幕間 ナインズ戦闘訓練:個人編・炎
「ご主人様にクータを見てほしい!」
「ん、なんだよ藪から棒に。まあいいぜ、見ろっていうなら穴が開くくらい見てやろうじゃないか。じーーーーーーーっ」
「……ぽっ」
本当に穴が開きそうなほど熱心に見つめられ、クータは桃色に頬を染めた。愛する主人からの熱視線に照れているのだ。
「はっはっは、可愛いやつめ。近うよれ、愛でてやるぞ」
「優しく、おねがい……」
「これはなんですか?」
「儂が聞きたいくらいだ……。この二人は隙あらば寸劇のようなやり取りをし始めるからの」
「データを更新。『マスターとクータを二人きりにしてはいけない』、インプットを完了しました」
「うむ正しい。お主が加入する前は儂一人でこれの相手をしておったのだ」
「ジャラザの苦労が偲ばれます」
淡々と紡がれた言葉ながら、しかと感じられる彼女からの労わりの心にジャラザは泣きそうになった。クレイドールにも大概天然じみた部分がありはするが、立ち位置としてはナインやクータよりも自分のほうに近い。なるべく今後のツッコミ役を押し付けたいところだが、たぶんそれが叶わないだろうことをこの時点でジャラザは察してもいる。それを任せきりにするには、常識というものをまだまだ覚えきれていないクレイドールには荷が重すぎるからだ。
ふう、と遠い目をしてため息を零すジャラザの横で、久しぶりに鳥形態に戻った姿で全身をわしゃわしゃと撫でられ恍惚の表情を浮かべていたクータが「はっ!」と我に返った。
「ちがうよご主人様ぁ!」
「うおっ、手の中で急に大きくなるなって」
危うく落としそうになったクータをしっかり両手で抱きかかえ、まるで社交ダンスの一場面のような恰好でナインは訊ねる。
「で、何が違うって?」
「見てって言ったのはそういうことじゃなくって……クータがどれくらい強くなったかを、ご主人様に見てほしいの」
「ほっほー、そっちの意味か」
クータが言うには、アムアシナムで兇手たちを相手取ったあの夜の戦いにおいて、己を超える技量を持つ火使いに追い詰められたことで自分の中の壁をひとつ打ち破った――と、そういうことらしかった。
要するに戦闘の最中に成長したことで本来敵わなかったはずの敵に勝利することができた、という旨のことが言いたいのだろう。
命懸けの勝負をしている時こそが何よりの修行になる。
戦うごとに強くなっていくナインはそれをこのメンバーの中でも最も実感している。
百の試合より一度の実戦とはよく言ったもので、強敵に挑むというのはそれだけで最高の経験値になる。
そのうえで勝ちの目を拾ったクータはつまり、それまでとは大きく異なるくらいに腕前を上げた、と。
そう理解したナインは「なるほど」とクータの言い分を肯定した。
「じゃあつまりクータは、その成長っぷりを実際に確かめてほしいってわけだな?」
「そう! この前は三人で戦ったけど、こんどはクータだけでご主人様と真剣勝負がしたい!」
「――面白れぇ。戦闘訓練の第二回目ってわけだな」
にやり、と悪役のように笑うナイン。と言ってもどんなに悪そうに笑ったところでそのあどけない少女の見た目から可愛らしさばかりが先に来て、悪い印象など露ほども生じないが。
とにかくクータの頼みに乗り気らしいナインへ、ジャラザは「こらこら」と口を挟んだ。
「勝手に話を進める前にちと待たんか。さすがにそれは、少々無茶ではないか? 前回は三人同時でかかっても戦闘モードの主様に一蹴されて終いだったろう。クータがどれだけ成長したのか儂とて興味がないわけではないが、一対一ではその成長を確かめる前に終わってしまうのがオチであろう」
「むう……」
不満そうではあるがジャラザの言にも一理あると認めたらしいクータが唸る。
しかしナインはそんな二人を見ながらからからと笑った。
「なあに、そう心配すんなよ。クータがどんだけ強くなったかを見るためなんだから、俺も大人げなく本気を出すような真似はしないさ」
「しかし主様が目に見えて手加減するようでは、どのみち実力を推し量れはしないだろう」
「では勝利設定を設けてはどうでしょうか。単純な勝ち負けではなく、マスターを単独で『戦闘モード』へ追い込むことを目的とする。こうすれば互いに異なった条件で全力を出すことが可能です」
クレイドールの提案に「いいな、それでいこう」とすかさずナインが乗っかる。
「俺はモードを切り替えずに素の状態でクータを組み伏せる。クータは逆に、俺から戦闘モードを引き出す。これをそれぞれの勝利条件にしよう。覚えたか?」
「わかった! いつものまんまじゃ対処できないくらい、ご主人様をぼこにすればいいんだね!」
「いや合ってるんだけどさ……そうとは認めたくなくなる表現だな」
「それじゃあ……ボッコボコにすればいいんだね!」
「悪化してるじゃねえか!? ぃよーし、そっちがその気なら俺だって遠慮しないぞ。こちとら戦闘モードに入らなくたってそれなりに動けるようになってんだからな」
「おうこらそれがどうしたんじゃい! 四の五の言わんとかかってこいや!」
「お前こそどうした!? 急に口が悪くなりすぎだろ!」
「主様に似たんだろう」
「えっ、お前たちから見た俺ってこんな感じなの? 嘘だろ?」
「興奮されると大体こんな感じですね」
「いてまうぞコラー! やってまうぞワレコラー!」
「ぜってー嘘だ! こんなナニワ節全開のヤクザ口調なんて使ったことねえ!」
「わかったわかった。ほれ、戦闘スタート」
「雑っ! 俺の扱いもスタートも雑い!」
「爆炎キックぅ!!」
「ぐっはあ!? 仲間が俺に対して容赦ねえーっ?!」
◇◇◇
先制で顔面に爆発のおまけつき飛び蹴りを貰ってしまったナインだが、持ち前の頑丈さで致命傷には至らなかった。至っていたら大問題だ。
ちかちかする両目を瞬いてクータを探せば、目の前には彼女そっくりの形をした炎の塊があった。
(これは――炎分身か!)
まるで抱き着こうとするかのように接近してくるそれへ左右の拳を一発ずつ浴びせる。物理的な攻撃が効きにくいはずの炎の人形は、胸元と腹にそれぞれ大きな穴を開けられてあっけなく形を崩すことになった。
解けて消えゆく分身が零す最後の煌めき。それを押しやるようにして一条の光線がナインへと迫る。
「熱線!」
「!」
ずごん、と焼けるのとも溶けるのとも違う人と熱光線がぶつかったにしては鈍重すぎる奇妙な音を立てながらナインは吹き飛んだ。じゅわりとその身体に熱が伝う。体は無事でも服が焼けているのだと熱流の中でナインは気付き、こんなことなら上半身だけでも脱いでから始めればよかったと後悔する。
地面に手を着き、手首だけで跳ねる。見事な所作で足からの着地をしたナインに熱線によるダメージは少しも見受けられない――しかしその程度のことはクータも予想済みである。これくらいで倒せるような甘い相手ではないことは、彼女の一番の子分である自分こそが一番よくわかっているのだ。
ダメージ狙いではなく、多少なりとも距離を開くこと。
それこそが一連の不意打ちを含めた連撃の真の狙いだった。
「はああああっ!」
本気で炎を練り上げる。手足から湧き出た業火は消えることなくクータの背後、形作られる円へ連なり加わるようにして自ら動き出す。多量の炎で生み出されたそれは圧縮と加速を繰り返し、やがて周囲一帯へ圧巻の熱量を撒き散らす爆炎迸る輝きの輪と成った。
轟々と回る炎の輪に観戦しているジャラザもクレイドールも、そして対戦相手のナインですらも目を奪われる。
見る者に本能的な恐怖にも似た不吉を覚えさせながらも、どこか威光のようなものまで同時に感じさせるそれは――単純に、ただただ美しくあった。
「――『炎環』。よく見ててね、ご主人様。これがクータの新しい力。この力で……ご主人様を倒すよ」




