23 局長リュウシィの煩悶
夜が明けて、ナインは治安維持局の一室にいた。そこはリュウシィの私室として利用されている部屋で、先日にはエイミーもここに通されて個人的な相談を受けたのだが、当然ナインにそれを知る由はない。
ソファのひとつを丸々占領して寝こけるクータを余所に、ナインは出された飲み物を啜った。コーヒーのような色と味をした飲み物で、興味を引かれて名を聞けば「コーヒーだよ。知らないんだ」と返ってきた。
……まあ、いいけどねとナインはどこか釈然としない。
「お疲れ様だね、ナイン」
「疲れるほどのことはしてないけどな。いや、気疲れって意味ではしたけど。クータとアウロネさんが捕まったと思ったときには焦ったよ。あのそっくりさんはなんだったんだろう?」
「それはアウロネの術だよ。彼女はニンジャだからね。便利な術をいくつも使えるんだ。偽アウロネと偽クータで敵を欺き、ナインが心置きなく戦える場を提供したんだろう」
ニンジャ、とナインは口の中で呟いた。
この世界でその単語を聞くと違和感が激しい……とはいえ、言葉が通じている時点で今更なのだが。おそらくあちらとこちら、それぞれの言語にある似たような意味のワード同士が自動変換されているのだろう、とナインは予想しているが……しかしそのやり方では翻訳にも限界がある。
何にせよ最終学歴が高校中退のナインに難しいことは分からなかった。
別のことで頭を悩ませるナインに気付かず、リュウシィは自分の分のコーヒーを口にしながらほくほく顔で続ける。
「おかげさまで暗黒座会の幹部がまた一人、こちらの手に落ちた。よくぞ生け捕りにしてくれたね。感謝するよ」
「たまたまそうなったってだけで、努力したわけじゃないよ」
「ふうん、手加減なしのあんたから生き延びられるほどキャンディナは達者な腕を持っているってことか……前評判通りのようだね」
「前評判?」
首を傾げるナインに、リュウシィは悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「こっちにだって、暗黒座会の情報を知らせてくれるのはいるんだよ。キャンディナは暗黒座会の武闘派の中でもトップに位置するみたいでね。強さだけじゃなく、幹部としても高い位にいる……つまりはボスからの信頼厚い重要人物でもあるってわけさ。きっといい情報を持っているだろうねぇ、例えば――それこそボスの居場所とか、さ」
「絶賛絞り取り中か」
「まあね。そういうのが得意なのも、うちにはいるからね」
どっちが悪の組織だか分からん言い方だ、とナインは呆れる。
まあ蛇の道は蛇とも言う。悪い連中を相手にするには似通った手段を使わざるを得ないのだろう、とヤのつく人たちとそれを取り締まる公僕集団を思い浮かべてナインは勝手に納得した。
「実を言うと、連中の目がスルト・マーシュトロンの屋敷に集まっているであろう間に、以前から暗黒座会の支部だろうと目されていた場所へ三か所同時にカチコミをかけたんだよ。収穫は上々。ナインの手柄も相まって、暗黒座会は昨夜だけで相当な戦力を減らしたことになるよ。おそらく、あとはもうボスと一握りの幹部だけってところかな」
「へえ。じゃあ昨日はあの屋敷だけじゃなくて街中が大騒ぎだったんだな。だから俺たちのところにはアウロネさんしか付けなかったわけか……。ところでそのカチコミには、リュウシィも参加したのか?」
「もちろん。ナインにマーシュトロンを任せたぶん、人員は確保できたからね。そこで私という戦力を出し惜しむようなことはしないよ」
リュウシィは暗黒座会へチェックをかけた気分で、上機嫌だ。会うのは二度目のナインでも、初対面との雰囲気の違いが明確に感じ取れる。その落差に少々戸惑うが、機嫌が良くて困ることはない。次の話題が切り出しやすいので、彼女がご機嫌さんなのはナインにとっても助かることだ。
「それで? 俺の査定はどうなったかな」
「花丸合格だとも。アウロネもあんたの強さに舌を巻いていたよ。珍しく興奮を隠しきれていなかったね」
「あの冷静な人が興奮? ちょっと想像つかないな」
「ああ見えてアウロネは強い奴が大好きなんだよ。クータのことも痛く気に入っているみたいだし……あんたたちと仲良くなれそうで、私としても一安心かな」
強い奴が好き。
格闘技者に熱を上げる女性というのも少数派ながらいる……が、それとはニュアンスが微妙に違うだろう。そういった女性と違ってアウロネ自身も戦う者であるからして、共闘者への信とか、もしくはもっと純粋な憧憬だったりするのかもしれない。
……そういえば、と言われて気付くことがあった。
彼女は元から丁寧な態度ではあったものの、仕事を終えてからは余計に丁寧に、しかしどこかフランクさも感じられる態度に変わっていた。
あれはアウロネさんなりの信頼の証なのかもな、とナインはそれでもにこりともしなかった鉄仮面を思い返す。
「なるほど。だからリュウシィのお付きなんてやれてるんだな」
「お? それはどういう意味かな、ナイン?」
「いやあ、お前の部下って大変そうだなー、って」
「否定はできないね」
「やっぱり」
言外にナインの伝えたいことを察したのだろう、リュウシィは先ほどまでの笑みとは気質の違った笑い方をした。
「私のやり方を分かってくれているようで話が早いな。あんたの査定についてもう少し詳しく話そうか……いくら役に立ってくれたといっても、それでナインが治安維持局の一員になったかと言えば、そうではない。私とアウロネが認めても他は違うからね。まあ、すでに新たな協力者としてあんたの名を周知させてはいるんだが、それでも皆が皆ナインを信用するわけじゃない。そうだろう?」
だろうな、とナインは思うところを感じさせずに肯定する。リュウシィはひとつ頷き、
「だからナインにはもっと活躍してもらいたい。不穏分子じゃなくて強力な味方だと誰もが思えるくらいに、ね。そのためには、ひとまず私個人と手を組んで動いてもらう。部下じゃなく対等な力関係でね。そして悪の組織をひとつくらいは潰して、正義の使者として君臨してもらいたい」
「いや、話が急に大きくなりすぎだろ」
「そうかな? あんたにとっても、怖がられるよりは楽だと思うけどねえ」
「……まあ、正義の使者云々はともかくとしても、お前と連携して悪い奴らを捕まえるってのは俺としてもやぶさかじゃないよ。悪党退治をしている間は、変な目で見られることもないだろうし」
「…………」
ナインの寂しい言葉に、リュウシィは思いがけず自分が深く共感していることに内心で動揺する。
常人からしてみれば慮外の力を有する者同士として、思いのほか入れ込み、自身と彼女の姿を重ね、自己愛にも似た憐憫を抱いてしまっている。
かつて自分が通った道を、彼女も歩んでいる。
ならば彼女も、自分のように変わってしまうのか。
理想を追わず、現実に合わせるようになって――器用になったがスレてしまって、望んでここにいるはずなのに、窮屈さを感じて。
かつて嫌ったはずの汚れが、諸手にべっとりとへばりついて……。
「リュウシィ」
ナインを通して過去を振り返るリュウシィを、そうとは知らずに見つめられている本人が引き戻した。彼女の声に意識が現実へ帰還し、一切の揺らぎがない薄紅色の瞳が鏡のように自身を映し出していることに、リュウシィは気付いた。
「俺は何をすればいいんだ?」
「え」
「お前の言い方からして、すぐにでもやってほしいことがあるんじゃないかと思ってさ。流れから推測するに、また暗黒座会関係かな?」
「……妙に勘がいいねえ、ナインは」
ふっと気の抜けた様子で背もたれに身を預けながら、ただの子供のような仕草でカップの中身を飲み干すリュウシィ。ナインほどではないが彼女も十分に幼い見た目をしているので、そうしていると完全にそこらへんの少女にしか見えない。
と、対面のナインが考えていることを知ったら「あんたには言われたくないよ」と彼女は返すだろうが。
空のカップがテーブルに置かれる。
「ふう……結論から言うと、大正解だ。今回のカチコミで新たに怪しいところが見つかってね。そこは人手を割かずに潰したいと思っている」
「人手を割かずにってのは、どうして」
「だって私たちの敵は暗黒座会だけじゃないからね。他にも裏社会の厄介者は大勢いるし、そうじゃなくても街の警邏で常に人員は不足している。何も犯罪行為は裏の連中に限ったことじゃないってね」
「ああ、そりゃそうだな……こんな広い街をお前たちだけで取り締まってるのか?」
「万平省からも警吏は派遣されているけどねえ。数は少ないしそう実力もないってんで正直追いついちゃいないよね。結局、どこの街も自分たちでやるっきゃないのさ」
「万平省?」
聞き慣れない言葉に反応するナイン。
「万理平定省。うちのお上だよー……首都に行くことがあったら見てみるといい、すっごくでかいからすぐにそうと分かるはずだから」
「この建物も相当大きいけど……」
「比較にもならんよ」
「マジか」
あれはもう城だね、とリュウシィは遠い目をして言った。……いろいろと複雑な思いがあるらしい。
「うちの事情はいいとして。ナインにはまた動いてもらいたいけど、何も今すぐってことじゃない」
「あら、そうなのか」
「情報を取捨して精査して、となるからどんなに早くても一週間後かな」
「けっこうかかるな。そんな後で大丈夫なのか」
「別にいいんだよ。もし向こうが先に動きを見せても、それで方針を変えるつもりだから」
そうか、とナインは了承する。どのみち自分は言われた通りやるだけだ。どう攻め込むかについては管轄外としておく。
実際、組織についても情報戦についてもまったく知らないナインにとってはもはや、雲の上の話に等しい。手が届くものではないのだ。
「何にせよ、俺は備えてさえいたらいいんだな? いつお呼びがかかってもいいように」
「そうしてくれたら助かるね」
これで話すこともなくなった。丁度ナインもコーヒーを飲み終えたので、寝ているクータを肩に担いで部屋を出る――その直前。扉のノブに手をかけたまま、彼女は静かな声で言った。
「まあ、そう気に病まんでもいいさ、リュウシィ。好きにやってるのはお互い様なんだしな」
それだけを告げると振り返ることもなくナインは出て行ってしまう。パタン、と扉がどこか乾いた音を立てながら閉まる。白い少女はもう部屋にいない。
残されたリュウシィは、しばらく呆然としていた。
ゆっくりとふたつ置かれたカップに視線を移し、自虐的な笑みを浮かべて言った。
「はは、お見通しってことね。やっぱり勘が鋭いんだなあ」
唐突にも思えたナインの言葉だが、言われた意味はきちんと理解している。それはリュウシィの語り口に原因があった。
まるでナインと協力することに治安維持局内でも賛否が分かれているかのように言ったが、実際はそこまで是非の審議は進んでいない。そもそも審議の段階に移れるほど周知がなされていないのだ。現時点でナインの存在を知っているのはリュウシィに近しい――間柄ではなく立場としての近しさだが――ごくごく一部のみである。
嘘とまではいかなくとも、実情とかけ離れた印象を持たせるように言葉を選びはした。まるでナインが手を貸すことは使命かのように大言壮語を吐き、言質を取ろうとした。暗黒座会との丁々発止を詳らかにしたのもその一環だ。
それもこれも、すべてはナインという駒を手に入れるため。
治安維持局所属の部下ではなく、より自由に、より立場に縛られず動かせる『便利で強い駒』が欲しかった。だからリュウシィは偽らずとも虚飾を張って相手を誘導しようとした――そしてそのことに、はっきりとした罪悪感を抱いていた。
今更この程度のことで胸を痛くするほどにピュアな自分を意外に思ったが、きっとナインのせいだろう。
彼女があまりにも心の奥の脆い部分を刺激するものだから、長年かけて完成させたコーティングが意味をなさない。勝手な同情に身勝手な理屈。都合よく利用しようとしながら、胸の内だけで「ごめん」と謝ったところで誰に許されるわけでもなければ、己が穢れていることにも変わりはないというのに……。
そんなリュウシィの思惑と自責を見透かしたかのようにナインは「気に病むな」と言った。なんの気負いもない、思ったことをそのまま口にしただけのような軽い口調が、不思議とリュウシィの肩をも軽くさせた。
まるっと見抜かれたことにも、そのうえで手を取ってもらえたことにもえらく驚かされてしまったが。
「考えなしなところはあるけれど、決して馬鹿ではない……」
力だけの暴君ではない。それがナインに対するイメージ。
やはり、絶対に敵には回したくない。
と同時に、それだけではない感情も彼女に対してわいてくる。
「うまく、やるさ。これまで通り、これからも。ナインにだって」
この想いはどういった種類のものだろうか、とリュウシィは白い少女のことばかり考える。
恋だな!(百合過激派)




