218 迎賓館攻防:中庭
外界一党団に雇われている兇手二人組の片割れ、モルビクは迎賓館左方、二階の窓枠に飛びついているところだった。
握力任せに窓枠へ指をかけ、片腕だけで決して軽くない自身の全体重を支えた彼はそのままガラスを殴りつけることで破ろうとして――振りかぶった腕を中途半端な位置で静止させた。
それは背後に気配を感じたからだ。
「ちっ――もう見つかっちまったかい。いくらなんでも早かねーか」
「目標を発見。駆逐します」
「あー? ……メイドだぁ?」
こちらを見咎めているのが宙に浮くメイド少女であることに戸惑いの声を漏らしたモルビク。その表情はまるで自分は夢でも見ているのではないかと疑っているようだった。そんな彼に構わず、空飛ぶ無表情メイド――クレイドールは賊を窓から引き剥がすべく殺人的重みの蹴りを放った。
「ぐおっ!」
壁スレスレを薙ぎ、叩き込まれる足刀。受けたモルビクは少女の尋常ならざる脚力によって庭園の花畑にまで吹っ飛ばされる。
なんとかガードはしたが、受け止めた両腕には痛烈なまでの痺れるような感覚が残っている。
「く……やるじゃねえかメイドの嬢ちゃん。とんでもなく硬い脚をしてやがるな……だが硬さに関しちゃ俺も自信があるぜぇ!」
地面に手を着く彼は、蹴られた衝撃で頭巾が外れて隠されていた顔が露わとなっている。正体を現した賊を見てクレイドールは僅かに眉を上げた――それは彼女が作る精一杯の驚きの表情に他ならない。
少女が目にしたのは賊の頭の上にある目立つ耳、動物のそれを思わせるような顔立ち、刺々しい歯並びに五指の鋭い爪――その身体的特徴からして彼は間違いなく亜人種、獣人である。
排他的な傾向のあるアムアシナム内に獣人がいること、それも兇手などという裏の稼業に身を置いていることにも意外さを感じてはいるが、今のクレイドールはそれ以上に警戒心を抱いた。
獣人は肉体のポテンシャルが高く、同じく魔力を操るものの、人間が使う魔法とは系統の異なる術を行使するのだ。油断すれば苦戦は免れないだろう。
「土門・大土蜘蛛!」
モルビクの詠唱に合わせ出現したそれにクレイドールは関心と観察の目を向ける。
「データ照合――回答得られず。これは召喚術……いえそれとも構築術でしょうか?」
モルビクを持ち上げるようにして姿を現したのは、一匹の巨大な蜘蛛だった。それもモンスターの『アラクネー』にも共通する人型の上半身が生えた異形の大蜘蛛。
大蜘蛛の脚は巨体を支えるためか通常の蜘蛛の倍するほどの数があり、その全てが刀剣のように鋭利で尖っている。それは単なる脚部に収まらず、どう見ても立派な武装である。
「見掛け倒しじゃねえことを約束してやる。さぁメイドの嬢ちゃん! お前にこいつが倒せるかい!?」
「――ブラスターキャノン発射」
多脚を忙しなく動かして巨体ながらも素早く迫ってくる大蜘蛛へ、クレイドールは即座に手の平から光弾を撃ちだす。三連続で放ったそれは、しかし脚の数本を前に出す単純な防御によって呆気なく霧散させられる。
「……通じませんか」
「言ったろーが、硬いってよ! 次はこっちの番だぜ!」
蜘蛛の胴体に乗るモルビクの得意げな声に、クレイドールは拳を構えた。同時に振り翳される脚の二本を避け、三本目を殴って迎撃し、四本目をシールドを展開し受け止め――そのすぐ後に突いてきた五本目を胸部に貰ってしまう。クレイドールもまた鋼鉄の肉体を持つために重傷とまではいかないが、蜘蛛の脚は速度・威力ともに高水準であることは間違いない。
「……っ!」
事前に算出した推定以上のダメージを受けたことで、クレイドールの表情が険しくなる。
「はっはっは! 大土蜘蛛の脚は十六本もあるんだ。空を飛ぼうが弾を弾こうがとても一人じゃ抑えきれないだろうよ!」
「――仰る通りですね」
敵の言葉の正しさを認めたクレイドールは、更に数撃ほど脚の刺突を掠らせながらもスラスターを強く噴かして、素早くその射程から逃れた。逃走を図りつつ、その実彼女はとある武装にエネルギーを貯めているところだ。
「フェノメノンアイ、起動」
大土蜘蛛に生えた人間態の頭部は構造上それなりに高さがあるが、打ちあがるような急激な軌道でその頭上を取ったクレイドールはモルビクを真っ直ぐに見据え――両目から赤い怪光線を照射。
レーザービームは下の蜘蛛を無視し、その上に乗るモルビクを正確に撃ち抜いた。
こういった召喚術や使役術のような類いを相手にするときは、馬鹿正直に戦うのではなく術者を狙うのがセオリーである。誰もが知る定石を守ったクレイドールは見事に敵を倒した――かに思えたが。
「これは……?」
ぼろり、と崩れるモルビクの体。レーザーを受けた彼は開いた穴から急速に風化するようにしてその形を失い、単なる土くれと化してしまった。明らかに生身のそれではない散り方にクレイドールは困惑の声を漏らす。
『よお、騙されてくれたな!』
どこかから聞こえるモルビクの声。そちらに気を取られたクレイドールは大土蜘蛛の接近を許し、またしても多脚による激しい連撃に見舞われてしまう。
「くっ――!」
(ハイパーセンサーで脚の動き自体は十分追えますが――処理が追いつかない。今出せる速度ではどうしても六本目以降が鬼門になってしまう……いえ、それよりも。敵はいったいどこへ消えたのかが今は問題)
『はっは! 大土蜘蛛を無視して俺を狙ってくることなんざ予想してないわけがないだろうが。呼び出したと同時に土分身と入れ替わらせてもらったぜ――あとは楽なもんだ、お前がやられるまで安全な場所で高みの見物を決め込むってわけさ!』
「……なるほど」
脚を躱しながら、時折反撃を浴びせつつ――しかし圧倒的に被弾の多いクレイドールはモルビクの言葉に深く納得する。敵の戦術の理を認め、そして。
目まぐるしい攻防の最中でも彼女は計算することを止めず、やがて大した時間をかけることもなく全てを理解した。
「あなたはミスを犯した」
『なにぃ?』
ばぎん、と。
顔面に脚先を食い込まされたクレイドールは傷口が広がることも気にせずそれを振り払って、やや乱暴に距離を取った。この程度の間はすぐにも詰められてしまうだろうが、それでもいい。ほんの一瞬だけの時間が稼げればいいのだ。
それは変形に要するための時間。
敵を一撃のもとに沈めるための準備時間。
痛ましく割れた顔面に苦痛の色を一切浮かべることもなく、クレイドールは空中で適した構えを取る。
「隠れたのなら最後まで――私を殺しきるまで声を出すべきではなかった。そうすればあなたがどこへ消えたのかで私はもうしばらく迷わされたことでしょう、しかし」
声は聞こえる。されどその姿は見えない。
たったこれだけの事実からでも明らかになることはあるのだ。
例えば戦闘を大土蜘蛛に任せて自分は目標の居場所を目指そうとする――そんな誰でも思いつくような策を実践しないことから、モルビクが大土蜘蛛からそう離れられないのだろうと推測が立つこと。
あるいは、そうやってあくまで近くに潜んでいるはずの彼が、それでいてクレイドールのセンサーにも見つからずに隠れられているのは何故なのか、という目に付かないからこそ目に付く謎。
状況からの推理と帰結により、その答えまでもが既に詳らかとなっている。
「あなたは分身を用意すると同時に、自らは大土蜘蛛の内部に潜んだ。そうですね?」
『!!』
大土蜘蛛の傍らで、かつクレイドールの視界に映らない場所。花畑中を動き回るような戦いを演じている中でそんな都合のいい場所があるとすれば、それは他ならぬ大土蜘蛛の内側くらいしか存在しない。
見事に事実を言い当てたクレイドールに多少驚かされたモルビクだが、すぐに彼女の努力を鼻で笑う。
『はっ、わかったところでどうする!? ここならどうせお前の攻撃が俺に届くことはねえんだ――このまま嬲り殺されちまいな! ……って、そりゃなんだ?!』
「――変形、完了」
話す間にも進めていた腕の変形が既存にして初の実戦使用の造形へと完成に至る。
両腕を組むようにして形作られたそれは、一言で言うなら――『巨大すぎる鋏』であった。
剥き出しの両刃がぎらりと光沢を放つ禍々しい凶器――マスターたるナインからの再命名の折に誕生した新武装。
「そこに潜んでいるのであれば、私としても好都合です。敵をまとめて屠ってしまえばそれで済むのですから――」
『はん、イキりメイドが。やれるもんなら――やあってみやがれえっ!』
どれほど強がろうが大土蜘蛛の装甲を一撃で破れるはずがないだろうと、経験によって培われた強固な自信を持って突撃を仕掛けるモルビク。
自分は視界を確保していても外からこちらは見えないはず――だというのに彼は、その一瞬クレイドールの静かな瞳と確かに視線が合った気がした。
「――クロスギアシザース、イグニッション。攻撃名『大切断』」
新たに発現した最大武装の変形腕――射杭機に並ぶその武装名は、大裁ち鋏。
立ち塞がる全てを両断しあらゆる命を容赦なく断つ、途轍もなく凶悪な代物である。
「が、あっ……」
堅牢で刃など一切通さないはずの大土蜘蛛ごと自身の身体を真っ二つに切り裂かれたモルビクは、驚愕から目も口もだらしなく開け放した表情のままに花畑へ散るように落ちて――その傷によってすぐに動かなくなった。
土分身と同じようにただの土くれとなって崩れ去っていく大土蜘蛛を見るともなく見ながら、死体の傍まで寄ってきちんと敵の死亡を確認したクレイドールはそこでようやく腕の変形を解いた。
「――任務を完了。引き続き担当区域の警戒を行います」
戦闘終了を確かめたことで全身の損傷個所に対し修復プログラムでの集中治療にあたるクレイドール。浪費したエネルギーの補填もリアクターで行いつつ花畑から持ち場へと戻ろうとした彼女の視界に、迎賓館越しに巨大な火柱が映った。
夜闇を照らすような強烈な明るさを持つそれは、まさしく戦火と評すに相応しいだけの熱量をこの位置まで届けてきて。
「あれは――クータの炎ですか。それに、もうひとつ別の……」




