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怪物少女、邁進す 〜魔法のある世界で腕力最強無双〜  作者: 平塚うり坊
4章・アムアシナムの悪魔憑き編
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250 シリカとテレスティアの出発

 歩き通しでも別に疲れはなかった。険しい山道を越えた今となっては尚のことへっちゃらである。そこで彼女は不意に立ち止まり、首を動かして自分の横を見てみる。そこから眺められるのは自然の景色だ。丘の裾野から広がる緑一面の平野が、太陽の光を浴びてきらきらと輝いている。その美しい景観にほう、とため息をひとつ零し見惚れる――そんなシリカを背後から、テレスティアがじっと見つめていた。


 テレスティアの胸中にあるのは、不安と心配。


 街を出てからの少女は「憑き物が落ちた」という表現がぴったりな様子であった。

 いつもより物静かで、笑うときにもまるで年老いた者のような表情を見せる。


 それは以前までの仮面を被っていたシリカとも、座談会コンクエストを蹂躙した時のシリカとも、まったく別人としか思えない態度だった。


 彼女は無理をしているのではないか? またぞろ自分に我慢を強いて、内へ内へと不満を溜め込んでいるのではないか? そう不安がらずにはいられないテレスティアからの強い視線を感じたのか、ふとシリカは景色を堪能することを中断し、振り返って従者とその目を合わせた。


 彼女の黒い瞳はどこまでも澄んでいる。


 その色はテレスティアのよく知っている瞳であり、けれど初めて目にするもののようにも思えた。


「どうかしたの、テレス。なんだか物憂げに見えるけれど」

「い、いいえ。私はただ、シリカ様がお疲れではないかと」

「ふふ。別にいいのよ? もっと正直になってくれたって」


 微笑むシリカは言外にお見通しだと告げている。そのうえでテレスティアの口から本音を聞きたいらしい。隠し事をしないと誓い合って旅に出たのを、テレスティアは忘れていない。それなのにうっかり誤魔化すようなことを言ってしまったことを恥じた彼女は、ありのままの気持ちを述べることにした。


「不満はないのですか。勿論、シリカ様が御自身にそのようなことを言う権利はないと自戒してらっしゃるのは、重々承知しております。ですがそれでも、少しでも思うところがおありなら、せめて私にだけはその心中の声を聞かせてほしく思います」


「もう、やめてよテレス。あなたが未だに私の従者であろうとしてくれることは嬉しいけど、そんなに堅苦しいのはいやよ。たった二人きりなんですから、もっと仲睦まじく――そう、ナインズみたいな関係が理想かもしれない。ああいう風になってみたいとテレスは思わない?」


「シリカ様」


「……わかったわ。あなたがそうしてくれたように、私も本音を言いましょう。がっかりさせてしまいそうだから、あまり言いたくはなかったんだけれど……私はね、テレス。アムアシナムを出ることに、まったくと言っていいほど寂しさなんてないわ。むしろ喜びを感じているくらいよ」


「…………」


「本心だと、伝わっているでしょう? そうよ、私はとっくの昔からアムアシナムのことが嫌いだった。あの灰色の街並みが、憎くて憎くて仕方がなかった。窓から見える錆びた色こそが籠の象徴に――私を閉じ込める檻の象徴のように思えていたから」


 でも本当は違った、とシリカは言う。


「お母様や幹部信徒の言うことは、いつもいつも街の支配と組織の拡充のことばかり。都市長の役割を宗教会が担い、治安維持局の活動すらも抑え込まれたあの街では、それこそ天秤の羽根が、その代表である教皇こそが絶対。他宗教との派閥争いがまだしも独裁を防いでいたけれど、そんな中でも天秤の羽根の横暴は酷いものだった――それはあなたもよく知っているわよね? 宗教会入りしている組織はどこも似たようなものだけど、うちは特に、ね。より良い血統のため、優秀な人材集めのためと、身勝手な理由で人攫いだって当たり前のようにやっていた」


「……今にして思えば、私の父と母はそれに巻き込まれてしまったのでしょう」


「ええ、きっとそう。テレスの生まれはアムアシナムじゃないんですものね。出身が別で本部入りしているような人たちはみんな総じて被害者よ。最低なのは被害者であることすら認識させずに入信させて、信仰心を植え付けること。テレスのように勘が良くなければ一生真実に気付かないまま、その生涯を天秤の羽根に捧げて終えることになる……」


 醜いのは人の業。シリカはそう呟くように、それでいて吐き捨てるように言った。



「私を閉じ込めていたのは檻じゃなく、おり。人間の業が作り上げる汚泥の淀みが全てを縛り上げて、自分の意思で動くことを決して許してくれなかった。誰もがそれに縛られていた。血筋だとか、慣習だとか、伝統だとか、未来だとか。都合よくそれらを利用しながらその実、形のないそれらに利用されていた。教皇のためなら何をしてもいいと思い込んでいる信徒たちに、血を存続させるためなら信徒をどう扱ってもいいと思い込んでいる歴代当主。まともでいられるはずがない――こんな組織はどんどん狂って、歯止めが利かなくなるに決まっている」



 自分たちがどうしようもない悪人だと知ったこと。


 あるいはそれこそが最大の原因だったのかもしれない。


 自由のない人生、指示通りの日々に憔悴していた彼女の心を一際穿ち、壊れるまでを格段に早めたのは――悪徳を許容し、それでいて普段はその行いから目を背けている大人たちの醜悪さに気付いてしまったから。


 組織のために正しいことをしていると。

 まるでそれがすべての免罪符になるかのように、悪人の癖に偉ぶっていた彼らが、母親が、シリカにはどうしても「人」のようには思えなくて。


 鬱屈した精神を一人だけで抱え込んで、黙って蹲って耐えて耐えて耐えて――ある日限界が訪れた。


 張り詰めた糸がぷつんと切れて。


 大人たちにならって我が身のために悪徳を実行し。


 街ごと、宗教ごと、自分自身ごと。


 この手を血で染め破壊しつくしてやろうと――そう決意した、はずなのに。


「修羅に落ちたと思っていた。目的のためなら手段を選ばない、自分の望みのためならなんだってやってのける修羅に――お母様と同じ存在になって、お母様を否定してやろうと。そう決めていたはずなのに……最後の最後。よりにもよってお母様と決別しようというその時になって、私は躊躇った。十使徒やアルドーニを手にかけておきながら、お母様だけはすぐに殺すことができなかった。それだけに専念すれば簡単に殺せただろうに、状況を理由に、ナインを理由に、何かと後回しにして。今更躊躇してどうにかなるものでもないというのに、そんなことわかっているのに、私は……」


「どういう形であれ、シリカ様の奪う命がひとつ減ったこと。それがシルリア様であったことは、アルドーニも喜んでいることでしょう。我ら警備隊、それも隊長職を預かる身として、死ぬ覚悟はいつでもできております。教皇その人を守るために散った師匠・・もきっと、死に様そのものは本望であったはずです。ですからどうか、シルリア様をお手にかけなかったことを、シリカ様ももっとお喜びになってください」


「私にそんな権利は――」


「権利ではなく、義務かと存じます。シリカ様はこれから、助かる命ひとつひとつに喜びを見出す義務があるはずです。奪った万倍を救うこと――それが私たちが見逃された条件なのですから」


「、…………」


 テレスティアの言葉に目を見開いたシリカは、しばらく沈黙し。

 それからゆっくりと頷いた。


「そう、ね。許されたいから救うってだけじゃなくて。ナインのように、助けたいから助ける。悪や理不尽に対して怒り、善なる意思を純粋に尊ぶ。そういう風に生きなければならない……」


 そしてそれはきっと、そう難しいことではないはずだとシリカは言う。



「今、この心はかつてないほどに澄み渡っている。見て、テレス。この綺麗な景色を。美しい青と美しい緑を。街を出るまで私は、この自然の美しさを知らなかった。あのちっぽけな場所はいいろだけが世界すべてだった私は、こんな当たり前にも気付けていなかった――『世界は広い』ということに」



 右も左も知らない景色。灰色の街並みしか目にしてこなかったシリカにとって、新鮮で刺激的な「初めての場所」が、この世界には所狭しと溢れている。


 それを今になってようやく知ったシリカは、身の裡にある巨神としての力がますます強まっていくのを確かに感じている。


「行きましょうテレス。まだ知らないどこかへ――誰かの悲劇がある場所へ。この力で私は大勢を救ってみせましょう。けれど私はナインにもそう言われてしまったように、ただの世間知らずの小娘でしかない。だから、手伝ってくれる? どうかテレスに、私という不出来な存在を補ってほしいの」


「御意に。命じられずとも、元よりそのつもりですから」


「命令なんかじゃないわ。これはお願いよ」


「ではますます、聞き届けぬわけにはいきませんね」


 くすりと笑い合った二人は歩みを再開させる。行き先は決めていない。どこでもいいのだ。二人一緒に歩ける道ならば、それが正しい道になるのだから。


 シリカとテレスティアの果てなき旅路は始まったばかりである。


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