222 たくさん死んだ夜が明ける
「かっかか! まさかよりにもよって主様だけが賊を討ち漏らすとはの――いやなに、失敗というほどのことではあるまい。シリカを兇手らの手に渡さぬという教皇シルリアからの依頼はしかと果たしたわけだからな――かっか!」
「って言うわりに笑ってくれるじゃねえか、おい」
むっすう、と口を不満げに曲げながらナインは腕を組んだ。彼女とジャラザのすぐ傍には、ベッドに横たえられたクータと、それを介抱すべく控えているクレイドールもいる。
「で、どんな感じなんだ?」
「ぐっすりと眠っています。怪我そのものは治療が済んでいますので、あとは体力を回復させることですね」
「そうか……」
彼女とジャラザ両名による知見の異なる診察を受けたクータは治癒の最中に一度目を覚ましたが、ナインから任務終了の言葉を聞くなりすぐに眠りについてしまった。花丸元気印の彼女がここまで疲れきっているということは、それだけの激戦が繰り広げられたのだと予想がつく。
「屋上からも爆発や火柱が見えたくらいだ。あの戦闘痕からしても兇手連中の内でも上位の刺客とあたったのだろう」
「持ち場から観測しましたところ、おそらく敵も火を使う相手だったかと。クータも通常負うはずのない火傷を負っています」
「クータを火で追い詰めるくらいの敵か……」
今回の凶手との戦闘では、全員が大なり小なり傷を負うこととなった。それで言うなら体中を切り刻まれ穴だらけにされたナインこそがぶっちぎりの重態患者であるが、彼女は対ミドナ戦のときと同じく戦闘終了後しばらくして聖冠による自動修復が働き、全身くまなく重傷だったはずが一番先に全快してしまっている。
それがなくとも怪物少女としての肉体はやはり尋常ではなく、ナインは痛みを覚えながらもさほど普段と変わりなく動けていたのだが――そしてその姿(血だらけ傷だらけの少女がなんともないかのように手を振っている様)を見て本殿から駆け付けた警備隊員たちは普通に引いていたのだが、ナインは彼らから向けられた何とも言えない目つきを記憶から消去していた。精神安定上の都合である。
「まあ、予想通りではあったな。正面と裏。そこから攻め込むからには自信家かつそれに見合う腕のある者だろう、という推察のもとに主様とクータを配置したのだからテレスティアの采配に間違いはなかった。シリカ近辺には本人が控えたがった以上は、これより他に択はなかったろう――あまり気に病むなよ、主様」
「わかってるさ。全員無傷で勝てるだろう、なんてことは思ってなかった。けどやっぱ、ちょっと甘かったかもなって。傷だらけで倒れてるクータを見て、ちと泣きそうになっちまった。リーダーとしては情けない限りだが……」
「ノン。否定を。情の深さを恥じることなどないと愚考いたします。マスターはどうかそのままでいてください」
クレイドールの言葉に、ナインは頷いた。確かに、ここでクータの負傷をなんとも思わないようだと、そちらのほうがよっぽどリーダーとして失格かもしれない。優しさと甘さというのはその見分けが非常に難しいがしかし、甘さを排除するために優しさまで失うことは最も避けねばならないことだ。
「とにかくまあ、今はお疲れさんってことで。クータも、ジャラザも、クレイドールも。本当によくやってくれた。想定したよりは敵の数が少なかったってのもあるけど、ちゃんとシリカにいつも通りの夜を過ごさせられたんだからな」
テレスティアと一緒に確認したが、シリカは部屋の中できちんと眠っていた――派手な戦闘ばかりが行われていた中でも防音魔法によって彼女の安眠は守られたらしかった。
念のためにと部屋前で警護を続けるテレスティアと別れて、ナインはチームだけで休憩しているところだ。もうすぐ夜も明けようとしている。結局クータ以外は不眠不休となってしまったが、大変なのは何もナインズだけではない。
シルリアやシリカの寝室は防御も防音も完全に近いレベルで施されているが、『暁雲教』といった来訪者たちの泊まる部屋はグレードこそ高いが最高峰ではない。さすがに来客用にまで莫大な費用のかかるセキュリティを施すようなことは天秤の羽根もしておらず、それはつまりこれだけのバカ騒ぎがあったからには、離れた本殿の一室にも騒音が届いていることは十分に考えられるということだ。
今頃は差し向けた兇手らの失敗にも気付いているだろうが、彼らがその命令を下したなどと認めるはずがない。むしろ兇手を仕留めたこちらに難癖をつけるだろう。悪評が広まることを避けたいのはどの組織も同じことなので、おそらく最終的に兇手の存在は初めからどこにもいなかったという扱いになるのだろうが、組織間での落とし前は世俗とは別にある。
人員に手を出したことに加え、戦闘音だってきっと嫌がらせの一種としてこちらを責めてくるくらいのことはするだろう、とはテレスティアの談であり、宗教家がどれだけ常人とは異なる思考回路を持っているのかを知ったナインもまた、実にあり得そうなことだと思った。
「そう考えると暗殺者というのも難儀な者たちだの。結局のところは使い捨ての道具でしかないのだから」
「承知の上だろうけどな。自分にとっても都合がいいから宗教組織の子飼いになってたんだろうし……まあフリーで活動するよりどっかに抱え込まれたほうが安定するのは間違いないだろうからな」
兇手というものがどうやって仕事を受けるのか、どんな風に裏の業界でパイプを作っていくのかなどというのはナインにとって想像もつかない世界だが、個人だけで活動するよりもどこぞの専属となるほうが楽だろう、ということくらいはわかる。
その結果割と無茶な仕事をさせられた挙句に兇手たちはあえなく散っていったわけだが――では自分から逃げおおせたあの二人は、今後どうなるのだろうか? 一方には大したダメージも与えられなかったが、もう一方にはそれなりに深刻な傷を負わせた自覚がある。殺意も加減もない、ただ全力を振るっただけなので彼女たちが生きていること自体にはなんとも思わないが――。
(この街に留まるかどうかもそうだが、ひょっとすると恨まれて復讐されるようなことも、あったりするんだろうか……プロならそこらへんは割り切ってそうだけど、どうなんだ。前半はかなりいいようにやられちまったし、やりようによっては殺せると意気込んでくるってのも考えられなくはない……の、かな? 少なくとも戦った感じだと、あいつらからはあまりドロドロと湿ったようなものは感じなかったけど。って、殺し屋相手の評価とは思えねーな、我ながら)
などと思いつつも、ナイン以外の面々もまた戦った兇手相手にそれほど嫌悪感を持ってはいなかった――シリカを狙って来たという点にテレスティアは義憤を見せたが、それを除けば決して仕留めた男のことを悪く言おうとはしなかった。それはクータやクレイドールも同じで、きっとクータも自身の炎で燃やした人物を貶すことはしないのではないかと、なんとなくだがナインはそう感じている。
金のために殺す彼ら彼女らはどう考えても『悪』だ――その生き方自体は決して認められるべきものではないだろう。
だが、やってることは悪くとも兇手たちの在り様はある種純粋なものでもあった。
強ければ生き、弱ければ死ぬ。
それだけのシンプルなルールを己に課している。それを弱者にすら強要するのが問題なのだが、少なくとも戦闘時では――戦士同士の戦いにおいては、彼らの在り方は何より正しいものでもあったのだ。
仕事は真っ当ではないが、人間としては真っ当だと。
ナインはあの二人に、そして他の兇手に対してもそんな風に感じたのだ。
そう、それこそ――本殿に籠る宗教家たちに比べれば、よっぽど人間的であると。
「このまま朝を待って、それから座談会二日目の準備だ。昨日と同じで昼前から会議を始めるみたいだけど、この騒動でたぶん他の宗教連中もやいのと言うだろうし、開始時間は延びるか……あるいは逆に早まるかもしれん。どっちにしろクータは直前まで寝かせて、できれば食事を取る時間を――うん?」
ナインは首を傾げる。話している最中に不思議そうに扉を見やった彼女へ、ジャラザとクレイドールが訝しげな視線を向けた。
「どうされましたか、マスター」
「ああいや、なんか館が騒がしくなった気がしてな。あー違う違う、戦ってるような感じじゃない。新しい賊が来たって様子じゃなくて、なんだかドタバタとこっちにも……」
とナインが言い切る前に、勢いよく扉が開いた。そこにいたのは警備隊の副隊長。ナインは彼の名前を聞かされたがまだ直接呼んだことはない――どちらかと言えば護衛隊長らとのほうが親交がある。そんな間柄でしかない副隊長が血相を変えて、ノックすらせずに部屋へ入ってきたことにナインは困惑する。しかし、彼の表情からして何か大変なことが起きたということにはすぐ察しがついた。
「どうしたんです――俺の力が必要なことですか?」
「ええ、今すぐ本殿へ来ていただきたい。緊急事態なのです」
「了解です、すぐ向かいましょう。……ところで、何があったのかくらいは聞いても?」
「――全滅しました」
「え?」
「『暁雲教』・『連座の民』・『光来の家』・『外界一党団』――六大宗教会の当主及びにその補佐と護衛役、総勢四十七名が……全員、殺害されました」




