230 戦地に在るべきは
迎賓館の一室にて眠るクータ。彼女が復調するまで見守るべく傍についているジャラザは当然、本殿で起きた異変を察知した。この場にも悪魔憑きが現れる可能性がなきにしもあらず、ということで気を張っていたのだが、そうでなくともすぐに気付くことができただろう。
何せ彼女の耳に届いた崩落音はかなり凄まじいものだった。
発信源からは中庭を隔てているために距離はあるが、それでも建物自体が爆発したのかというようなけたたましい音がここまで響いてきたのだから、これで気付くなと言うほうが難しい。
「ちっ、これほどか……!」
聞こえたそれが開戦の調であることをすぐに悟ったジャラザは顔を顰める。
兇手を退け宗教会の面々もすでに姿を消した今、ここまでの騒ぎが起こるとすれば悪魔憑きによるものとしか考えられない。しかしここまで派手な戦い――つまりは建物を倒壊させるような激闘になることは、予想していなかったわけではないが起こってしまえばやはり面倒だと言わざるを得ない。
本部内には大勢の信徒たちがいるのだから好き勝手に暴れては彼らに危険が及ぶ。何が言いたいかというと、ここで自由に力を振るえるのは悪魔憑きのみで、逆にそれを現在相手取っているであろうナインは非常に窮屈な戦いを強いられているだろうということだ。
「ここも安全ではないな……うかうかはしてられんか」
ナインと悪魔憑きがどんな戦いを演じるにせよ、離れた迎賓館の中だからとて安全圏とは言えないことだけは確かだろう。規模の大きい戦闘ならむしろ崩落の恐れがある建物内は余計に危険とも言える。
そう判断したジャラザはクータを背負い、部屋を出る。慌てふためく使用人たちを誘導し裏口から逃がすことも彼女は忘れない。
「お主ら、一応言っておくが決して音の聞こえるほうへ近づこうとするでないぞ。避難経路くらいは用意されているのだろう? 大人しく有事の際のシミュレート通りに動くが吉だ」
「ジャ、ジャラザ様はどうされるのですか。クータ様を背負われたままでは……」
「うむ、その気配りは天晴れだが、こんな時なのだから儂らのことは気にせんでもいい。今はとにかく自分たちの身の安全を第一にすることだ」
最後まで残った誇り高きバトラーにそう言って背中を押してやり、ここから逃がす。迎賓館にはもう誰もいない。あとは自分たちだけだ――ここでジャラザは選択を迫られることになる。
それは自分たちも彼らに続いて避難するか、それとも主人の下へ馳せ参じるかという二択。
「むう……どちらを選ぶべきなのか」
少女は迷う。
本音を言えばナインの助勢に向かいたいのだが、今はクータの守りを任されている最中だ。
奇しくもバトラーの言った通り、彼女を背負ったままでは参戦したところで戦力になどならないだろう。むしろ足手纏いにすらなりかねないのだからクータを危険に晒さないためにもそちらを選ぶのはどう考えても得策ではない。
しかし、かと言って主人を置いて逃げることが従者に相応しい行動なのか?
ジャラザは下唇を噛んで思考を急ぐ。短い間で熟考し、すぐに結論を下した。
(――やはり無茶はできんな。主様よりクータを任された以上、今の儂がやるべきは加勢よりも避難! 万が一にも悪魔憑きの手がこちらに伸びた場合、主様を不利にする恐れもあることだしの――)
そう思考しながら裏口から出ようと足を向けるジャラザ。
を、引き止める声が背中からする。
「……まって、ジャラザ」
「クータ?! 生きておったのか!」
「クータ死んでないから……。そんなことより、行く方向はそっちじゃないよ……行くのは、ご主人様のほう」
「お主、今の自分がどういう状態かわかっていて言っておるのか? 兇手との戦闘で著しく疲弊しているところに治癒術をかけたのだから、数時間眠った程度では体力が戻るはずもない。主様の下へ参ったところで、クータよ。お主に何ができる?」
「なにも、できないかもしれない」
「ならば――」
「でも、なにかできるかもしれない」
「……!」
肉体に圧し掛かる倦怠感からいつもの溌剌とした口調は鳴りを潜め、とても小さな声ではあったが――そこには確たるクータなりのプライドが込められていた。
「自分の身くらいは、自分で守るから……行こうよジャラザ」
「……本当ならここで『馬鹿を言うな』と突っ撥ねるのが正しい選択なのだろうが――いいだろう。共に参ろうぞ、クータ」
決意したジャラザは反転し、進路を変更する。行き先を変更させて満足したのかまた寝息を立て始めてしまったクータに苦笑しつつ、裏口からではなく以前より遥かに開放感に溢れた玄関口――言うまでもなくそのリフォームを施したのは彼女らの主人だ――を出て、その直後。
本殿のほうからナインが飛来し、ジャラザの眼前で土砂を巻き上げながら激しく着地した。
舞い上がる土埃に隠れているがよく見ると彼女の腕の中にはぐったりとした教皇シルリアの姿まであるではないか。
思わず呆気に取られるジャラザ。それを横目で見つけたナインはすぐに仲間のもとへ駆け寄った。
「丁度いいとこころに! ジャラザ、シルリアさんを頼む。相当消耗してるからお前の術で治してやってくれ。俺があいつを引き離すから、その間に」
言われるがままシルリアを受け取るジャラザ。背にはクータ、右腕にシルリアを抱く彼女は積載量いっぱいいっぱいといった感じだが、それでも両者をしっかりと抱えて放さない。クレイドールやクータと比べれば非力な部類に入るジャラザだが、それでもナインの従者として彼女もまた少女らしからぬ腕力を持っていることに変わりはない。
「りょ、了解した。して、『あいつ』とは――」
ズドン!!
ジャラザの質問を遮る激しい衝撃。思わず視界を閉ざした彼女が恐る恐る瞼を開けると、すぐ横で組み合うナインと――シリカの姿があった。
「なっ……」
ジャラザが声を漏らしたのは悪魔憑きの正体に気付いたが故か、それともナインと互角に掴み合うそのパワーに驚いたのか。背後で息を呑むジャラザに事情を説明する余裕もなく、ナインは歯を剥き出しにして怒りを露わとした。
「てめえ、今なんでジャラザを狙いやがった……?」
「そうすればナインのほうから飛び込んできてくれるかと思って……あはっ。当たってたじゃない? 残念ながら防がれちゃったけれどね」
「そうかい。お前はぜってえ、ろくな死に方しねえな!!」
ナインの身体からオーラが弾ける。白く清浄さを思わせる美しいそれは、至近距離にいるシリカに対しては容赦のない暴風のように押し寄せた。深紅の瞳が強烈に輝き、髪が生き物のように自ら重力に逆らって広がっていく――怪物少女の見せる全力全開の様相を目の当たりにして、シリカは三日月が如くその口に弧を描いた。
「やっぱりあなたは特別なんだわ。私と一緒ね、ナイン。あなたの力のルーツがどこにあるかは知らないけれど、でもそんなことはどうだっていい。それは追々知っていけばいいのだから――今はとにかく、あなたを私だけの物にさせてもらいましょう。その後でゆっくりとシルリアを殺せばいい。そう、私こそが! あなたという特別すらも欲するがままに手に入れる、真の絶対者! シリカ・アトリエス・エヴァンシスなのだから!」
「寝ぼけたことをピーチクパーチク囀ってんじゃねえぞ――くそガキが!」
「あはは! 自分だって子供のくせに!」
「お前ほどじゃあねえんだよ!」
ぐぐ、とナインが本気を出すことで組み合う姿勢が僅かに彼女優位のものとなる。そこでジャラザは、主人が求めているであろう情報を口早に伝えた。
「主様よ! 座談会の期間中『礼拝堂』は閉め切られていると聞いた――近場で戦場にするならそこしかあるまい!」
「でかしたぜジャラザ!」
どんっ! と激しく地を蹴ってナインはシリカを押し込むようにして連れ立っての飛行へと移行する。本殿の上空を超えて視界から消えていく主人を目を細め見つめるジャラザ。結局のところ加勢はできそうにもない……が、シルリアを抱きかかえたままではナインも逃げ回ることくらいしかできなかったであろうことを思えば、自分なりの役目は果たせたと考えるべきだろう。クータには悪いが、さすがに二名も重態者を引き連れて戦闘に参加する気はない――。
「やー、どうもこんにちはジャラザさん。こちらはなんだか面白いことになってるみたいですねぇ」
ジャラザが場所を移そうとしたとき、ふと聞き覚えのある声がした。
驚愕とともにそちらへ向けば、そこにはここにいるはずのない者――オイニー・ドレチドが何故か訳知り顔で立っていた。その恰好は街娘に扮したものよりは幾分か動きやすそうな物に変わっており、腰には長い袋を引っ提げている。
「お主……いつの間に儂の傍に」
「まあまあ、それは別にどうでもいいじゃないですか。いま重要なのは悪魔憑きを打倒することでしょう? そちらのお二人には一旦礼拝堂から遠く離れた安全地帯で休んでもらうとして――ジャラザさん。あなたには是非とも私を手伝ってもらいたい」
「手伝う、だと? 貴様はあの戦いに割り込む気でいるのか?」
これは暗に「お前にそこまでの実力があるのか」と言っているようなものだがジャラザは遠慮なくそのまま疑問をぶつけた。それに対しオイニーのほうも特段気にする素振りを見せることなく、いつもの眠たげな目付きのまま気負った様子もなく頷いてみせた。
「ええ、勿論ですとも。悪魔に関しては私も一家言あると言ったでしょう? 悪魔憑きがこそこそと隠れ潜むことをやめたのであればこちらのものです。秘策は我にあり、といったところですかね」
「ふむ……ならばまずは具体的な案を聞かせてもらおうか」
「簡単なことですよ。シリカ・エヴァンシスと聖杯の大悪魔とを――私たちで切り離してしまえばいいのです」