281 鳥人は猫人に憤慨する
「やっぱりまた君だったか、カマル!」
「にゃ?」
声援に笑顔で応えていたカマルへ、厳しく声をかけながら集団の輪から進みでてくる者がいた。その顔を見てカマルは「げっ」という嫌そうな表情を隠しもしなかった。
「『また』はこっちの台詞だにゃ、ジーニャ……」
「ふざけるな。再三こんなことはやめろと警告しているのに聞く耳を持たない誰かさんのせいで、こっちもいたく迷惑しているんだぞ」
ピシっとした青いコートの制服姿が様になっているその人物――『治安維持局クトコステン支部』所属の最年少職員ジーナ・スメタナは唇を尖らせて反骨の意を示す目の前の少女の手を掴んだ。
「人助けは大いに結構! だが何度目だ? 君が暴力行為で事件を解決するのは――そんなことをしていい権利が君にはあるというのか?」
「……にゃいにゃ」
ふるふる、と首を振るカマルは一見すると神妙な様子である。まるでジーナからの指摘に心を痛め反省しているように見える……だが、彼女が次に何を言い出すかをジーナはよく把握していた。
「でも、やめるつもりはにゃいにゃ。ジーニャからすれば間違ってるのかもしれにゃいけど、私はそれでも……人を助ける!」
「君というやつは……っ! ……ならいいだろう、今日こそ逮捕だ! 改めてうちでじっくり話し合おうじゃないか――」
魔乱の手錠。
力の強い獣人を捕縛するために作られた、かけた相手の魔力操作を著しく阻害する効力を持つ特別性の手錠である。素材も『魔鋼』という特別なもので出来ており一際頑丈な造りとなっている。いかにカマルが優れた戦士であっても一度これを嵌められたら脱出は容易ではない。
必ずしも「不可能だ」と言い切れないのが恐ろしいところだが、そこはジーナが傍で目を光らせていればカバーできるだろう。
ということで銀色に光る輪っかを懐から取り出した彼女だったが――そこで当然のように「おいおい!」と周囲の獣人からの反発が起こった。
「ちょっと待ってくれや、局員さんよ! カマルちゃんはそこの店主を助けてくれたんだぜ!」
「そうだそうだ。【雷撃】の助けがなかったら今頃、俺たちの中に死人が出てたかもしれねえ」
「カマルお姉ちゃんは悪いことなんて何もしてないよ!」
「どうして逮捕しちゃうの!?」
ジェスの乱暴を遠巻きに眺めていた子供たちも今度ばかりは前に出て、カマルの無実を訴える。実際、彼らからすればカマルは人のいい料理店の店主を助けてくれた救世主なのだ。これで彼女のほうまで捕まってしまうというのであればただ見ているだけなどできないだろう……が、人助けのためとはいえ暴力を振るう行為は決して褒められたものではない。緊急性があったのは事実だが実力差からすれば些か過剰報復のきらいもある。そして何より、カマルが何度も何度も同じようなことを繰り返していることこそが問題だった。
自己裁量で人を裁く。
それが当たり前になってしまっている――これではいけない。
人を裁くべきは法だけ。悪への報いはルールで定めた通りにすべきだ。そうでなければならないとジーナ・スメタナは思っている。
私情で制裁を加える行為もまた『悪』であると。
カマルにはきっとそれがわかっていない。自身の行いが法的に正しくなくとも、人間的には絶対に正しいと信じ込んでいるのだ。そしてそうなった理由とは――
「あなたたちが……っ」
ヒーローを称えるようにカマルを称える獣人たち。
力ある者へ憧憬を抱き、力ある者の活躍を望み。
カマルに助けられたことを、間近でその武勇を拝めたことを自慢するようにまでなっている彼ら。
カマルがそのために日夜どれだけの無理を重ねているかなど――彼女のことを『強者』としか見ていない彼らには、まるで想像もつかないのだろう。
「っ……ふぅーっ!」
一瞬、ジーナは獰猛な顔を見せた。猛禽類を思わせるような三白眼となったその黒い瞳孔をぎろりと野次馬たちへ向ける。彼女の剣幕に思わず子供どころか大人たちまで怯み、しんと喧騒が静まった。
「……申し訳ないが、口を挟まないでいただきたい。私にも治安維持局員としての責務があるのです」
どうにか顔つきを元の人らしいそれに戻してから、ジーナは皮肉を言うような口調で大人しくしているカマルへ向き直った。
「さあ、私と一緒に来るんだカマル」
「自分だって、やってることはすごく乱暴だにゃ。いくら治安維持局だからって……」
「なんだ、捕まるのは不服か? 覚悟のうえでこんなことを繰り返していたんじゃないのか」
「そっちじゃないにゃ。今、ジーニャがみんにゃを脅したことにゃ」
「…………」
「威嚇してはにゃしを終わらせたがるのは、私たち獣人の悪い癖。謝るにゃ、ジーニャ。みんにゃにごめんにゃさいをしてくれたら、私は今日はおとにゃしく連れていかれるにゃ」
「……、」
ぎり、と歯噛みの音。
どこまでも衆目の、人々の、弱者の味方であろうと――悪の敵であろうとする彼女にジーナは苛立つ。
言っていること自体は正しいし、とても綺麗だ。
だが綺麗なばかりではやっていけない。
「いいか、私は君と違ってきちんと人を裁ける地位についている。自分の判断だけで逮捕できる権限を頂いているんだ。好き勝手暴れているだけの君とは違ってね!」
「そんにゃの、誰かから頂くものじゃにゃいにゃ」
「君の理屈なんか知るもんか! 【雷撃】だの『神逸六境』だのと馬鹿らしい呼び名で呼ばれて舞い上がったか? 調子に乗ったか? 言っておくが、君のやっていることはそこで気絶しているジェス・コーマンとなんら変わりない。自己満足の行動! それをたまたま一部の人たちが持て囃しているだけだ。それは間違っても『正しさ』なんかじゃないぞ――カマル・アル!」
本当は、一部の人たちなどという濁した言い方ではなく、「馬鹿ども」と言ってやりたかった。しかし興奮しながらもなけなしの理性で住民を愚弄する言葉は治安維持局職員に相応しくないと自制し、それでもせめて目の前の少女にだけでもこの気持ちが正確に伝わるようにと精一杯の感情を乗せたが――こちらを見るカマルの目は、とても悲しげだった。
「どうして、そんにゃこと言うにゃ? みんにゃが喜んでくれるにゃら、みんにゃが無事にゃら、それが一番だにゃ。幸せにゃ! 私の自己満足で救えるものがあるにゃら、私はやっぱり救うにゃ! ジーニャ。幼馴染みでも、私たちはやっぱり違いすぎるみたいにゃ――きっと理解は、してもらえにゃいんだにゃ……?」
「……ああ。理解なぞ、してやるものか」
喜び? 無事? ――幸せ?
そこに君自身の幸せは含まれているのか?
君の無事は、喜びは、果たしてどこにあるというのか。
どこまでも己を蔑ろにするその行為を、ジーナはどうしても認められない。
断じて正しいなどとは言ってやらない。
「にゃら、捕まるわけにはいかないにゃ」
「っ、逃げる気か!?」
そうはさせじと素早く手錠をかけようとしたジーナだが、一歩遅かった。ばちん! と電気の瞬く音が響いたかと思えば次の瞬間にもうカマルは屋根の上に立っていた。登場位置に舞い戻った彼女は、そのまま屋根伝いに逃走を図るつもりらしい。
「――私から逃げようなどと、本気か?」
「今までにゃんども逃げてるにゃ」
「それは私に捕まえる気がなかっただけだ。言ったろう、これまでは単なる警告だったと。だが今回は違う……必ず逮捕する」
ばさり、と。
ジーナの制服のコートに一部開いている隙間から、灰色の翼が展開された。鳥人。流浪の獣人族にして亜人特区クトコステンにおいても猫人以上に稀少な珍しい種族である。彼らには常に翼を生やしているタイプと自分の意思で出し入れ自在な二種類が存在しているが、ジーナは後者であるらしい。そして当然ながら、鳥人を名乗る以上はたとえ普段は引っ込めていたとしても――そのままだと街中では邪魔になることが多いとはジーナの談だ――こうして展開している姿が彼女にとって本領の状態であることは言うまでもない。
つまりはそれだけジーナが、カマルの捕獲に「本気」であるということ。
だがそれを見た【雷撃】は「にゃにゃん!」とおかしそうに笑った。
「そっちこそ本気にゃ? 私を相手に空高く飛び回るつもりでいるのにゃ?」
「お得意の雷撃か? ……そんなもの、当たらなければどうということはない」
「言ったにゃ。だったら――頑張って避けてみるといいにゃ!」
跳躍。それと同時に挨拶代わりの門術――『雷門・飛雷芯』を放つ。
「!」
カマルの跳躍よりも早く翼をはためかせてその頭上を取ろうとしていたジーナは、しかし狙いすまされた雷を見て自身の行動が読まれていたことを悟り――故に加速する。一瞬で最高速に達したジーナの飛行速度はカマルの予想を大きく上回るものだった。
「にゃにゃっ! 本当に避けちゃったにゃ!?」
「侮るなカマル――持て囃されて増長するからそうやって見誤るんだ!」
「もう! いちいち嫌にゃことを言うんだにゃあ!」
風を切るような速度で迫るジーナに、カマルは慌てたような顔をしながらも素早く屋根を駆けて逃げ始める。その脚力は相当なもので、こちらもまるで飛ぶように走る。ただし瞬発力なら負けるつもりはないが持久力勝負では分が悪い。ジーナに空を飛ばれているからには引き離すことも見失わせることも難しい以上、このままでは追いつかれるのも時間の問題か。
――ならばやるべきことはひとつ。
気は進まないが……久しぶりに、幼馴染みを相手に本格的な戦闘といこう。
「――ライラック」
カマルのとっておきの術が発動される。
続きそうな感じですが場面移ります