263 謎の遺跡がありまして:三面②
ナインは遺跡スライムを攻略するすべを持たない。そう聞かされたフェゴールは、顔にありありと「信じられない」という表情を浮かべた。
「え、ナイン……それ本気? 本気で言ってんの?」
「本気も本気だっつーの。むしろお前こそ、よくどうにかできるなんて思ったな。俺の戦い方はアムアシナムで見てるだろうに」
「いやいや、だってあの子にも単身で勝てちゃうくらいの君だぜ? 転移とかきれーな障壁とかも使いこなしてるし、他にも色んなことができるだろうってそりゃ思っちゃうじゃん!? まさかまさかのできないの!?」
「できないな。ちなみに俺の使える術は今お前が言ったので全部だぜ」
「嘘ー!?」
驚愕の事実に両手を上げて慄くフェゴール。
その拍子に触手が肌を掠めて横を通り過ぎていった――慌てて回避にも意識を向けつつ彼は言葉を続けた。
「このままじゃいい加減、タイムリミットも近いよね」
「だな。物理的に移動できるスペースがもうほとんどなくなってきた……こうなったら一か八か、『覚醒モード』で弱点云々なんざ無視してしこたまに殴ってみるしかねーか」
「それでどうにかなりそう?」
「自信がないわけじゃない――が、はっきり勝てるとも言い難いな。もし失敗したらたぶんスライムに取り込まれて食われちまうだろうし……できればここは、是非とも悪魔の知恵をお借りしたいところだが」
「……ふー。仕方ない、か」
やれやれとばかりに首を振ったフェゴール。存外あっさりとやる気を出してくれた彼に、ナインは驚いたような反応で目を向けた。
「やってくれるのかよ。というか、やれそうか?」
「ま、ボクならね。君と違って三箇所だろうともっと多かろうと、全部の弱点へ同時に攻撃を加えることは難しくない――とはいえ、ボクにとっての問題は別にあるんだけどね。それはスライムの魔力コーティング。やたらと硬い素材なうえに軟体化していていっそう攻撃が通り辛い妙なスライム。それでいて魔力で守られてもいるから、君みたいなとんでもない馬鹿力でも持たない限りは相当に厄介な相手だよ、こいつは」
「魔力コーティングねえ……」
以前、アムアシナムでもテレスティアから同様のワードを耳にしたことがある。後からクレイドールによって捕捉がされたが、彼女曰く魔力コーティングとはその名の通り物体の表面に魔力を張り巡らせて防御力や耐久力を向上させる技術である、とのことだった。単なる無機物にかけるとなれば術者の腕前や魔力量が物を言うが、持ち前の魔力を所有するものであれば半永久的にコーティングを持続させる術式もある。宗教組織『天秤の羽根』で聖杯を密かに守護していた天使像のゴーレムもまた、人工魔物として自給魔力だけでコーティングを維持しているタイプであったとジャラザも言っていた。
この遺跡スライムもゴーレムと同じようなものだとナインはどうにか理解が及んだ。
「じゃあどうする? いったん俺がその魔力コーティングとやらが剥げるまでぶん殴ってみるか?」
「殴る以外の選択肢がないのか君は……。ボクだって協力体制でいきたいところではあるけど、それだと失敗したときのリスクが軽減されないんだよね……」
フェゴールが不安視しているのは何よりナインの死である。それは短い付き合いながらも彼女に並々ならぬ友情を感じ始めているから……などという感動的な理由ではもちろんなく。
彼女が死んでしまえば自分もそれに倣うことになるからである。
ナインの影に閉じ込められている今、その影の持ち主が命を落とせばフェゴールもそれに引きずられてしまうのだ。本来ならこんなことはよっぽど特殊な契約でも交わさないことにはあり得ないはずなのだが、ナインは力尽くという表現がぴったりのフェゴールをもってしても「訳の分からない」手法で彼を縛り上げてしまった。そういったこともあって悪魔は尚のこと怪物少女の持つ術者としての力量を大いに見誤ってしまったわけだが、今となればもうそんなのはどうでもいい――こともフェゴールからすればないが、状況に即して今は一旦横に置いておき。
「ボクが失敗して触手に潰されるなりスライムに食われるなりしても、どうせ行き先は君の影だ。肉体が散ってもただそれだけなら復活できるのがボクの強みだ。でも『復活地点』そのものが消えてちゃせっかくの特性にも意味がない――だから、ここはまずボク一人だけでやってみよう。それがダメだったときに君が本気を出してくれたらいい」
「一緒に試して一緒に失敗するくらいなら、俺が次善策になったほうがいいってことだな」
「その通り! さあ、君はちょっと下がって呆けて見てな――闇の魔力の本懐ってやつをさ!」
駆け出し、跳び上がり、そして転移。
屋根に足から着地した悪魔はまたしても跳び、触手と触手の間を掻い潜って遺跡スライムへ接近。その頭上を取ることに成功する。
ナインから見ても見事なその動きは今のフェゴールが出せる全力。遺跡スライムはそれでも悪魔を捉えるべく反応を示したが、それよりも悪魔の攻撃のほうが速かった。
「順転・反転――『反流魔力』」
左右の手にそれぞれ循環する渦と、それとは反対向きに回る渦を生み出し、ふたつを組み合わせる。
強制的にひとつにされた流れの異なる闇の魔力は互いを攻め合い鬩ぎ合い、一瞬にして高まった圧力が子悪魔の手の内で暴発のように荒れ狂い――氾濫する。
渦巻く性質を持つその力が圧倒的な暴威となって破壊の限りを尽くさんと広がっていく。すっぽりと遺跡スライムを覆った黒い破壊力は我が身の内の物体を削り潰さんと激しく押し寄せ、三箇所諸共どころではなく全体余すことなく攻め立てる。危惧された魔力コーティングにもフェゴールは限界まで己が魔力を技へと捧げることで威力を底上げして対処した――おかげで魔力操作の難度は更に跳ね上がったが、結果として。
ぬるりとした身悶えを残し遺跡スライムは全身を溶かすように床へ伸び広がり、そのまま溶け込むように消え去った。
ステージクリア。
それを知ったフェゴールはスライムの消えた場所へ降り立ち……それからへにゃへにゃと座り込んだ。そこへ慌ててナインが駆け寄り、彼の背中を支える。
「おいどうした、どっかにダメージでももらったか? それとも気が抜けちまったか」
「気じゃなくて、魔力が抜けきったのさ……相当無茶したからね。スライムの防御を突破するにはこれくらいしなくちゃいけなかった」
「なるほどな。だけどそのかいはあったんじゃないか? お前さんのおかげで見事に三面はクリアできたようだぜ」
「そーだね……でも、さすがにへとへとだ。まだこのゲームが続くようなら次こそは君一人でクリアしてくれよ。ダメと言われたってボクはもう動けないからね!」
「わかったわかった。確かによく頑張ってくれたし、一旦休んでてくれてもいいぞ。俺の影に入っときな」
「……いや、今はまだ君の傍にいておくよ。言った通り、影の中より外のほうが異変には気付きやすいしね。ボクがレーダーになってあげなきゃ不安でしょうがないよ」
それは暗にナインの鈍感さを指摘する言葉でもあったが、それと同時に彼女を慮ってのものでもあった。その意図に気が付きナインは目をぱちくりとする。
「まさかお前、心配してくれてるのか?」
「ふん、勘違いすんなよな。ボクはあくまで自分の身を案じているだけで、君のことを心配してやってるわけじゃないんだぜ。これくらいで自惚れてもらっちゃ困るな」
「おけおけ、そういうことにしておこう」
「しておくも何もそういうことなんだって」
「へー。でもお前、俺が守るって言ったときけっこうマジで嬉しそうだったけどな」
「あ、あれはついふざけちゃっただけだって言ったろ? 本気じゃないよ」
「漏れ出た本心を隠そうと過剰にリアクションしたようにも見えたがなぁ」
「むぐぐ……」
軽口を叩き合いつつ、ナインは手を差し出す。それを見たフェゴールは一瞬だけ複雑な顔を作って何かを迷うような素振りを見せたが……結局はその手を取って立ち上がった。思った以上に力強いナインの腕の引き方に、疲労しているフェゴールはよろけて少女の胸に飛び込むように身を寄せてしまう。故意ではなく事故だが、ナインは特に気にした様子もなく悪魔の身体をしっかりと抱きとめた。
「おっと、大丈夫か? ホントに疲れてるみたいだな」
「……なんだよ、サボりたくて嘘をついてるとでも思ったかい?」
「いいや? お前が相手ならなんとなく、嘘ついてるかどうかくらいわかる気がするし」
「なんでさ」
「さあな……たぶんだが、俺たち気が合うっぽいからかもな」
「…………」
如何にも適当なことを言って笑みを浮かべるナインの顔を、その胸に抱かれたまま間近で見つめてしまったフェゴールは。
悪魔すらも惑わしかねないその美しい顔立ちと表情に見惚れてしまい――なんだか言いようのない悔しさと、これまでにない胸のざわめきのようなものを感じたのだった。
傷心中につけこむ悪女ですよ!




