24 続・局長リュウシィの煩悶
種を明かすとナインは、そこまでリュウシィの思惑について考えが及んでいるわけではなかった。
彼女は会話中に表情を暗くするリュウシィの様子から、続けざまに仕事を頼むことを申し訳なく思っているのだろう、ぐらいに推察をしたに過ぎない。退室の際にかけた言葉も「ギブ&テイクなんだからそう落ち込むな」という以上の含みはなく、端的に言ってしまえばリュウシィの穿ちすぎであった。
少々の誤解が生じていることを知りもしないナインは米俵を担ぐような遠慮のない所作でクータを運びながら、用件の済んだ治安維持局の建物を出る。
すると、正面玄関から正門へと続く幅の広い階段を降りる途中に、すれ違った人物がいた。
それはくすんだ銀色をしたショートの髪に、どこか眠たげな目付きが印象的な少女だった。ナインが思わず振り向いた理由は、ただなんとなくとしか言いようがなかった。
なんとなく、その少女の雰囲気が気になった。
悠然というよりは漫然と言うべき非常にゆっくりとした足取りで階段を上がる彼女は、とても目立つ青いマントを着用している。その背中には金の刺繍で複雑なマークが描かれていた。そのマークに見覚えがある気がしてナインは首を捻り、すぐに思い出す。目にしたのはついさっきだ。リュウシィが胸元につけているバッヂ……それに印されているマークにどことなく似ているのだ。
あれをもっと華美に仰々しくしたような模様が、少女の背で揺れている。
ということは治安維持局の関係者か、とナインは推測する。
まあ、ここを訪れている時点で大なり小なりそういった人物なのは間違いないことだが。
やがて建物の中へと少女が吸い込まれて見えなくなるまで、ナインは立ち止まって見送った。それからやっと歩みを再開させるが、どうしてただすれ違っただけの彼女がこんなにも気になったのか――それが分からなかった。
ナインには自覚がなかった。
今の彼女は戦闘を終えて一睡もしないまま朝を迎え、アウロネに急かされたこともあってすぐにリュウシィへ報告するためにここまでやってきており、ようやく帰宅の折を迎えたところだ。
そのせいで、未だに多少の気の昂ぶりが残っている状態であった。
戦いの余韻が尾を引いており、戦闘モード(ナイン自己命名)にならなければそこらの一般人と大して変わらない知覚能力しか有しない彼女が、珍しく日常モード(ナイン自己命名)でも敏感になっている状態。だからこそ横を通っただけでも嗅ぎ取ることができた。
その巧妙に隠された――強者の匂いを。
◇◇◇
青いマントの少女は事前のアポイントメントすらなしに、治安維持局内を自由に闊歩していた。のんびりと自分の庭のように廊下を進む彼女は職員から不審な目を向けられていたが、皆彼女の背負うマークに気が付くと一様に態度を改め、頭を下げた。それを見るともなし視界の隅に収めながら、やがて少女は目的の場所へ辿り着いた。
そこは幼い見た目ながら治安維持局のトップを務める少女が私室として利用している部屋の前。
つい先ほど、この部屋からナインが出て行ったばかりだ。
コンコン、とノック。「はいよー」と返ってきた入室許可は明らかに気が抜けており、部屋の主が来訪者についてまったく予備知識を持っていないことがよく表されていた。
「失礼しまーす」
間延びした挨拶はともすれば無礼と取られかねないもの。だがこの時に限って言えば、たとえ治安維持局の局長であろうとも、それを無礼などと言って切り捨てることなどできなかった。
「っ! オイニー・ドレチド……!?」
扉を開けて入室してきた者の顔が目に入った瞬間。リュウシィは驚愕とともに、反射的に臨戦態勢に入った。
フルネームを呼ばれた青いマントの少女は、にやりと口の端を吊り上げた。
「あれあれ? いいんですか、その態度。呼び捨てはまだしも……いえそっちも大問題は大問題ですが、それ以上にその警戒の仕方は些か度が過ぎてますよー? そんなことでは、貴方の立場が危うくなるばかりでしょうに」
ぱたん、と後ろ手に扉が閉められる。
これで二人きりの空間が出来上がったことになる。
「いやあ、この場に誰もいなくてよかったですね。貴方の失態は私の胸に閉まっておきましょう。ここだけの話、ということで」
ちっ、とリュウシィは内心で舌打ちする。自身が失態を演じたのは事実だし、それを吹聴しないというオイニーの言葉に救われた形だが……だからこそ気に食わなかった。
オイニー・ドレチドという少女に対し、リュウシィは生理的忌避感とでも言うべき悪感情を抱いている。それは人を食ったような彼女の言動が単純に目障りということ以外にも、万理平定省――お上所属であり『元監査官』という、リュウシィからすれば唾棄すべき肩書きを持っているからでもある。あちらこちらでオイニーがいやらしく目を光らせていたあの頃は毎日が不愉快極まりないものだった。
だがそれも今は昔。人事異動により現在の彼女は監査官の立場にいない。毛嫌いする理由がひとつ減ったことになるが、それでも一度抱いた印象はそう簡単に覆らない。何よりオイニーの性格自体が好かないという決定的な嫌う理由があるので、関係性が改善されることはないだろう。
ただし、いかに嫌っていようがそれを態度に出してしまってはまずい。
一概に上司部下といった明確な上下関係ではないものの、彼女が自分より上にいる人間であることは間違いないのだ。
だからリュウシィは言いたいことをぐっと飲みこんで、代わりに表面上だけの歓迎のセリフを吐き出すように投げかけた。
「ようこそ、オイニー。どうぞそこらへんに座ってくれ、遠慮なくね」
「快く迎えてもらえて何よりですねー」
くすくす笑うオイニーは、隠しきれていないリュウシィの渋面がおかしくて仕方ないといった様子だ。それが一層腹立たしい、とリュウシィはますます眉間に皺が寄るが、そんな彼女から目を移し、オイニーは別の物に注目した。
「おや? 空いたカップがふたつありますね。私が来る前にどなたかとお茶でも?」
いらぬ詮索を好んで行う、以前となんら変わりない様子のオイニーに、もう一度心の中で舌打ちをしたリュウシィはきらりと光る笑顔で答えた。
「いいや? これはどっちも私が使ったカップさ」
「……なぜふたつもカップを出す必要が?」
「違う銘柄のコーヒーを飲み比べてみたんだよ」
当然だろうと言わんばかりに居直ったリュウシィに、オイニーは苦笑しながら「そうですか」と頷いた。
「私はてっきり、片方はあの子が使っていたのかと」
あの子、という言葉にリュウシィの眉が動く。それが誰を指しているかはすぐに分かった。
「どうですリュウシィ。エイミーとは変わらず親しくしてくれていますか?」
「……そう頻繁に会うわけじゃないが、君が心配するようなことは何もないよ。私たちはずっと『友人』さ。それは決して変わりない……。君こそ、エイミーとはどうなんだ。最後に会話したのはいつなんだい」
「さあ、もう忘れましたね」
「忘れるほど昔と」
「いえいえ、十年一昔と言うでしょう? 最後に顔を合わせてから、まだ十年は過ぎていませんから」
「屁理屈ばかりだね、君は」
会ってやれよ、とリュウシィが真剣に言う。
考えておきましょう、とオイニーが軽く頷いて、
「そんなことより、仕事の話をしても?」
「……はあ、本当に君ってやつは……いいよ、さっさと終わらそうか。だけど、どういう仕事なのかまったく見当がつかないな。もう監査官でもない君がここに何の用なんだ?」
「立場上名刺は渡せませんがどうか覚えていただきたい――執行官が一人、『七聖具蒐集官』オイニー・ドレチド。今はそう名乗らせていただいています」
「七聖具……だって?」
その聞き逃せないワードに、リュウシィの双眸に剣呑なものが宿る。
対するオイニーはなお眠たげな目付きのままに、『容疑者』へと真っ直ぐに視線をぶつけながら言った。
「蒐集官としての質問ですので、リュウシィ、どうか心して答えるように。貴方まさか七聖具のひとつを――隠し持ってやしませんよね?」




