239 魔断て銀霊聖剣
悪魔の言うことは業腹ながらまさしく正鵠を射ている。と、オイニーは反芻するように敵から投げかけられた言葉を思い返し、静かにその正しさを認める。
――聖属性の魔力が通じないなんてことを、想定していない……ええ、まったく。まったくもってその通りですよ。
悪魔には悪魔祓いを。
それは皆の知る常識であり、オイニーもまた暗澹たる家系の秘密を別にしても、聖光の力そのものを否定的に考えたことはなく、悪魔を滅することは自分に許された――あるいは課された役目なのだと理解していた。
だからこれまでにも何度か、仕事の都合上ではあるが人を悪魔の魔の手から守ったこともある。魔族と呼ばれる亜人種の中でも特に闇への傾倒が強い厄介者たちを単身相手取ったこともある。そしてその全てに彼女は勝利してきた――それも、大した苦労も苦戦もなくだ。
――想像力を自ら殺していた……そういうことなんでしょうね。
悪魔には悪魔祓いを。
ならば、悪魔祓いには大悪魔を。
本来絶対であるはずの相性差というものを、努力によって捻じ伏せて見せた悪魔に対し、ここで追い詰められている自分のなんと愚かしいことか。
聖光の力を過信するあまりまともに鍛えることをしてこなかった慢心は間違いなく落ち度と呼べるものだ。
なまじドレチド家の秘儀によって強化された魔力が強力なせいもあって鍛える機会に恵まれなかったというのは、ある。だが万が一という発想を持てなかったのは大悪魔の言う通り馬鹿らしいとしか言えない。戦う者としての前提部分が足りていなかったと、こんな時になってようやく気付けたことは喜劇か悲劇か。
どちらにせよ碌なものではないのは確かだろう。
何も聖光の力がまるで通じていないということではないのだ。悪魔もまたそれなりの対価を差し出している――過剰な魔力消費という形で無茶の代償を支払っている。弱っているとはとても思えない魔力量を放出し続けていた大悪魔も魔力残量は心許なくなってきているようで、その顔には隠し切れない疲労の色が滲んでいる。きっと長く戦うことはできないだろう。それがわかっているならオイニーは持久戦を狙えばいい……と事はそう単純にもいかない。
何故なら疲労の度合いで言えば悪魔よりよほど彼女のほうが疲れているからだ。
秘儀によって高い値の魔力保持量を誇っているオイニーだが、それよりも強化されているのが瞬間火力。つまりは一撃に込められる魔力量の高さにこそドレチド家秘儀の優れた点がある。
一撃一撃が、まさに必殺。
どんな悪魔も食らえばまともに済まないだけの威力が銀霊剣の一太刀に込められているのだ。
だがしかし、その高められた威力によってそれこそどんな悪魔も一刀のもとに屠ってきたオイニーは、それ故に魔力消費の調節ができなかった。具体的に言えば銀霊剣使用時の彼女は一切の加減ができない。出力を上げることはできても下げることはできず、空振りの一振りにすら莫大な魔力を浪費していたのが先ほどまでの彼女で、そしてそれはすぐに改善できるようなものではない。
半世紀以上をこうやって戦ってきたオイニーが土壇場で銀霊剣の仕様を変えることなどできるはずもないのだ。
オイニーは弱った大悪魔にも勝るほど疲れている――腕も足も非常に重たく感じだしてきているところだ。
銀霊剣を強く握りしめているのも、そうしなければ魔力で作った剣が今にも解けてしまいそうだから。
オイニーが大悪魔の疲労を見抜いているように、大悪魔もまたオイニーの疲労を見抜いている。
だからだろう。
未だ戦意を衰えさせずにいる彼女を、彼がどうしようもなく愚かな者を見るような目で見ているのは――間違いなく自分が勝てると確信しているからこそというもので。
「――っくく! 何を言うかと思えば、『私の手で祓ってみせる』ぅ? おいおい! この程度で、この体たらくで、誰が、誰を祓うって? ねえ、聖なる魔力に頼り切りのお馬鹿さん? いったいぜんたいここからどうすれば、ボクが君なんかに負ける展開になるっていうのかなぁ?」
「ええ、そう急かさずとも教えてあげますよ。言うまでもなく、あなたの言うことは正しい。腹は立ちますがそこは素直に認めましょう――私は愚かだった。やれやれです、こんな悪魔がいるとは思いもしませんでした。鍛錬を怠った私がここで新たな戦法を見出すなど、如何にも物語のようでとてもとても素敵なことですが……生憎これは現実なのですからそんな都合のいいパワーアップは望めません。ですのであくまで、やれることだけで。今あるものだけで勝たねばならないと。つまりはそういうことなんですよねぇ――」
しゅるりと。
腰に提げられた袋の紐が解かれ――そこから白鞘に納められた銀霊剣とは違い確かな実体を持つとある剣が姿を見せる。
新たな武器を取り出すオイニーを背後から眺めながら、ジャラザはそれの正体がなんであるかを悟った。その存在を忘れていたわけではないし、先ほどオイニーと顔を合わせた時点でもそれがそうであることはわかっていた――しかしまさか、蒐集品にして希少品のそのアイテムを戦闘のために使用するなどとは夢にも思っていなかった。
鞘から抜かれる金装飾に白い宝玉が特徴的なその剣は、途端に厳かなまでの佇まいとなり強烈な存在感を放ち始めた。力強く圧巻の出で立ちはそれがただの剣ではないことを如実に示しており――。
それを認めた大悪魔の目が大きく見開かれる。
「ま、さか、その剣は――」
「ご名答。宝具たる七聖具の内のひとつ、『聖剣』がここに」
「っ!」
なぜそんな物が。
悪魔の表情から疑問を読み取ることは簡単だったが、オイニーはそれを無視した。
まだこちらの問答が終わっていないのだから、最後まで付き合ってもらおうではないか。
「事後承諾となると山のような枚数の書類を提出しなければならなくなるので、できることなら使いたくはなかったんです。ですが、そう。これもまた仕方のないことなんですよ。銀霊剣の出力ではもうひとつ届かない。かと言って出力を弱めて長期戦に仕向けることも私の無能さ故にできない――となれば残された手段がなんなのか」
あなたにはお分かりですか? と。
どこか不穏にも思える胡乱な瞳でオイニーは悪魔へ問いかける。その際に手元の二振りを見せびらかすことも忘れない。
そんな真似をされれば誰にとっても、そして悪魔にしてみれば尚更に答えは明白だった。
「お前……! そんな気色の悪い剣を! このボクに向ける気だっていうのかよ!」
「これはお見事、またまたご名答ですよ! いやあ、さすがは長く生きてらっしゃる大悪魔だけあって天晴れな洞察力です。知恵争いではどうにも敵いそうにありませんねえ」
そう揶揄うように嘯きながら、オイニーは悪魔の見ている前で二振りの剣を重ね合わせた。それは奇しくも、大悪魔が異なる流れの魔力を重ねた先の様子と酷似している。
「私が打てる手はたったひとつ――弱められないなら、むしろ高める。聖光の魔力を、その出力を更に引き上げる。一応は聖剣の正統なる所持者となっている私です。いかに私が無能でも聖剣はそうじゃない。この剣と銀霊剣が合わさるのであれば――!」
銀霊剣の輝きが、そのまま聖剣に宿る。二振りは合わさって一振りの刃となり、オイニーの手には銀光に満ちた聖なる刃が握られることとなった。
「――『銀霊聖剣』。我が究極の刃が、ここであなたを断ちましょう」
「ぐっ……そんな、もので」
起動した聖剣はオイニーの不調を上書きするだけの恩恵をもたらしている。更にはそこにオイニー自身の聖光の力が加わり、聖剣の『退治』の権能をも強めている――両者の相性は頗る良い。オイニーほど聖剣を使いこなせる者は稀にもいないだろうと断言できる程度には、辛うじて発動しているだけのシリカと聖杯の組み合わせと比較するまでもなく、文字通りの正統性がそこにはあった――そしてその力の重みを理解できない悪魔ではなく。
聖剣を持ちだした途端に増したオイニーからのプレッシャーに圧されながら……けれどそれだけで自身の敗北を認められるほど、彼は達観などしていなかった。
あれには勝てない、と予感よりも直感よりも確かなものが打ち鳴らす警鐘。ひしひしと感じる終末への予想図。
だがそんなものに大人しく従うわけにはいかないのだ。オイニーに悪魔祓いとしてのプライドがあるのと同じく大悪魔にも悪魔としてのプライドがある。
いくら聖光の力とはいえ――否、聖光の力を前にしているからこそ。
膝を屈するなど冗談ではない!
「そんな光る剣の一本程度で……! 大悪魔に勝った気になるんじゃあないぜ悪魔祓い――!」
だから飛び込む。逃走を図ったところで門ごと叩き切られると悟っている大悪魔は決死の特攻を仕掛ける。
これまでの翻弄するような戦いぶりから一転ひたすら真っ直ぐに敵へと迫りながら、両の手に魔力を充填。目減りしている魔力量を殊更に減らすことになるが、おそらくは敵もまた次の一撃に全てをかける。ならばここで出し惜しみなどするべきではないだろう。
「――順転・反転!」
「――輝けよ銀霊聖剣」
闇の渦と光の断交。技を放つ前から魔力同士は異なる性質を衝突させる。
「銀光纏いて逢魔を討ち払え――」
振り抜かれる刃。そこに見えるは一筋の鋭い閃光。
その清き輝きを塗り潰さんと打ち付けられる一対の黒き乱流。
「反流魔力!!」
「乖離魔懺!!」
相反する力、極光と純黒。
真っ向から激突したふたつはしかし、拮抗することもなく一瞬にして雌雄を決した。
「な――」
切り裂かれた渦は流れを強引に断ち切られ、虚しく散るように形のない魔力の残滓となって散らばっていく。そしてそれを為した鋭利な銀光はなお止まらず、更に先へ。渦の根幹たる悪魔へと迫り――
その下半身と左腕を斬り飛ばした。
どさりと倒れ伏した大悪魔は驚愕によって目を見開いていたが、傷口を聖光の魔力に侵されたことで今度はきつく目を閉めて苦しむことになった。声にならない悲鳴を上げながら這いずってでも逃げようとする彼に投げかけられる、情けのない言葉。
「どこにも行かせませんよ」
痛みに呻きながら、悪魔は恐る恐る振り返る。そこにはオイニーがいる。聖光の力をほぼ感じさせないほどに彼女も消耗している様子だが、悪魔と比べればどちらに余力が残されているかなど言うまでもないことだ。
「ぐ、ううぅ……ちくしょう、ちくしょうっ! なんでだよ、なんでまた! ボクばっかりどうして!」
「悪魔のくせしてよくもまあ、被害者面をするものですね。ですが安心してください。聖光の魔力もすっからかんですので、一息で殺すような真似はできませんので……ああ、困りましたね。おかげで私は甚振るように少しずつ、あなたを切り刻んでいかなければならなくなりました。疲れているので非常に難儀なのですが、もう大した魔力もないんですからそうするほかありませんよねえ」
「ひっ……」
「おっと、逃げようとしたってそうは――」
惨い未来を想像した大悪魔が片腕だけで逃れようと地面を掴み藻掻くのを、無駄な努力とばかりに足早に詰めていくオイニー。
……だがそれを邪魔するように、空から降ってくる『何か』があった。
「――ッ、これは……?」
地面を抉り土煙を起こし、強烈な勢いで悪魔のすぐ横に落ちてきたその何かは――。
こちらは決着
ということで次話からナインとシリカの最終ラウンドに入りますよい