神逸六境案件』っす。メドヴィグがいない時に限ってこんな要請が来るとかついてないっすね」
「私が行きます! 場所はどこですか?」
「辰区みたいっすね。……ジーナちゃん、くれぐれも無茶は厳禁っすよ。戦うよりもまずは説得を試みるっす」
「了解しました! ではジーナ・スメタナ、出動します!」
制服をひっつかみ急いで着ながら、扉からではなくそんな暇すら惜しいとばかりに窓枠から勢いよく飛び出していくジーナ。すぐに遠ざかって見えなくった彼女の向かったほうを眺めながら、ハンシーがぽつりと呟いた。
「大丈夫っすかね……、ああは言っても無茶しがちなのがジーナちゃんっすから」
「まあ、彼女も順調に経験を積んできているところだ。神逸六境はあれでいてまったく話が通じないなんてことも……なくもないでもないし、きっと大丈夫さ」
「結局それ話が通じるのか通じないのかどっちなんすか……まったく。局長はほんと、楽天家っすね」
「ははは、それだけが俺の取柄だからなぁ」
「そうっすねえ」
「いや、そこは他にもいいところを挙げてくれる流れじゃないかな?」
「えーと……一個も思いつかねっす!」
ひどいぞハンシーくん! などと言って大げさな身振り手振りで騒ぎだすずんぐりとした熊人を見ながらハンシーは……日々激務の治安維持局がそれでもどうにか形になっているのは、間違いなくこの局長の人柄のおかげなのだろうと緩やかに微笑む。
「さて、私も仕事に戻るっすか。局長も時間取られた分、きびきび働くっすよ。サボったりしたらまたグーで行くっすからね」
「うーむ、どっちが局長なのかわからないなこれは……」
日夜激務の治安維持局は今日もこうしてどうにか回っていくのであった。




