27 侵攻開始
「推定と確定じゃ大きく違うさ。街の外だと立ち入り捜査もできないっていう明確な不備がうちにはあってね……クータが「偶然」調べてくれなかったら、私はリブレライトを出ることすら叶わなかったよ」
なんだそりゃ、とナインは呆れた。
呆れたがまあ、事情は分かった。治安維持局という組織が複雑で面倒なルールに縛られていることは、よーく理解できたところだ。もはやぐちぐちと突っつくようなことはすまい。密偵に関してはクータもノリノリで志願していたので、やる気を削ぐのもなんだかなと止めようとしなかったナインが不平を告げるのもお門違いなのだ。
気を取り直し、傍で勢いよく柔軟体操をしているクータへと声をかけた。
「気合十分って感じだな、クータ」
「うん、ご主人様! トカゲ目もゾンビ顔も、クータがぶっ倒すね!」
クータ曰く、トカゲ目というのが暗黒座会の首魁であり、ゾンビ顔というのがその側近のような人物のことらしい。
彼女の容姿に関する説明は非常に抽象的だったので詳細は掴めずじまいだが、この呼び方からなんとなくの想像はできている。
件の二人を思い浮かべながら素振りならぬ素蹴りを繰り出すクータを、ナインは興奮する動物を落ち着かせるようにどうどうと宥めた。
「そこまで気張らなくてもいいんだぞ。あくまで安全第一だ。今日は後詰めの人たちが控えててくれるし、リュウシィだって一緒に乗り込むんだしな」
「……むう」
何度か背中を預け合っている同士なので、クータもリュウシィの実力の程はよく知っている。というか、この二人は直接戦りあってもいるので、ある意味で強さへの信用は高いのだ。
ナインはあくまでクータの安全を慮ってそう言ったのだが、当の彼女はぷくう、とまん丸に頬を膨らませてしまう。
戸惑うナインに、クータは強い決意を感じさせる口調で先ほどと同じセリフを繰り返した。
「クータ、が、ぶっ倒すね!!」
「お、おう」
気迫に押されつい頷いてしまうナイン。
そこに至って、彼女には「自分よりリュウシィを頼ろうとしている」ように聞こえてしまったらしい、と気付く。
思わぬクータの発憤に、二人の会話を傍で聞くともなしに耳に入れていたリュウシィも事情を察して意地悪な口の曲げ方をした。
「できるのかねえ、クータちゃんに。活躍の間もなく、私とナインで全部終わらせちゃうかもな」
「むっ……! そんなことないもん! クータが最初に敵をやっつける!」
「自信があるのはいいことだけど、大言には実力が伴ってないとね」
「もうあのときのクータとは違うよ! 教えてあげようか!?」
「へえ……面白いこと言うんだね、クータちゃん。ならどう違っているのか今ここでご教授願おうかな――なーんて、冗談だって冗談。だからナイン、そんなおっかない顔で睨むのはやめてちょうだいよ」
「嘘つけ、絶対本気だったろお前。クータも、これからお仕事だってのに仲間内で体力減らしてどうすんだ。対抗意識を持つなとは言わんけど、ちゃんと協力するのが前提だぞ」
「はーい……ごめんなさい、ご主人様」
そこでついででもいいからリュウシィにも謝れたなら完璧なのだが……まあ、挑発じみた言動を始めたのがそのリュウシィなので、ここでクータに大人な対応を迫るのも公平ではない。
腕試しと称してただの喧嘩が行われるのを未然に防げただけでよしとしよう、とナインが内心で思っていると、横でリュウシィが真剣な表情をしながらぶつぶつと声を出し始めた。急におかしくなったのかと心配になる仕草だが、自分だけに見える妖精さんと楽しくお喋りしているとかではなくて、特定の部下から届くテレパシーのようなもので通話しているのだ。
(いや、この世界なら本物の妖精が出てきたってなにも不思議じゃないけどさ)
報告を聞きながら細かな指示を出していたリュウシィはやがて念話を終えて、ナインとクータへ向き直った。
「包囲が完了した。すぐに突入しよう。クータによれば連中、何かしらのアイテムを使う気らしいじゃないか。できればその準備が整う前に制圧してしまおう。間に合わない場合も考慮して、一応は妙な道具に気を付けるように。いいね」
「了解」
「りょうかい!」
「よし、それじゃあ――侵攻開始」
リブレライト近郊に連なる山々には、背の高い木々が身を寄せ合うように密生している。そんな大木の上を水切り石のように跳ねる影があった。
――リュウシィだ。
彼女は枝を足場に飛び移り、山中を進むのにもかかわらずまるで野原を行くがごとく直進していく。強靭な足腰での跳躍は一跳び一跳びが無類の飛距離を生み、例えるに伝説上の妖怪である「天狗」もかくやというような移動法である。
この見事な技術に「ワザマエだ……」と感嘆したナインはできることなら自分も同じように移動したかった。運動能力だけで言えばナインにだって十分可能なはずなのだが、彼女の体の動かし方はいかんせん素人のそれだ。
常識外れの膂力に物を言わせて道理をこじ開けることはできても、こういった歩行技術に近しい繊細なテクニックを必要とするものは簡単には真似できない。下手にリュウシィを参考にしようとしても枝を踏み外すか圧し折るかで跳ぶたびに地面に真っ逆さまだろう、と予知のようにリアルすぎる未来が見えたナインは素直にそれを諦めた。
ただ最短距離を行くリュウシィを下から追っていたのではどうしても遅れてしまう。同じくナインが最短を行くならブルドーザーも顔負けの直進力で木々を薙ぎ倒し一直線の更地を作り上げながら向かわねばならないだろう。
当たり前だがそんなことしていいはずがない。自然破壊への心痛もさることながら、突入前に派手に音を立てるなど間抜けの一言では済まされない。
なので、ナインはクータに運んでもらうことになった。
鳥モードのクータはそれなりに大きく立派な姿をしているものの、さすがに人を運べるほどの図体には到底見えない――が、ナインやリュウシィがよく知っているように実は見た目以上のパワーをその身に有している。
しかもナインの小さな背丈はクータからしても運びやすいコンパクトサイズである。両肩を脚で掴むことで、大鳥が幼子を攫うような不吉さを感じさせる格好ではあるものの、空送自体にはなんの障害もなかった。
リュウシィの後を追いながら、こうして運ぶのは二度目ながらも絶対に主人を落としてはならぬと前以上に気合が入り、ぎりぎりと両脚に力を込めるクータ。
これから戦いが待ち受けているということで過分に張り切っているらしい。
そのせいでまるで万力に挟まれたかのように締め上げられるナインは(ん……やけに力強くね? いやそうとう強いなこれすっげえ力だ、あ、痛い、痛てててて、ヤバくね?)と少しばかり身悶えたが不動の心で指摘はしなかった。クータの想いが故というのを配慮し、もし他人や物を運ぶ機会があったらその時に注意しようと心にとどめるだけにしたのだ。
彼女は運ばれるのが自分だからこそクータが力加減を誤っていることまでは気付けていない。
暗黒座会との戦いに終止符を打たんと意気を高めるリュウシィ。
主人へ己が活躍を見せるべく大いに張り切っているクータ。
肩を捻じ切ろうかという痛みを堪えているせいで誰よりも険しく雄々しい顔をしているナイン。
三者三様の様相を呈しながらも、ナイン一行は目的の館の前へと辿り着いた。ここまで山へ分け入ってから二分も経っていない。
黒塗りの大きな館を視界に収め、ナインが問う。
「あれが?」
「うん、そうだ。ここが暗黒座会の首領が隠れ住むアジトだ」
「なんだかやけに玄関や窓がデカいな……?」
「人間以外の種族を招くことが多いなら、こういう造りになるよ。元の持ち主はたぶん別だろうから、今となってはレイシャルフリーの構造も無駄になっているかもしれないな」
「ほーん」
聞き覚えのない単語に首を傾げるも、文脈から察するにどの種族であっても利用しやすい造りという意味だろうと推測する。
館を建てたのが誰であるかはナインにとって知りようもないことだが、こんな山奥で別種族を呼んでいったい何をしていたのか、少々気になるところではある……が、今の自分たちには関係のないことだ。ナインは不要な好奇心を頭から追い払い、目の前のことに集中する。
地上に降り立った三人は互いを見やり、最後の確認を行う。
「二人とも、用意はいいかな?」
「俺はいつでも」
「クータもオッケー!」
気負った様子もなく、かと言って気を抜いているのでもなく、いい意味で自然体の二人にリュウシィは頼もしさを覚えた。
「一塊になって突っ込むよ。どうすればいいか、分かるだろう?」
「おう。出てきた敵を――」
「――みんなまとめてやっつける!」
「ばっちりだ」
頷き、リュウシィは息を吸った。
ぐっ、と身を縮め――爆発。
全身に込められた力は解き放たれ、彼女は一個の砲弾と化した。
その衝撃をもろに受けたのは館の正面扉だ。大きく頑丈そうな分厚い扉は容易く吹き飛び、長きに務めたその役目を終えることとなった。
強引に開け放たれた玄関へ、ナインとクータも素早く突入していく。
三名の恐るべき刺客たちは極めて単純な指標だけを頼りに、悪の巣窟へと身を躍らせていった。