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怪物少女、邁進す 〜魔法のある世界で腕力最強無双〜  作者: 平塚うり坊
4章・アムアシナムの悪魔憑き編
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248 シルリア・エヴァンシスの独白・上

 その後の顛末を語るには、さほど時間はかからない。何が起こるということもなく粛々と『片づけ』が進み、シリカが去った後の天秤の羽根はまるで血の通わない生物がそうするように、静かに温かみのない様子で事後処理を淡々と済ませていった。それは冬の夜か、はたまた霊安室を連想させるような肌に突き刺さる奇妙なまでの寒々しさだった――それを何より体現していたのが、まさに天秤の羽根という組織を代表する存在であるところのシルリア・エヴァンシスその人である。


 自室で腰かける彼女は、いつかナインが目にした背筋をぴんと張った美しい姿勢とは打って変わって気怠そうにぐったりとその身を背もたれに預けている。血色の悪さから病人にも見える今の彼女は、シナナミ草の毒の影響から抜け出せきれていなかった先日よりもよっぽど酷く応えているようだ――精神的になのか肉体的になのか、あるいはその両方か。とにかくシルリアはとても疲弊している。ナインの目にはそう映った。



「過ちは承知でした」



 かさかさ(・・・・)にかすれたその声は、信じ難いことにシルリアの口から漏れたものだった。いつものどこか張り詰めたような、冷気を思わせる冷淡かつ平坦な口調は鳴りを潜め、その言葉は弱々しく震えている。泡沫のように頼りなく耳に届く前に散っていってしまいそうなか細い声だ。常とはまるで違うこの声音は彼女が真実弱り切っていることを示すものに相違ない――。


 しかし、今の彼女のほうが普段よりよほど人間らしい。


 そんな風に思ってしまうのは、ナインがまだシルリアという人物を知って間もないからだろうか。



「疑問が無かったか? 無論、ありましたとも。母や私という個人の意思は捨て置かれ、ただ家を、組織を存続させるためだけの人生。そこに私なりの疑念がまるでなかったと言えば偽りになるのでしょう……けれど。私はそれに逆らった。とかく自己を求めたがる疾患・・のような、多感な時期特有の自己憐憫ヒロイズムが発症する前に心を諫める術を覚えた。それはエヴァンシスに生まれた女なら誰しもが習わずとも覚える防衛本能による機能。私たちの一生は、あれこれと悩むには短すぎるのです」



 天摩神の血は特別だ。

 特別が過ぎて、血統の者たちを強制的に血の奴隷として従えてしまうほどに。


 彼女たちは例外なく血に支配されて生きてきた。急ぎ子を産み、教育を施し、役割を終えたなら様々・・()要因・・でこの世を去る。サイクルを速めるための限りなくシステマティックな命の輪は『覚醒者』を世に迎えるための、言ってしまえば『数撃ちゃ当たる』戦法だ。聞きようによっては下品にも思える個人を顧みない早婚早逝策はしかし、低い確率を潜り抜けるには相応に適したものであったようで、人数比で見れば多いとは言えない歴代の覚醒者も年月で見るなら相当な数に上っているのも事実である。


 そしてとうとう、かつての覚醒者と比較しても類を見ないほどの才能に満ち溢れた麒麟児――シリカ・エヴァンシスが生誕した。



「あの子の才覚は圧倒的でした。産まれたあの子を一目見た瞬間から――いえ。まだ腹の内にいたころから既に、私はきっとシリカに確信を抱いていた。血の力の行使。それだけがどうしてもできず、けれどそれ以外のことであれば歴代当主以上であると、『これぞエヴァンシスの女である』と母に言わしめた私を、遥かに超える傑物。その予感を受けた時、私は歓喜しました。この逸材の生みの親になれた自分を心の底から誇りに思ったのです……」



 天秤の羽根の『教皇』としては先代ははより相応しいと自他ともに認められるだけの手腕を発揮した彼女だが、しかし覚醒者としては下の下であることを恥じなかった日はない。特に母の口から直接その旨の発言を受けてからは一層悔しさを募らせ、胸の奥底に燻る黒い炎の火種を宿し続けていた。


 そんな彼女も成長し、いよいよ子を産むべき時期になり。


 なるべく良さげだろうと過去の例を参考に選ばれた種馬・・と行為に及び、間もなく授かった子――望まれるべくして望まれた、けれども決してただの母と子の関係にはならないその子供はまだ生まれたての赤ん坊ながらにシルリアの表情を凍らせるほど、心胆を凍えさせるほどの破格の才能を宿していた。


 ――だからシルリアは喜んだ。


 血の非才者というレッテルを貼られた自分が――幼少の折、亡くなる直前の祖母から駄馬と蔑まれたこともある自分が世にこれほどの駿馬を産み落とした。その事実を何よりも喜び、そして感謝した。シリカという存在に、シリカが自分という母体を選んでくれたことに深く感謝を捧げた。


 自分の生には確かに意味があったのだと、疑いもなくそう思えるようになったことで。


 もはやシルリアは自身の死期を待ちわびるようにまでなった。



「稀代の天才。不世出の大器。千載の稀人――どのような言葉でも言い表せないほどに、シリカはまさしく逸材中の逸材でした。一を知って十を知る。十を覚えて千を見通す。私が物心ついて後十年かかって習得したことをあの子は五歳の時点で完璧にこなしていた。それも、私が手の出さなかった――出せなかった血の力を引き起こすための特訓にも時間を割きながら、それでいて執務でさえも私を超えていくのですから、実の母であってもシリカをどう表現すべきかわからない。当然でございましょう? 何もかも、ありとあらゆる部分で自身を上回っていく我が子を推し量れる親など、どこにもいない。いえ、これがただの親子、母と娘でしかない関係だったのなら、私はまだあの子の理解者足り得たのかもしれません……。しかし、そうはならなかった。私は教皇で、あの子は次期教皇で、私たちは『エヴァンシス』だった」



 厳しく躾けた。詰め込めば詰め込むだけ、教え込めば教え込むだけ吸収し伸びていく娘に、シルリアは満足していた。それが親としての感情なのか教皇としての感情なのかは本人にとっても知る由のないことだったが、そのことに頓着はしなかった。とにかく娘を立派にすること。教皇としても、やがては覚醒者としても一流――否、超一流にまで叩き上げること。それこそが唯一残され自身の為すべき役割・・であると、彼女はそう信じていた。


 それが終われば、ようやく代替わりだと。


「我が家代々の宿命とも言える早逝の事実を知った時、ひどく悲しくなったことを今でも覚えています。祖母の死がきっかけで母の死期が近いことを悟り、いずれは自分も遠からず命を落とす。子供の時分にそんなことを知ってしまえば、誰だって己が運命を悲観することでしょう。産まれを呪うこともするでしょう。とはいえ、生きねば死ぬのは皆同じ。その日を生き、明日をエヴァンシスとして生き、そのまた明日を教皇として生きていくうちにやがて私は、自然とこう思うようになりました――『早く死にたい』、と。それは何も自殺願望ではありません。楽になりたい、解放されたい。そういう意味での死を望んでいたことも決して否定はしませんが、それは生からの逃避などではなく」



 ――我が子への手向けに他なりません。



 そう言ったシルリアは疲れ切った顔で微笑を浮かべた。

 それはいつもの冷笑とは正反対の、むしろ彼女のほうが身を切る冷気に耐えているかのような――とても苦しげで、そして儚い笑みだった。


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