257 支度をしなさいグッドマー
晴れた空から降り注ぐ柔らかい日差しに満ちた昼日中の時間帯。
カフェのテラス席で軽食を済ませようとしているのはピカレ・グッドマーだ。
細身の体格でパンツルックのカジュアルスーツを着こなし、ただ料理をつつくだけでも現れる品の良さは一見して浮世を騒がす舞台俳優のオフショットといった感じだが、グッドマーの性別は女性。美青年のようにしか見えない彼女もよくよく観察すれば胸の膨らみや腰つきの曲線からその正体が見分けられる――とはいえ、顔見知りでもない限りはそうと見抜くことは難しいだろう。それだけ洗練された手付きでナイフとフォークを操りピンクグレープサーモンのムニエルを口元へ運ぶ彼女の姿は優雅で美しく、紳士的なものだった。
そうやってのんびりと、少し遅めのランチを楽しんでいる彼女だったが。
「……おや」
白いクロスのかけられた丸机、その向かい側にどかりと座った誰かを見たグッドマーは食事を中断する。
ナプキンで上品に口を拭いた彼女はおかしそうに笑った。
「これはこれは、ロック嬢。久しぶりじゃないか――君の顔を見たのはあの騒動のあと、復興が一段落ついて以来だから、もう三ヵ月以上前のことになるのかな」
席について対面するは、自身と同じく個人開業、個人経営の相談屋を営むピナ・エナ・ロック。背丈が低く童顔で実年齢よりもかなり幼く見えるピナだが、その瞳には『審秘眼』――審眼という特殊な眼の中でも上位の力が宿っている。それを使いこなす彼女は周囲からも深く認められるやり手の仕事人である。やり手ではあってもその業務形態から仕事人だとはごく一部のファンを除き認められていないグッドマーとは、あらゆる点で対照的な人物だと言えるだろう。
ピナは無垢な少女のような顔立ちを皮肉げに歪めて、グッドマーへおざなりに答えた。
「そうね、グッドマー。私は最後にあんたに会った日なんていちいち覚えていないからわからないけど、だいたいそれぐらいかしらね」
「君は相変わらず刺々しい物言いをするね。私もいい加減、悲しくなってしまうよ」
「あんたこそいくら言っても舐めた呼び方を改めようとしないんだから、お互い様よ。そっちが変わらないなら私だって変わらないわ」
「ふふ。君の頑固さは私もよく知るところだ、これ以上話したって平行線だともよく知っているよ――ところで。急に街から姿を消したかと思えば、こうしてふらっと戻ってきた君はいったいこの三ヵ月間、どこで何をしていたんだい?」
「ふん……あんたなら聞かなくたって知ってるんじゃないの? 私がどこで、何をしてきたか。もしかしたら、あんたに会いにきたその理由までもね」
「ふ……」
片手を上げてボーイを呼んだグッドマーはメニュー表を受け取り、ピナへ手渡そうとする。奢るので好きなものを頼むといい、ということらしい。しかしピナはそれを断った。「ここには話をしに来ただけだから」と言う彼女に、それでも飲み物くらいは頼むのがマナーだと告げたグッドマー。仕方なしにピナは飲みたくもないオリジナルブレンドを一杯だけ注文した。彼女はコーヒーが苦手だ。だがそれをバラしてまでここで好物の甘いもの――たとえば特に愛飲しているココアだとか――を貰えばグッドマーから更に舐められてしまうような気がして、躊躇してしまったのだ。
「一応、なぜ街を離れたのかという点について……普段は相談屋として精力的に活動している君が仕事を放り出してまで何をしていたのか、その推測らしいものは立つけれどね」
「ふん、やっぱりね」
すぐに運ばれてきたコーヒーのカップを行儀よく手に取り、ポージングのように傾けながらピナは苦々しい表情を作る。いかにもグッドマーの予想通りの返事に辟易としているように見せかけているが、単純にこの店のブレンドが彼女には殊更苦すぎただけのことだ。
ピナの見栄に気付いているのかいないのか、グッドマーは笑みを浮かべたまま「そうは言っても」と続けた。
「確証はなにもないし、さすがにここで顔を見せた理由なんてものはさっぱり予測がつかないな。その様子からすると、帰ってきて偶然にも私を見つけたから昼食代を浮かそうと考えた、というわけでもなさそうだしね」
「当たり前でしょ、バカ。誰があんたなんかにたかるもんですか。お金がなくたってあんたを頼るくらいなら野垂れ死んだほうがマシよ」
ずいぶんな言われようだ、とグッドマーは苦笑する。それに鼻を鳴らしたピナは、
「おそらく、あんたの考えている通りなんでしょう。私はフットマンの一件で実力不足を思い知った。だから昔の知り合いを訪ねてこの『眼』を一から鍛え直すことにしたのよ」
「名高き審眼を持つ君にそんなことを言われたら、特別な力なんて何もない私のようなしがない相談屋は何も言えなくなってしまうな」
「心にもないセリフはやめて。聞いてて虫唾が走るから」
「いいや、本心だとも。それで? たった三ヵ月と少しで君はその力を満足に伸ばすことができたのかな?」
「侮らないで。たった三ヵ月、されど三ヵ月よ。本気になった人間が何かを成し遂げるには十分すぎる時間でしょう――と、言いたいところだけど。完璧とは言い難いわ。恩師の助力を受けてこの眼はもうひとつ先の段階へ進みはしたけれど、私がそれについていけていないのが現状よ。使いこなすにはまだまだ時間がかかりそうだわ」
ふむ、とグッドマーは頷きつつも不思議そうにする。成長があったことは友人として喜ばしいが、まだ万全でないのならなぜこの街に戻ってきたのか――と、いうよりも。
――なぜ私に会いにくる必要があったのか?
そこを疑問に思うグッドマーの心中を、ピナも察したらしい。
「そりゃあ、私だってもっとじっくりと恩師の下で修業を続けたかったわ。けれどそうもいかなかったのよ。私たちにはあまり時間が残されていないの。だからこうしてエルトナーゼまで舞い戻って、あんたを探しにきたってわけ」
「何か急ぎの用でもできたのかい? 話を聞くに君は私の手伝いを求めているように――というか、絶対に手伝わせると決めているように思えるが」
「大正解よ。だからグッドマー。それを食べ終えたら私についてきてもらうからね」
有無を言わさぬその雰囲気に、グッドマーは何がおかしいのかくすくすと笑った。
「最近はつまらない依頼ばかりで暇をしていたところだから、構わないけどね。でもどこへ? 君は私をどんな場所へつれていこうとしているんだい?」
「首都アルフォディト。私とあんたが揃って動こうというのだから、目指すはこの国の中心地を置いて他にはないでしょう」
「ほう……」
グッドマーは目を細める。そこで初めて真剣に話を聞く気になったようだ――何故なら「首都へ足を運ぼう」などという提案。そんなものがまさかピナの口から出るとはグッドマーであってもまるで予想できなかったからだ。
それぐらいには、ピナの言葉は意外性に満ち満ちていたのである。
「……ロック嬢、一応聞かせてもらうが本気なのかい? 首都にはあの子がいるんだぞ?」
「ええ、あの極めて厄介な子がね。だけど今回は彼女の協力こそが不可欠になるでしょう。私たちの『大ファン』であるあのお嬢様なら、きっと力になってくれるはず――」
「ふむ。いったい君が何をしようとしているのか、はっきりと聞かせてほしいところだが」
「人々を救う。言葉にすると馬鹿みたいだけど、私のしたいことはそれだけ。すべきことはそれだけよ。知ってしまったからには足掻かないわけにはいかないのよ――諦めて目を瞑るなんてことは、私のプライドが許さないの。だからあんたも知恵を貸しなさい。人を思うまま扇動することに関してあんたの右に出る者はいないでしょう。その悪知恵を存分に働かせるときがきたのよ」
「ハハ、悪知恵とは言ってくれるね――だけど、うん。面白いね。ありがとうロック嬢、君のおかげで私の直感が数ヶ月ぶりに囁いてくれたよ。君についていけばきっと楽しいことになる、とね。君が何を求めているのか、何を防ごうとしているのかはまだ伺い知れないけれど……それがたとえなんであろうと、もう決めたよ。私の答えは『イエス』一択だと」
キラキラと瞳を輝かせながらグッドマーはそう言った。
活力に漲るその様子から「スイッチが入った」のだとピナは理解する。
グッドマーは呆れるほどに自身の欲望に忠実な女であり、望むこと以外は一切手を着けない我儘が服を着て歩いているような人間だ。扱いにくいがしかし、彼女なりの欲と実利のベクトルが一致した場合の情熱においては他者を軽く凌駕するだけの情熱でもって活発に動き、それが奇跡的に味方についている場合であれば、これ以上ないというくらいに頼もしい存在にもなる。
今回はどうやら、うまく彼女の興味を引けたらしい。グッドマー曰く「面白そうだと思って行動を起こして後悔したことは一度もない」だったか……とにかくどこに琴線があるのか定かではない彼女が心を揺さぶられるだけの何かが今のやり取りにあった、ということなのだろう。
それはピナの努力というよりも、グッドマーが独自の感性で勝手に興奮しただけのようにも思えるが――同意さえしてくれればその理由などどうでもよかった。
「近いうちに、首都は大嵐に見舞われる」
「大嵐、か。その大嵐に我々で立ち向かおうというのかい?」
「まさか。そんな真似ができるのは、極々限られた、ほんの一握りの常識外れたちだけよ――私たち凡人には、もっと細々としたやるべきことがある。直接的な解決はできなくたって、それでもやれることは確かにある。私がしようとしていることは、そういうことよ」
ピナは強い眼差しでそう言い切った。
それは審秘眼という特殊な力に頼らずとも輝かしく燃ゆる瞳。
その光を認めたグッドマーは「ああ、そうだね」と柔らかく微笑んだ。
それから二人はカフェに長居をしたのちに、揃って店を出た。その日のエルトナーゼ住民の中には珍しい光景を目撃した者が多々いることだろう。商売敵として、そして知人同士としても決して仲が良好とは言えないピカレ・グッドマーとピナ・エナ・ロックという街を代表する有名人たちが、肩を並べて歩く姿というのは――ひょっとするとこれが最初で最後かもしれない。珍妙な現場に運良く立ち会えた市民たちはそんなことを口々に噂しては、得意気に語り草としていくのであった。