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282 老狼嗅ぎ分ける・前

誤字報告のお礼を失念しておりました!

遅れましたがここに感謝を記します

 嫌な街になったものだ。

 と、彼は窓から外の景観を眺めながらそう思った。


 今になって急にそう感じたのではない、これは彼がまだ若者だった頃からはっきりと抱いていた焦り(・・)だ――「状況は悪化していく」。たとえなんだろうとそれが自然と良くなることなどないのだ。良くするためには誰かが頑張らねばならない、何かを犠牲にしなければならない。そうしないことには物事が良い方向へ向かうことはない。



 改革派の本柱とも言える組織『革命会』の副会長、リーグ・ストンレンは極めて現実主義者であった。



 よく過去は記憶の中で美化されるなどと言うが、歳を取ったが故の懐古の精神を綺麗さっぱり取り除いたとしても、今と昔では明らかに違うと断言できる。昔とて住民同士のいざこざはそこかしこで起きていたし、派閥間の仲も当然良くはなかった――けれど、今ほど事件が頻発してはいなかったし、ここまで決定的に両派が分断されてもいなかった。


 酷くなっていく。


 年々、月々、日々ごとに、雪だるま式にクトコステンの問題は大きくなっていく。


 いや、それを例えるなら爆発寸前にまで膨らんだ爆弾のほうが相応しいかもしれない。どうにかしなければそれ(・・)がいずれ何もかもを壊してしまうことはわかりきっている。だからこそ彼は革命会に所属し、副会長の地位に就くまでになったのだ。


(だがよろしくないな、あれもこれも……。どうにもズレを感じて、気持ちが悪い――胸糞悪い。俺たちの進む方向に、まるで手を加えられているような不愉快さがある)


 リーグはこの国における亜人、とりわけ野蛮人と誤解されがちで差別されやすい獣人の立場を向上させるべく改革派へ賛同し、ここまでやってきた。そもそも只人・・基準で『亜人』などという呼称が罷り通っていること自体がおかしいのだ。ここは決して只人だけの国ではない。なのに都市ひとつに押し込められ、それ以外では「面白ければなんでもアリ」を謳うエルトナーゼや独自の文化交流を行なっている周辺村落などでしか獣人を見かけないこの現状がどれほど歪なものか――万理平定省の役人たちがいったい何を考えているのか、彼にはまったくもってわからないでいる。


 まずは都市の思想を、意思をひとつにする。国を相手にしようというときに内部分裂を起こしていては話にならない。保守派という実質的な改革反対派の勢力を取り込み、本当の意味でクトコステンを一個の街にすること。それがリーグの目標である。


 なので彼は決して、今の街の状態を快くは思っていなかった。



 何かを成すには何かを支払う必要がある。その過程で血が流れることもある。



 そう覚悟しているリーグだが、だからと言っていたずらに住民が傷付くことを良しとはしない。犠牲が出るにしても必要最小限に抑えたい。そう願って活動しているのに、市民間の対立は日夜その規模と深刻さを増していくばかりだ。


(思えば俺たち革命会が、そして保守派の『市政会』ができたのも住民たちのフラストレーションの解放を互いの組織で担うためという理由が大きかった。喧嘩や私闘という危険行為で暴れられ争われるよりも、政治的な対立としてまずは言葉を、思いこそを武器にしてほしい……そういう風に考えることができた両陣営の最初の数人によって、今日にまで続く形が出来上がった……それはいい。それは間違いなく良い変化だ。けれど――)


 血気盛んな若者だった当時のリーグはそんな思惑になど気付きもしていなかったが、そもそも革命会に入った動機が「俺が無駄な争いを終わらせてやる」という若さ特有の根拠を持たない自信と信念に基づくものだったので、彼は最初から適性を持っていたことになる。


 現実を見据えながらも、可能な限りの理想を追い求める為政者としての適性が――あれから三十年以上が過ぎた今でもその熱き想いは彼の胸から消えてなどいない。


 つい最近も革命会に大きな変化があった。

 それも彼の求める『良い変化』だ。


 革命会の会長はリーグとは正反対に過激な手段を好む男だった。マンネリ化していた保守派との派閥争いに一手を投じる役目として支持されて十数年前に当選した彼だが、当然原則穏健派のリーグとは反りが合わず、よく論争になっていた。組織としてはそれで案外均衡が取れてもいたのだが、過激派の増加によって会長派閥も悪い意味で勢いづき、最近は何かにつけやり過ぎている傾向にあった――それは穏健派でなくても目に余るほどであり、時には過激派に賛成することもあった中庸層すらも段々とついていけなくなり始めていた……そんな折に。



 会長職の交代(・・・・・・)が起きた。



 公正な選挙によって引きずりおろされた元会長は悪態をつきながら革命会を去っていった――シンパを連れて消えた彼がどんな行いに手を染めるか誰もが薄々察してはいたが本人の自由意思である以上、組織を去ることを止められはしなかった。しかし彼を引き留めなかった理由はそれだけでなく、単純に構っている暇がなかったからでもある。


 新会長は若かった。

 それこそリーグが革命会入りを果たした時の年齢とも変わりない、ひょっとするとそれよりも若いくらいの、まだ少年とも言えるようなあどけない犬人だ。


 街中の喧嘩で死人が出る例も増え始め、混沌とした不安を誰もが抱くようになっているところに突如として熱き正義を訴える若者が現れた。それは現実を知らぬ少年の誇大妄想にほかならず――しかしだからこそ穢れを知らず美しかった。


 暴力への心酔と怯懦で心を弱らせていた改革派の大半を占める中庸層は少年の持つ潔癖の輝きと無垢なる理想とに魅了され、あの会長に代表を続けさせるくらいならと半ば賭けのような気持ちで投票に踏み切った者が大半であった。


 実際、彼には誰もが背中を支えたくなってしまうような、上手く言葉では言えないような魅力がある――あるいはこれこそがカリスマなのか。不思議と力になろうと思える、彼の理想を一緒になって追いたいと思える、そんな魅力を持っている。


 リーグも副会長の立場から動かず、新政権を引き続き――否、これまで以上に全力で支え、未熟な若頭を育て上げる決意をした。革命会という改革派の旗頭の血塗られた一枚をどかし、新たに真っ白で目立つ綺麗な旗を掲げたのだ。良き変化、良き流れ。間違いなくリーグにとって理想的な方向へと組織は向かっているはず……だというのに、彼の表情は晴れなかった。


 それは楽観ばかりにかまけていられない、目に見える不安要素があるから。



「ストンレン副会長、探しましたよ」



「……ジェネスか」


 背後から声をかけられ、まるで今気付いたかのようにリーグはゆっくりと振り返った。狼人らしく鼻の利く彼はとうの昔から相手の接近を知っていたが、あえて無視をしていたのだ。そのことを承知しているはずの相手側も、まったく気にしていない様子でにこりと笑みを浮かべた。


 リック・ジェネス。革命会の書記長を務める彼は組織どころか街全体でも珍しいただの人間である。どういう経緯で革命会に入ったのか、前会長の時期に前々会長の伝手でやってきた彼はその優秀さで只人に対して良く思っていない獣人たちにも抜群の手腕でもって自身の価値を認めさせ、現在の役職を実力でもぎとった異色の俊英である。


 彼は躊躇いのない足取りで近づいてくると手に持ったボードから資料を数え、その内の何枚かを抜き取ってリーグへと手渡してきた。


「どうぞ、こちらに目を通しておいてください」


「これは?」


「例の件ですよ――『交流儀』。いよいよ計画を細かく詰めていくことになりましたので、既出の草案……というか大まかな希望案から現実的なものをいくつかまとめておきました。議事録に記載する前に副会長にもひとまずチェックをしてもらいたくて」


「そうか。相変わらず仕事が早いな」


「いえいえ。これが僕に任された役目なものですから」


 嫌味のない爽やかな笑顔で謙遜するジェネス。


 リーグは非常に優秀なこの男のことが――大嫌いであった。


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