幕間 ドマッキの酒場のとある日・前
幕間は本編に挿入タイミングのなかった話だと思ってください
後編はお昼に投稿します、おそらく
大柄で強面な店主が切り盛りする宿酒場『ドマッキの酒場』。
そこで働く店員は店主の雰囲気とは打って変わってすれてない純朴な若者が多いが、これはドマッキが夢ある若人へ積極的に「うちで働け」と勧誘しては当面の職場として提供しているせいだ。宿だけあって部屋数もそれなりにあるので従業員用の仮眠室として利用させてもいた。中には住み込みでがっつり世話になる者もいたが、つい最近まではそういった店員も途絶えて久しかった――そう、最近までは。
新たに『ドマッキの酒場』の従業員になる白い少女が来るまでは。
◇◇◇
何かと話題に上ることが多い噂の酒場の店先に、一人の男がいた。一半という等級を貰い駆け出しをようやく卒業したその冒険者は、十数日振りに戻ったリブレライトで昇級祝いを一人で存分に楽しむつもりだった。パーティメンバーを誰も誘わなかったのは、ここでの一時をたとえ仲間と言えど邪魔されたくなかったからだ。
およそ仕事を頑張ったご褒美としては似つかわしくないカビの生えた酒場だが、これで中々どうして料理の美味さやドマッキの人柄で評判の高い店である。しかし冒険者が目当てにしているのは料理でもなければ当然店主でもない。
つい最近加わった新顔の店員――人呼んで白亜の美少女。
その天変地異じみた可愛らしさを再び拝むため、冒険者はこうして足を運んだのである。
酒場に入れば、喧騒。相も変わらずゴロツキ崩れの客層が目立つが、冒険者を生業としている自分も傍から見れば同じ穴のムジナ扱いを受けてしまうだろう。そう、この厳つい男どものその多くが自分と同じ、たった一人を目当てにしてきているだろうことも含めて。
「らっしゃい! 空いてるへ席どうぞ!」
若い男の店員から元気のいい言葉を貰って、冒険者はなるべく端のほうの席へと腰を下ろした。ここを選んだのは喧騒の只中に入りたくなかったというのもある。だがそれよりも『あの子』の姿がよく見えるように店中が見渡せる場所へ座りたかったのだ。
上手い具合におあつらえ向きの席が見つけられたことで冒険者は気を良くした。
「…………」
古びたメニューを眺めているフリをしながら、じっと冒険者は待つ。
とっくに頼むものは決まっているのだが、今注文しようとすると傍でテーブルを拭いているこちらも新顔らしい赤髪の少女に対応されてしまうだろう。
いや、この子も非常に可愛らしい子ではあるのだが冒険者の目当てとは違うのだ。こびりついた汚れに一生懸命四苦八苦している様子にはなんだか庇護欲までそそられるが断じて我慢、当初の目的を忘れることなかれ。
鉄の意思で動かない冒険者の横で、しつこい汚れに痺れを切らした赤髪の少女がなんとテーブルを燃やし始めた。ぎゃあぎゃあと騒ぎが巻き起こったがとっくに自分の世界へ突入している冒険者は数々のクエストを経験することで培った持ち前の集中力を如何なく発揮し、消火作業が始まっても気付くことはなかった。
冒険者が意識を向け続けるはただ一人、白亜の美少女。その動向だけだ。
「あ、ちょっといいかな」
件の子が近くを通りかかった際に、何気ない風を装って冒険者は声をかけた。しかしてその心臓はドキドキだ。どうか彼女に聞こえませんように、と彼は自分でも呆れる不安を抱く。
「はーい、ご注文をどうぞー」
そのたった一言に冒険者は感慨深くなる。つい一月前、たまたま就業初日に彼女の慣れない接客を受けた彼からしてみれば、これだけ手慣れた様子で堂々とした態度を見せられれば何かこう、胸にじんとくるものがあった。
――俺の見ないところで成長してるんだなぁ……。
なんてもしバレたら少女から「あんたはどこの誰で、俺のなんなんだよ」とツッコミを受けそうな感想を胸に、それにしてもと冒険者は伝票を取り出す少女の姿を改めてじっくりと眺める。
鈴の鳴るような声、棚引く清い白髪、滑らかな白肌、柳眉の下で輝く薄紅色の瞳。愛くるしさと美しさを完璧な割合で同居させた、あどけなくも見る者を惑わせるその顔立ち。色気のかけらもないはずの店員用エプロンが極上のランウェイ衣装のようにすら思えてくる。
――やはりこの少女は美麗が過ぎる……。と冒険者は以前にも受けた衝撃を、そっくりそのまま再度味わうことになった。
「? お客さん、どうかしましたか」
呆けたように黙り込んでいた冒険者だったが、少女から訝しげに訊ねられたことでハッと我に返った。
いけないいけない、何をしているんだ自分は。少女から怪しまれてしまうではないか。呼んでおいて注文もせず、ただジロジロと店員を舐め回すように見ているなど……これでは気持ち悪がられてしまう。
それだけでも悲惨だが、店主に報告されて叩き出されでもしたら最悪二度とこの店の敷居を跨げなくなるおそれもある。
いや、と冒険者は気付く。
すでに店主はグラスを拭くフリをしながらこちらを刺すような目付きで睨んでいるではないか。しかも彼だけではなく彼女の隠れファンの客たちまでもが研ぎ澄まされた刃のように鋭い目を向けてきている。誰とも面識はなく、言葉を交わしたこともないが同類は同類を知るもので、彼らの意図は明確に伝わってくる。
『困らせてんじゃねえぞコラ。そして独り占めは圧倒的ギルティ……!』
そういった視線だ。殺意すら込められているように感じる。
モンスターを相手にするのとはまた違った恐怖が襲い、冒険者が慌てて料理と酒を頼もうとしたところ――店内で一際大きな騒ぎが起こった。
何かと思えば、喧嘩だ。ゴロツキが集まる店なだけあってこういったことは珍しくもない。当人たち以外の客も囃し立てるようにして殴り合いを楽しんでいるのがその証拠だ。
「――ちっ、またか」
いつものようにドマッキが喧嘩している二人とも追い出して終わりだろうと予想した冒険者の耳に、舌打ちらしきものが届いた気がした。しかもなんだかそれは目の前の少女から聞こえたような気までした。しかも少女は一瞬、店内の誰よりも双眸を鋭利にさせて荒んだ顔を見せたような気さえした――いやもちろん、そんなものは全て冒険者の気のせいに違いないのだが。
少女はにっこりと愛らしく笑みを作って「すみませんけど少々お待ちをー」と言って冒険者に背を向けた。そして向かう先は喧嘩中の男たちのほう。
「あ、あぶ……」
その危険な行為にとても驚いて、急いで止めようと立ち上がりかけた冒険者の肩に誰かの手がぽんと置かれた。彼が咄嗟に振り返れば、そこには見知らぬ禿げ頭の男が。
「まあ慌てなさんな。あんたこの店に来たのは初めてじゃないんだろう」
「あ、ああ。以前にも何度か、あの子が来てからは今回で二度目だ……ってそれよりも、早く彼女を止めないと!」
「ははあ、するとまだアレを見てねーのか。なら運がいいな。白亜の美少女のもうひとつの顔がこれから拝めるぜ」
「も、もうひとつの顔だって?」
禿げ頭の男が訳知り顔で頷くのに冒険者は困惑するしかなかった。
顔と言うなら前回も今回もあの美しい顔をたっぷりと堪能している。
それ以外に何があるというのか、と冒険者が男の手を振り払ってでも少女のもとへ行こうとした、その時だった。




