200 死んでみる勇気
本編200話目だー
「まあ、エヴァンシス家の血統はとにかく凄い血だってのはなんとなく理解しました。そんなシルリアさんとシリカの魔力に、宝具とも呼ばれるような特別なアイテムである聖杯が反応しなかったってことは、やっぱり――」
リュウシィが言うところの二流三流の小悪党であり、魔法的な才能もほぼないという今はなき『暗黒座会』首領オードリュス。彼でさえ聖冠を使いこなすとまではいかずとも起動することだけは可能だったというのに、特別な生まれであり才能にも溢れているというシリカが聖杯に無視されてしまう、というのは通常なら非常に考えづらいことだ。
ならばそこにはそれ相応の理由というものがあるはずで。
「ああ。幹部たちも騒然としていたが、ナイン殿の言う通りであるとすれば。この失踪事件の犯人と目される悪魔憑き。件の者が秘密裏に忍び込み、聖杯の悪魔を解き放った際に何かしらの細工を施したと見るのが妥当だろう。……しかし、そこまでして持ち出すことをしなかったのは謎だな。事件の発覚を恐れてか? いや、それならすぐにアムアシナムから出ればいいだけの話だ。犯人は悪魔の力を利用して住民を攫っているのだろう? ということはやはり、私たちに違和感を与えないまま座談会の時を待とうとしているのか……」
「だろうの」とジャラザが冷静に首肯する。「座談会で悪魔憑きが何を狙うかはともかく、何もさせないためにはその前に彼奴の居場所を見つけださねばならん。お主の協力が必要だ、テレスティア。こそこそと契機を窺うような真似はもうしてられん。お主が聖杯の部屋まで儂らを案内してくれぬか?」
「それは……私としては、ぜひ案内したい。それで悪魔憑きの居所を暴けるのなら、シリカ様の安全のためにもな」
座談会はただでさえ六大宗教が一堂に会する混迷の場だ。過去にはその期間中に凄惨な事件が起きたこともある。そこに悪魔憑きなどというまったく謎の勢力までもが悪意を持って加わるというのであれば、今回が初参加となるシリカへの負担は計り知れず、またその危険性もかなりのものだ。天秤の羽根の次の当主でありながらも、現時点ではまだ幼い子供でしかない彼女は、他宗教にとっても悪魔憑きにとっても格好の獲物に他ならない。
「だがどうやって? 教皇様や幹部たち、そして警備隊の目をかいくぐって聖杯の間まで君たちをつれていくのは至難の――」
「明日の歓迎会。お披露目されるのはどうやら俺だけみたいですね」
テレスティアの疑問に答えたのはナインだった。
一見質問の内容とかみ合っていないように感じられる返答だが、肝は続きにあった。
「十使徒っていうおっさんたちも警備隊……俺とさっき試合をしたアルドーニさんも含めて、大半が歓迎会の会場に集まるらしいじゃないですか?」
「まさか、その隙に……ということか?」
「その通りです。皆の目が歓迎会に集まっている間に、こいつらを聖杯のところまで案内してやってくれますか」
「待て、それでもリスクは高いぞ。聖杯のことを知っているのは幹部を除けば位の高い信徒の中でも私たち隊長職に就く者だけだが、書庫の辺りは日頃から警備が厳しい。当然書庫内はもっとだ。それは君たちも知っているだろう? 一般隊員にはそうと知らせず、それとなく人員を厚くしているんだ。いくら教皇様たちが本殿の一箇所から動かないと言っても、だからといって容易に事は起こせない」
「そうでしょうね」と今度はクレイドールが平坦に答えた。「ロールシャー様の懸念はこちらも想定済み。ですので、更に別動隊を設けます」
「別動隊?」
「はい。聖杯の間を目指す本命がロールシャー様とジャラザ。別動隊、即ち私とクータは行動をともにせず、書庫近くで『騒ぎ』を起こしましょう」
「な、なるほど……それで警備隊を釣るのか」
「肯定を。書庫内の人数さえ減れば、お二人の身のこなしであれば誰にも悟られることなく聖杯の間へ向かえるのでは?」
多くの警備隊の目をかいくぐるのが難しいのであれば、その数を減らしてしまえばいい。彼らは聖杯の存在を知らずにいるので、書庫内であってもテレスティアを注視し続けることはないと思われた。要は見られさえしなければそれでいいのである。
「……いい案だ。私が書庫の利用申請をし、ジャラザ殿を見学させる建前で騙れば警備隊員たちも怪しむことはしないだろう。仮にも護衛隊長を担う私を疑う者はいないはずだ。しかし」
「しかし、なにー?」
なにか問題があるのかと首を傾げるクータへ、テレスティアは眉尻を下げながら言った。
「それでも難関が残っている。警備隊員の目は誤魔化せても、聖杯の間へ入るためにはトラップを乗り越えねばならないんだ」
「トラップなんてあるんですか……ってそれくらい別に当たり前か。で、それはいったいどんな代物なんです?」
「エヴァンシスの魔力を持たない者が通ると、聖杯の間への通路に設置された天使像が動き出す。いわゆる警護用ゴーレムというやつだ」
ゴーレム。
泥や石、鉄などと素材は様々だが総じて自ら動く像のことだと理解すれば早いだろう。
自然界にもモンスターとして存在しているがそちらは非常に珍しく、ゴーレムと言われてだいたいの人間はガードナーの役割として置かれることの多い人工魔物のほうを思い浮かべるだろう。
「それが通路にびっしりと?」
「ああ。ストーンゴーレムの天使像は聖杯を守護するだけあって魔力コーティングのかけられた特別製だ。石ころ程度なら私とてわけもなく斬れるが、あの天使像はそう軟な耐久をしていない」
「でも、悪魔憑きはその通路を通ったことになるんですよね」
「ああ――だからこそ不思議なんだ。警備隊に見つからなかったのはまだしも、聖杯の元へ行くには必ず襲われることになる天使像を一体の破損もなくそのままにしているというのは、いくらなんでも不自然が過ぎる。どうやればこんな芸当ができるのか……」
「うーん……」
一同は考え込む。
エヴァンシス家の者が同行しなければ作動するトラップ。それを防ぐにはつまり、シルリアかシリカを傍に置かなくてはならない。
だがそんなことを可能とする者などいない。シルリアは教皇であり、誰の命令も指図も受けない立場だ。シリカはまだそこまでの地位ではないにしても、彼女を連れ出すことも、あるいは強引に連れ去ることも――眠ったままの彼女を鍵よろしく使うことも含めて――やはり不可能だ。そんな真似をして誰にも気取られないなどということはあり得ないのだ。特にシリカは彼女の専属とも言える世話役の使用人も多く、テレスティアの護衛も加味すればこの包囲網を抜けて接触することなどもはや考慮にすらも値しないだろう。
と、なると――。
――もしや、教皇が?
クータ以外の全員の脳裏にその線が浮かんだ。
シリカを除外すれば、あとに可能性として残されるのはシルリアのみ。他人の命ではなく自分の意思で聖杯の元へ向かったのだとすれば、謎はすべて解けるのだ。
と言っても、それはあくまで聖杯にどうやって近づいたかという謎だけだが。
(もしもシルリアさんが悪魔憑きだと仮定すると、その意図がまるで不明になる。天秤の羽根教皇という安泰の地位にいる彼女が街をかき乱して、組織を不利にしてまで座談会を開こうとするなんて、それに相応しいだけの理由が考えられない――これじゃ支離滅裂もいいところだ。万が一あるとすれば、自然な形で六大宗教会の頭目を集めて……皆殺しにするのが目的、とかか……それにしたってもっと波風立てずに実行できる計画はいくらだって思い付くはずだ。他組織を全滅させるなんていう大それたことを仕出かせば足がつかないはずはない。天秤の羽根は文字通りの一強になるだろうが、永劫消えない汚名をひっかぶることにもなる。『天に届く者』なんていう称号を名乗るような彼女が、誇りある家名を汚すようなことをするはずがないんじゃないか……?)
結局のところ、シリカと同じくらいシルリアを悪魔憑きと見做すのも無理が多いと言える。
「まあ、なんつーか……期せずして悪魔憑きの不可解さが増したことになりましたけど。今はとにかく、天使像の突破の仕方ですよね」
「あ、ああ。しかし言った通り、シリカ様か教皇様が随伴されない以上そんな方法はどこにもないんだ」
「ゴーレムがエヴァンシス家以外の者を感知するのであれば……いっそのこと存在そのものを消す、というのはどうかの」
「それは……どういう意味だろうか、ジャラザ殿?」
「うむ、テレスティアよ。お主には儂に命を預けて――死んでみる勇気があるかの?」




