277 波乱万丈クシャ物語・玄
魔族とは亜人種ながらに必ず闇の魔力を有している世界的に見ても非常に珍しい種族のことを指す。人にも獣人にも闇属性への適性を持つ者は少数ながらに存在しているが、一族全員がそうという例は魔族をおいて他にはない。
……ただそれだけであったなら彼らが『魔族』などという、まるで魔獣や魔物の一種かのような呼称はされなかっただろう。
彼らの一番の特徴はなんと言ってもその殺戮衝動にあった。
同じく闇の魔力を持つ、魔界住まいの悪魔らと比較してもなお勝るその悪辣さは有名である。悪魔以上に人を壊し悪魔以上に人を殺す魔族の在り方は到底人間種にとっては受け入れられるものではなく、また魔族側も力を持つ者特有の傲慢さを隠しもせずに自らを上位者と名乗り、他の亜人種を劣等種と詰り搾取することを厭わなかった。
力で破壊し、力で支配す。
赴くままに踏み荒らし思うがままに何もかもを奪う。
畢竟、魔族とは例外なく邪悪な蛮族であり、そんな彼らが大戦時代という戦禍の渦中に何をするかなどもはや誰にとっても目に見えており。
予想を覆すことなく大戦の開始以降、腕に覚えのある魔族は部下を連れて気の向くままにあちらこちらへと足を伸ばし、大陸中に悲劇を広げていった。
そしてその一例には秘望郷も含まれる。
いかに外界との接触を断とうとしても人の営みがある以上完全なる孤立はあり得ない。たまたま郷を見つけた旅人や移住地を探す亜人種などといった偶然の出会いはいくつもあった。人の口に戸は立てられぬ。秘望郷の噂はまことしやかに囁かれ、知る人ぞ知る「仙人を目指す猿人たちの集い」があるらしい、などという本人たちの望まぬ形で大層な語り草となっていたが――それをとある魔族の男が耳にしてしまった。
次なる侵略地として歯ごたえのありそうな場所を探していた彼にとってはまさに渡りに船。
恐るべき行動の速さでそう時間をかけずに所在地に当たりを付けたその男は、豪傑揃いの配下を背後に従え進軍を開始。そう時間をかけることもなく見つけだした秘望郷へ空高くから侵略開始の旨を一方的に突きつけ、「必死の抵抗を望む」と住民たちからすれば腹立たしい言葉まで口にして。
自身を除き実に千五百人。
それだけの数の魔族を降下させ、猿人たちへと一斉に襲い掛からせた。
その時、大将を務める彼にとっての「期待通り」と「予想外」が同時に目の前で起こった。
◇◇◇
秘望郷住人の所属数はその当日でまだ腹の中の命も含めて百八十六名。
郷の特性上妊婦と胎児以外は全員が漏れなく戦える『戦士』ではあるが、流石に子供や老人では魔族を相手取るには厳しい。最高齢者である長老が率先して誘導を行い年老いた者や幼子が避難を開始する中、戦士としての過渡期を越えていない残りの計百一名が前線へと乗り出した。
既に全盛期を過ぎた男性、まだ幼さの抜けきらない少年少女たち、家庭に入ったことで以前ほど鍛錬に時間を割けていなかった女性など、そこには当然通常なら退がるべきであろう者たちも少なからずいたが――しかし仲間を守るため。圧倒的な数の差を埋めるべくして彼ら彼女らは決死の覚悟で戦士としての矜持を見せた。
その最たる者こそがクシャ・コウカ。いち早く戦線へ躍り出た――否、自らで以って戦端を切り開いた彼女の狙いは敵を一人でも多く自分へ集中させること。戦士たちにも避難者たちにも軍勢が矛を向ける前になるだけ多くを――その手で刈り取るために。
「手前らぁ! 己を見ろ、焼き付けろ! とくと群がり、そして散れぃ!」
齢にして八歳。
性別を抜きにしてもとても戦闘に身を置けるような体躯をしていないその少女が意気高く前に出てきても、魔族たちは「最初に死体になる子猿の一匹」としか認識していなかった。そしてそんな呑気な頭を物理的に吹っ飛ばされたことで、ようやくとんでもない誤解をしていたと気付く。
勇み出てきたは蛮勇の子供などではなく。
それを行うに相応しい秘望郷最強の戦士であったのだと。
「己の手でくたばることを光栄に思え、雑魚どもめ!」
気勢を発し、引きつける。自分の首を討ち取ることに躍起になるように仕向ける。クシャの獅子奮迅の活躍は目覚ましく、たった一人で魔族を瞬く間に二百人以上も打ち斃す途轍もない戦果を挙げた。彼女に戦力が割かれれば割かれるほどに他の仲間たちの負担も被害も減る。ここまで彼女の目論見は非常に上手い具合で達成されていたと言えるだろう――だがそこに誤算があるとすれば。
クシャは『活躍し過ぎた』のだ。
その力を魔族の軍勢へ見せつけ過ぎた。
そうしなければ仲間が滅ぶのだから他に選択肢はなかった――逃げてもどこまでも追いかけ必ず殺してやるとまで宣言されたのだから、力で迎撃する以外の道はなかった。
だからこそ我が身で降りかかる火の粉を受け止めるように力の限り敵を殺したクシャの頭上から、特大の火の玉が落ちてきた。
それは軍勢の大将。先ほどの宣戦布告からずっと上空で戦いを、いやクシャを眺めていたその偉丈夫は高みの見物を中止し自ら戦場へと降り立った。一際大きい黒馬から降りた彼は朗々と名乗りを上げてクシャへと剣を向ける。
期待した以上の強者を見つけたことで昂る彼に対し、クシャは威勢のいい口調とは裏腹にとても冷静だった。総大将を落とせば魔族の士気も著しく下がるはず。ここですぐにも男を縊り殺し、崩れた軍勢も残らず仕留める。一抹の禍根すら残すつもりのない彼女は自身の手で彼らを根絶やしにする覚悟を自然と決めていたし、それを実行できるだけの自信もあった。
だが、しかし。
彼女第二の誤算として、その偉丈夫がクシャにとっても容易に屠れないほどの難敵であったことが挙げられる。
転移に代表される空間魔法以上に使用者の限られた時間魔法。
それによって加速と減速を変幻自在に使いこなす大将の技量は拳聖と崇められた少女であっても対処困難な代物。
長引く戦闘にクシャは焦る。この男一人に掛かり切りになっているということは、残りの魔族が他の戦士たちへ向かっているということ。そして数で圧倒的に上回る彼らには逃げた猿人たちを追いかける部隊だっているはずなのだ。
未知なる魔法、未知なる剣技、未知なる殺意。
本能のままに暴れていたアロータスから浴びせられた獣が如き激しい戦意とも異なる、理性を持ったまま害意に覆いつくされた人としての醜悪なる性。それ故の武の冴えというものを相手に、しかしそれでもクシャは負けを知ろうとはしなかった。
相当に苦戦しいくつか深い傷を貰いもしたが、最後には彼女渾身の拳が男の剣を叩き折りながら心臓部へと突き刺さった。決着である。クシャも男もどちらが勝ったのかをしかと認識して――そしてそこからの行動に差が生じた。
もはや死にゆく以外にできることなどなかろうと思い込んでしまったクシャの眼前で、男は今際の果てにとある魔法を発動させた。それは彼もこれまでに成功させたことのない超高難度の時間魔法。自身の死と、このままではこの少女一人に軍勢が壊滅させられることを悟った彼は、残された力でクシャを飛ばすことにしたのだ。
対象を未来へ飛ばす『時送り』魔法。それがどれだけ高度な術であるかは魔法についてよく知らぬ者でもなんとなく理解はできるだろう――あまりの難しさから時間系の術に適性があっても唱えられる者がまず存在しないという空論じみたその術式を、しかし人生の終幕、断末魔にて彼はとうとう完成させ。
残りの命も、肉体も、血の一滴すらも捧げた生涯唯一にして最後の時送りは。
クシャ・コウカを百年先へと飛ばしたのだった。
◇◇◇
その地で起きた流血も落命も遥か遠き過去、もはや歴史の一幕となった百年も先の時代にて。
森のいずこより、どこからともなくその少女は現れた。
そこがどこかわからぬとでも言いたげな表情でしきりにきょろきょろと辺りを見回した後で、やがて体中から力が抜けたように膝をついてしまったその少女。
彼女が見たものは……かつての面影すらも残らないほどに荒れ果てた、元秘望郷の無残な姿であったという。
現代へ戻ります