26 侵攻準備
ナインの日々はある意味、とても規則正しかった。宿屋の店主ドマッキのもとで下宿しながら働く生活の合間に、リュウシィからの要請を受けて暗黒座会やその他悪人たちのアジトを襲う。リュウシィ個人の縁で友人が手助けしている体を取っているために、ナインが動くときは治安維持局職員の参加が極端に少なくなる。具体的に言えば、リュウシィ本人とアウロネくらいのものだ。
野宿生活など真っ平ごめんのナインは、街暮らしを重要視するにあたって治安維持局との軋轢ないお付き合いがどうしても必要になってくると考えている。故に仲良しこよしとまではいかなくとも、一定以上の信頼は確保しておきたい。
何も永住するつもりはないので、いずれはリブレライトを出る予定の身ではあるが、ここで公的機関――それも省に連なる大組織――とお近づきになれるのは僥倖、と彼女は当初こそそう信じて疑っていなかったのだが……現在のところその思惑が成功しているとは言い難い。
前述した通りナインが親交を深めているのはあくまでリュウシィとアウロネの二名のみ。こそこそと他の職員から隠れるようにして手を貸している、この援助と言うより幇助と表現したほうがいくらか適切かと思えるような活動はそもそもが健全なお付き合いとは言えなかった。
まあ、治安維持局そのものと懇意になれなかった分、リュウシィ、アウロネ両名とはだいぶ親しい仲になれはしたが……しかしそれも気の置けない仲というほどでもないのが現実。精々が仕事付き合い上の友人関係といった程度。
ナインとしては二人を、特にリュウシィのことは憎からず思っているのだが、まあまあ頻繁に呼び出されては粛々と彼女たちに手を貸す最近の仕事ぶりは果たして割に合っているのだろうか、と折に触れて疑問に感じる今日この頃だった。報酬はリュウシィからの手渡しでちゃんと貰えているが、これでは日雇いのバイトが増えただけじゃないのかと思わなくもない。
という悩みのような何かをそれとなくリュウシィへ打ち明けてみると、彼女は困ったように笑った。
「そう言わないでくれよナイン。これでも私だって身を削っているんだから」
「ふうん? どう身を削ってるっていうんだ?」
「たとえばあんたへの支払いとかね。あれ全部私のポケットマネーだから」
「なんかごめん」
それを選んだのはナインではなくリュウシィ本人なのだから別に謝る必要もないのだが、やはり金銭の恩というものは重かった。思わずナインは頭を下げたが、それを見たリュウシィは首を振った。
「いやいや、こっちこそごめんよ。あんたに恩を着せようってんじゃないんだ。ただこれ以外の手がないことを分かってほしくてさ。それから、不満をきちんと口にしてくれてありがとね」
他の部下たちも同じようにしてくれたらどれだけ助かるか、とリュウシィはため息交じりに愚痴のようなものを零した。
仕事仲間として時間を共有しているナインは、彼女が職場の人間関係に複雑な思いを抱いているらしいことをなんとなくだが把握している。しかしこうもはっきりとリュウシィの口からその話題が出されたのは初めてのことであったので、多少は驚かされた。
変に踏み込むのもよくなかろうとこれまで遠慮していたことも忘れて、思わず疑問をぶつけてしまう。
「ひょっとして部下とうまくいっていないのか?」
「目に見える衝突があるわけじゃあないんだけどね」
「面従腹背ってやつかな。でもまあ、上司からすればもっと心を開いてくれって思うのは当然だろうけど、そうは言っても部下からしたらそりゃ難しいだろうよ。立場が上の奴に包み隠さず本心を打ち明けろ、だなんてリスキーすぎるぜ」
「それには同意するけどさ。ただ、そう単純なだけの話でもない。派閥があったり、目指すところが同じでもそれぞれの意向が違ったりするもんでさ。とかく集団とは最善を選べないものらしい。だから今回も動かせる人数は少ない……っていうのは言い訳にしかならないか。ま、少数精鋭ってことにしといて」
ふむ、とナインは彼女からの説明を思い出す。なるほど、「大きな作戦だけどいつも通り治安維持局からの出動は少ないままだよ」と補足を入れていたのはこういうことかと妙な納得をした。
とはいえ、アウロネ以外にも十数名の補助員がいる時点でナインからすれば大人数かつ大掛かりなミッションという認識ではあるのだが。
「ということは、今日参加してくれている人たちはリュウシィにとって、数少ない信用のおける部下たちなのか」
「その通り。まあ、階級や書類上ではあくまでアウロネの部下ってことになってるんだけどね。私設部隊を持てない私なりの小細工だよ」
「……大変なんだなぁ、ほんと」
「悪いことばかりじゃないさ。局長としての威光やら融通やらといった恩恵は減っているけど、その代わり身軽だからね。規則外のことはできないけど、規則内であれば割かし自由に動けるんだ」
「今回の異常に迅速な準備は、そのおかげってことだな」
リブレライトに複数箇所在する暗黒座会拠点。その最後のひとつと思しき場所へ討ち入りをかけたのはつい数時間前だ。十二座などと呼称されている幹部を捕らえ即座に情報を吐かせて判明したのは、彼が鳥を使ってとある場所へ密書を運ばせようとしていたという事実。しかもそれが赤い鳥だったもので、一計を案じたリュウシィはナインへあるお願いをした。
即ちクータを密偵として使おう、という提案だ。伝書鳥に化けたクータは堂々と敵の本拠地と目される場所へ乗り込み、悠々と帰還を果たした。上手く情報を持ち帰ってきたクータ。そのことにリュウシィは彼女の飼い主よりも派手に喜んだものだった。
これまで尋問が行えるほど五体無事に捕縛できた幹部はナインが無力化したキャンディナを合わせて、僅か三名。以前に捕らえた二名はそもそも首領から情報を与えられておらず、高確率で組織の機密知識を持つであろうキャンディナも強靭な精神力で口を割ろうとしない。順調に幹部を間引きながらもいまいち決め手を得られていなかった折に、こうもとんとん拍子で情報を手にれられたことで殊更にリュウシィは機嫌を良くした。
一方のナインとしてはクータが無事であったことに胸を撫で下ろすばかりで、持ち帰られた情報の多寡どころか有無でさえも二の次である。故に、あまりその価値についてもまだ分かっていない。
「動揺した幹部が本拠点の位置をうっかり漏らした……けれど、そもそもその場所には元から目をつけてたんだよな?」
「まあね。暗黒座会首領の隠れ家とまで見越してはいなかったけど、前からきな臭さは感じてた。と言うのも、うちの副局長は感知タイプとして抜群のセンスを持っているからさ。あんたを見つけたのも彼女だし……こういう作為的な空間には特に敏感なんだ。たとえ街の外でも、こんな近くに、こんな大胆に魔除けを張っていたんじゃ、どうぞ怪しんでくださいと言っているようなもんだね」
不敵に口角を上げながら大自然を睨むリュウシィに釣られて、ナインも山を見上げる。
そう、山だ。緑が目に眩しい美しい風景。この景観から分かる通り、彼女たちの現在地はリブレライトの外である。暗黒座会のボスが身を隠していると目される――否、潜んでいることが確定しているとある館が、この先にあるとのこと。
暗黒座会という組織へトドメを刺すべく、クータの報告を聞いたリュウシィはすでに待機させていた部下を引き連れてナインとともに街を出て、迅速果断にここまでやってきた。今はアウロネを含む部下たちが山を包囲している段階だ。万が一の逃走者を一人も出さないための陣形である。
クータの調査は直接会話を盗み聞いた以外では空から館内を覗き見る行為でしかなかったため、敵戦力の把握という点では不安が残るが、それでも敵組織に大した人数は残されていないらしいことが判明している。
なので突入班はリュウシィ、ナイン、クータという指折りの実力者三名のみに絞り、残りの人員は後詰めを兼ねた包囲網作成の要員として働いてもらうこととなった。
ナインとしてもその判断に文句はない。
しかし、クータを単独で危険な任務に赴かせる必要があったのかと、そこが少なからずとも引っかかっている。
「副局長さんがすでに見つけてたんなら、幹部が情報を吐いた時点で突入することだってできたろうに。なんでわざわざクータを向かわせたんだよ?」
不満を告げるナインに、リュウシィはほんの少し申し訳なさそうな表情を見せながら口を開いた。




