284 ままならない治安維持局・前
誤字が多くて申し訳ない
「ただいま戻りましたっ!」
やや荒れた様子で乱暴に扉を開け放ちながら事務所に帰還した鳥人の少女ジーナ・スメタナを迎えたのは、丸く平べったい耳と跳ねた短いヒゲ、そして獣人の中でも特に細長い尻尾を持った『鼠人』の女性だった。
小柄で細身の彼女は一瞥しただけではジーナよりも年下に思えるほど幼い印象を見る者に与えるが、これでも十歳以上年上のれっきとした大先輩である。
自身のデスクでお茶を啜っていた彼女は陶器の茶碗をことりと静かに置き、それからジーナのほうを向いた。
「お帰りっすジーナちゃん。その荒れ方、また逃げられちゃった感じっすか?」
「ええ、その通りですよフラスさん。珍しく勘が当たってカマルを見つけられたんですが、ものの見事に振り切られてしまいました。本気の奴は速すぎる……!」
制服の上着を脱いでソファに叩きつけるようにして置く。ジーナの一挙一動に悔しさがにじみ出ているのを見て、治安維持局クトコステン支部局長付きであるハンシー・フラスは「チュッ」と短く鳴き声のようなものをあげて苦笑いを浮かべた。
「しょうがないっすよ、相手は『神逸六境』。現行犯じゃなきゃ確保にも移れねえですし、うちがマジでカマル・アルを捕まえようと思うんなら、彼女と同じく神逸六境のメドヴィグに出張ってもらわねえと……まあ、分が悪いっすよね」
「……ですね」
忸怩たる思いを表情に見え隠れさせながらも、素直にハンシーの言い分を認めるジーナ。これに頷くということは自分ではカマルに『追いつけない』ことまでもを認めてしまうに等しい。意地を張ってでも否定したい気持ちだってあるにはあるが、そんなことを職場の先輩相手にやったところで事実が覆るわけでも強くなれるわけでもない。少女とて、いかに自分が局の若手ホープなどと呼ばれていようとも、それだけで神逸六境と対等に渡り合えるなどとは思っていないのだ。
――六境という数字が示す通り、クトコステンには【雷撃】以外にも五人、恐ろしいのがいる。
その内の一人は治安維持局所属であり、紛れもなくエースを張っている人物だからいいものの、そんな彼と互角以上の強者が街には最低でも五人はいて、その他にも神逸六境のように名を売っていない未知なる強者もいるであろうことを思えば……現状の局ではあまりにも手が足りていないことは明らかである。
「そういえば、ドーグさんはどちらに? ラズベルの姿もないってことは、出動中ですか?」
「当たりっす。ジーナちゃんが出てからすぐ、午区から通報が入ったんすよ。けっこー人数多めの乱闘が起こったらしくて、メドヴィグが鎮圧にむかったっす。指導も兼ねてラズベルも連れてね」
メドヴィグ・ドーグ。【天網】の二つ名で神逸六境の一境を担う逞しき『獅子人』だ。その補佐としてジーナと同期の『兎人』、ラズベル・ランズベリーも最近ではよく彼と共に鎮圧・制圧任務に出るようになっている。
この面子に局長を加えたら、それで全メンバーだ。
クトコステンの治安維持局総員はたったの五名だけ……などと聞けばそれで仕事が回るはずがないと思われるだろうが、正職員の数が五名というだけで、街のあちこちに雑務や情報処理担当の非正規職員が詰める部署が設置されているのだ。それが獣人同士の情報網と相まってクトコステン独自の監視機能として働いているのだが、その全てのラインが集約される肝心の支部当局に五名しか人材がいないとなると、当然あれもこれもと手が届くことはない――つまり治安維持局は常日頃から深刻な人手不足に悩まされている事実に変わりはないということだ。
街の治安が劣悪化してからというもの、正職員への就職を希望する者などいなくなってしまった。
ここ十年の間に入った新規職員がジーナとラズベルだけだと言えば、どれだけ都市住民が取り締まりの仕事を危険で旨味も楽しみもない、碌でもないものだと考えているかがわかるというものだ。
ふう、と現状を憂うジーナがため息を吐きながら、ふと局長からの挨拶がまだなかったことに気付いた。この広さはあるもののたった一部屋しかない事務所で、局長は一番奥のスペースを衝立で仕切って自分専用の空間にしている。彼はいつだって――本当にいつどんな時でもだ――そこにいるのでメドヴィグたちのように不在の可能性を一切考えず、ジーナはそちらへ近付いていった。
いつもなら衝立越しにも「おかえんなさい」などと気の抜けた声をかけてくれる彼だ。ひょっとすると何かしらの書類とでも睨めっこをしていて自分の帰還に気付いていない可能性がある。ならこちらから挨拶をするのが職員としての礼儀だろう。そう考え、背後でハンシーが何かを言いかけたのも耳に届かず、さっさとジーナは奥を覗き込んでしまった。
「局長、ジーナ・スメタナただいま戻りまし、た……」
視界を遮っている衝立の端からひょいと顔を出すという、かなり砕けた態度の挨拶をする。
真面目なジーナがこんな風にしてしまう程度には、クトコステンの局長はざっくばらんで普段からまるで覇気のない人物なのだが……今日の彼はいつもと比べて顔つきに締まりがあるようだった。
その理由はジーナの言葉が尻すぼみになったのと同じもの。左半分をまるで応接室よろしく、テーブルを対面させたソファで挟むようにしている仕切りの中。片方のソファに深く腰掛ける局長の前には、ふたつの人影があった。
「おー、お帰りよジーナ。ちょっと悪いな、今は監査官のお二人と話をしているところなんだ」
「いえ……こちらこそ邪魔をしてしまって申し訳ありませんでした」
その二人を見てあからさまに眉を顰めたジーナだったが、口調は丁寧に、態度も幾分か格式ばったものへ変えながら恭しく頭を下げた。すっと下がった彼女の好判断を見送り、「さて」と局長である『熊人』エディス・エドゥーは彼を知らぬ者が見れば強面で怖いと感じさせるような顔で、改めて目の前の『少女二人』を見た。
「えーと……どこまでお話ししたところでしたっけね?」
「だからよー。忙しそうなお前たちのために手伝ってやろうかって言ってんだろうがよ、こっちはよ。善意の提案だぜー? なのにあんたときたら、まるでいい顔をしやがらねえ。こりゃどういうことだ? 治安維持局の局長様ともなれば、万理平定省直々の命令で動いている監査官にだっていくら無礼を働いても許されるってことなのか?」
「こら、だめじゃないのシィスィー。エドゥーさんはただ、私たちが局の仕事にまで手を出せば本来の業務に差し障りが出るんじゃないかと心配してくださっているのよ?」
「はーん、そうなのか? じゃああんた、良い奴だな。でも心配すんなよ、そっちはほら、俺たちと一緒に来てたあいつ……、あり? なあセンテ。あのおっさんの名前なんだっけ?」
濃い髭面に真っ黒なサングラス、その上で万理平定省のマーク付きのマントを羽織るという暑苦しい恰好をしたとある『おっさん』の人相は浮かぶものの、名前が出てこなかったシィスィーは隣へ顔を向けて訊ねる。センテならきちんと覚えているだろうという信頼は裏切られることなく、彼女はすぐに答えを教えてくれた。
「執行官のコアラン・ディーモさんよ。人の名前はちゃんと覚えるようにしなきゃ」
「そうそう、コアランだ! あいつと違って俺らは開発局所属の、デスクワークなんざ知らない根っからの『戦う者』だからな。面倒だし何すりゃいいのかよくわからん監査なんて仕事はあいつ一人に任せてよ、俺とセンテはあんたらの取り締まりを手伝ってやろうって言ってんだぜ。これでおわかりか?」
「……ええ、よーくわかりましたとも。しかしですなぁ……」
意気揚々と語りかけてくる少女を見ながら、どうにも困ったものだと言わんばかりにエディスはものぐさな仕草で頭を搔いた。
新登場のキャラがあまりにも多すぎる(憤慨)




