254 マギクラフトアカデミアでは
ナインズが闘錬演武大会で優勝を飾って後のある日のことだ。
そこは首都にある国一番の魔法学校『マギクラフトアカデミア』の一室。
特別室と銘打たれた利用者の限られる部屋――主にマギクラフトの創設者にして初代校長にして現名誉校長にあたる当代きっての大魔法使い、アルルカ・マリフォスその人の使用する公私分け隔てのない少々奇妙なプライベートルームである。
奇妙なのは造りもだ。
元は物置程度の広さしかなかったのが魔法によって休憩室も兼ね備えたちょっとしたスイートルームのような構造になっている。
誰がそうしたかと言えば勿論、部屋の使用主であるアルルカである。彼女の得意とする空間魔法――よりも一次元高度な位相魔法によって周囲のものへ干渉することなく(つまりは空間を歪めずに)部屋内だけ拡充されていると言えば、彼女の魔法的技量がどれだけ卓越したものであるか伝わるだろうか。
そんな誰からも認められる国最高峰の魔法使いは……、
「あー、もー! 疲れたよー! 書類仕事は大嫌いだって言ってるのにー!」
思い切り愚痴を吐きながら、座っているチェアをぐるぐると勢いよく回して遊んでいるところだった。
「みんな私がおばあちゃんだってこと忘れてないかな!? 座りっぱなしは血行に悪いって言うし! なんか最近目がかすんできてる気もするし! これは絶対事務のやりすぎが原因としか思えないー!」
……アルルカ・マリフォスは高齢者だ。
見かけこそ二十代そこそこといった若さだが、実年齢はそれを倍にして更に倍にしてもう一回倍にしてもまだ足りないほどには超高齢者である。
しかし年甲斐なく騒ぐ今の彼女を見てその実年齢を見破れる者はそうそういないだろう。幼稚な振る舞いというのはある意味で究極の若作りとも言えるのかもしれない。
「もう……だいたいライオリーが悪いのよ、その気になれば私の承認なんて必要ないくせにわざと私に任せてさー。あくまで名誉校長でしかないのにここまでがっつり書類仕事させるとか普通はありえないでしょ……はっ!」
何かを察知したらしいアルルカは素早い動きで机を掴んでピタリと椅子の回転を止める。それからサッと居住まいを正して座り、腕を組んだ。彼女なりに威厳ある姿勢というものを実践したところでちょうど部屋の扉が開く。入ってきたのは一人の女性だ。
「失礼しますね、アルルカ先生」
「シストネ? 私はいつも部屋に入るときはノックをするようにと言っているはずですが」
にこりと微笑みながらもアルルカは教師仲間である女性、シストネ・ミクトラムへと注意する。その様はとても先ほどまで椅子を使って品の無い行いをしていたとは思えないほど、伝統ある学校に勤める教師として相応しい、しっかりとした落ち着きある人物のように見える。
「指導する立場の私たちがマナーを守れないようでは生徒に示しがつかないでしょう?」
とマナーのマの字も知らないような真似をしていた自分を棚に上げて言う彼女に、しかしシストネは注意受けているにも関わらず「ははは!」と明るく笑って答えた。
「アルルカ先生はご自分の痴態を見られたくなくてそう言ってるんですよね」
「ぎくっ!」
「ちなみに見るまでもなく、先生の愚痴は部屋の外まで響いてますからね」
防音魔法かけてないの忘れてます? と悪気なく訊ねるシストネに、アルルカは目も口も大きく開けて驚愕の表情を作った。
「ええっ! じゃあさっきのも聞こえてたの!? 今までものも全部!?」
「もちろんです!」
「ち、力強い! というかそれならなんで教えてくれなかったのよ!」
「聞かれませんでしたし」
「シストネー!!」
腕を振り上げて怒ってますポーズを見せるアルルカを「まあまあ」と宥めてシストネは、
「心配しなくたって大丈夫です。今の生徒らと違って私たちは元から先生に崇高なイメージなんて抱いてませんし、そういう先生のことが大好きなんですから」
「む、むう……ずるいわ。そんな風に言われたら、もう叱れないじゃない」
「あはは、それが狙いですから」
「もうっ。あなたもライオリーも本当に悪い子だわ。いつまで経ってもね」
「あ、そうでした。そのライオリーから……こほん。デュッセン教頭から例の報告は受けていますか、アルルカ名誉校長」
「え? えっと……ああ、先日の闘錬演武大会のことね――ことですね、シストネ校長。ええ、あれには目を通しました。大会に無断出場した五名の生徒に与える罰則についてももう決めてあります」
シストネ・ミクトラムは普段こそ名誉校長を前にしても砕けた態度を取るいかにも今時といった感じの若き魔法使いだが、その力量は間違いなく現代におけるトップクラスを誇っている。シストネの魔法使いとしての技術は彼女が幼い頃より指導を行ってきたアルルカも太鼓判を押すほどで、そうでなければマギクラフトの校長職になど就けやしない。そしてそんな彼女が態度を正したからには公私における公のモードになったということだろう。
恩師と元生徒から名誉校長と現校長にわざわざ立場を切り替えたシストネの用件とはなんなのか? 直近の報告書を思い浮かべて生徒の処罰に関することだろうと当たりを付けたアルルカだったが、首を横に振られてしまう。
「いえ、そちらではなく……大会そのものの報告についてです」
「大会自体について? ええと、一応は読みました。後から映像も見たけれど、確かに今年の決勝は例年より凄かったですね。優勝者の少女が使う転移や防御壁はとても珍しいタイプの術でしたから、私としても興味深かくはありましたが……」
そこでアルルカは言葉に詰まった。これ以上言うべき言葉が見つからなかったのだ。
確かに興味深く見られた。
だが、ただそれだけだ。
等級五を持つ剣士を相手に素手で勝利を収めたナインという少女の実力には彼女とて驚かされたが、驚く以上に思うことは特になかった。世間は新たな武闘王の誕生に騒いでいるようだが、見かけよりも遥かに年齢を積み重ねているアルルカはそういった肩書きに対する興味というものを段々と持てなくなってきている。
そんな彼女の様子から『まだ気付いていない』のだと悟ったシストネは、手元の魔動機――小型の映像再生機を机の上に置いた。
「これは……?」
「闘錬演武大会の試合映像が収められたものです。決勝戦ではなく、その何試合か前にとあるチームが舞台に立った時のものですが」
「とあるチーム?」
不思議そうにするアルルカにシストネは真剣な調子で頷き、
「大会に出場した生徒たちから聴取した際に、いくつか気になることを述べていました。まずはいち早く報告するための簡易レポートにまとめ、そちらに関しても別途追加資料を設けるつもりでいました……が、いっそのこと実際に目にしてもらったほうが早いとデュッセン教頭とともに判断した次第です」
「生徒たちから直接話を聞いたライオリー教頭も、そう言ったのね?」
「はい」
「そう……」
ライオリー・デュッセンはシストネと同学年でマギクラフトを次席卒業した俊英である。魔法的技量こそ「そこそこ」ではあるが――これはアルルカ基準のそこそこであることを忘れないでほしい――彼の場合はそれ以外の部分が非常に優れているのだ。若くして学校の屋台骨にも例えられる教頭職を預かっている身が非才であるはずがない。その彼がシストネに話を通してまで自分に伝えるべきと判じた何か。
それはきっと、決して軽々に扱っていいものではないのだろう。
アルルカの表情は真剣なものになった。
「それはどんなチームなのかしら」
「チーム名は『アンノウン』。三名構成の少々変わった出で立ちの者たちですが……最も気になるのはリーダーであるネームレスという選手です」
「ネームレス……? それが選手名?」
「はい。ご覧になりますか」
「ええ、再生してちょうだい。すぐにも見るべきだと思うから」
◇◇◇
映像が始まり、ネームレスが映った直後はその怪しい風貌に眉を顰めたアルルカだったが、彼の戦いが進むにつれ眉間の皺はますます濃いものとなっていった。
後の優勝者ナイン一人を相手に『アンノウン』最後の出場試合が終了するとともに映像も終わり、シストネは魔動機を止めたが――アルルカは固まったように動こうとしない。
しかしその口は、ぶつぶつと何かを呟いていた。
「まさかネームレスとは……いえ、本当にそう? でもそうとしか思えない……だとすれば。どうして、今更になってこんなことを……?」
心ここにあらずっといった様子で考え込む彼女に、シストネが声をかける。
「これほどの魔法の使い手を、私たちの誰もが知らないということがありえるでしょうか」
「……もう確認を取ったのね」
「はい。故に大魔法使いにこれをお見せしました――もしやこの男は、アルルカ校長のお知り合いなのですか?」
「…………」
目を閉じて黙るアルルカ。そこには戸惑いと、もうひとつ。
怒りのような感情があるように、シストネの目には映った。
「分からないわ。今はまだなんとも言えない。でも、彼が何者であるかは私たちにとって非常に重要なことかもしれない」
再生されたものには選手たちの声までは入っておらず、映像自体もそう鮮明なものではない――しかしアルルカは、その荒い映像からでも選手の唇の動きを読み取った。
ネームレスと相対しているナインの唇を。
(おそらくネームレスは私たちと同じく長い時を生きている者であり、そして『王』についても言及している。この時代にまだそんなことを言う者がいるとしたら――)
やはり、そうなのか。
であるならば、その動機はなんなのか。
――わからない。アルルカにはネームレスの真意が掴めない。
「探ってみますか、先生」
「忙しいところ悪いけれど、お願いするわシストネ。実際に彼を確かめたい……私が直接、彼が何者であるかを見極めたい。そのためには彼らの居場所を知る必要がある」
「了解です。そうと決まれば、ライオリーにも知恵を貸してもらいましょうか」
「ええ、それがいいわね」
同意しつつ、アルルカは久方ぶりに遠き過去を思い出す。
それはまだ自分が、ただの人間だった時のこと。
その時点で既に優秀の一言では済まされない域に達していた彼女が、それでもまだ普通の人間の枠内にいた頃に――袂を分かったとある人物のこと。
血を分けたたった一人の弟のことを、思い出す。
もし、ネームレスが彼と本当に同一人物なのだとすれば。
「今になって表に出てきて……いったい、何をするつもりでいるというの」
いかに人知を超え、かつては『魔術到達者』などとも称された彼女、大魔法使いアルルカ・マリフォスであったとしても――人一人の心とは容易に知れるものではなかった。




