199 天摩神の血の由来
肩の凝りに凝った歓迎会も無事終わって、ナインはやっと一息つくことができた。他宗教の者たちが次々に退室していくのを教皇シルリアとともに見送って、警備隊と一緒に明日の日程を確認し、ようやく解放される。彼女にとって今日初めての自由な時間を得たのだ。
(妙な緊張感があってすげえ疲れるパーティーだった……ってまあ、これからやることを考えたらあのピリピリ具合も当然っちゃ当然なんだろうが)
ただ体を動かすのとはまた違った疲労に襲われながらも、ナインは休む間もなく場所を移す――目指すは迎賓館、自分の寝泊まりしている部屋だ。
これだけ聞くとそれこそ休むために自室へ戻ろうとしているようにしか思えないだろうが、ナインの心情としてはその逆。自身のすべきことのために先を急いでいる最中なのである。
(早く話が聞きたい。聖杯が見つかったのかどうかを一刻も早く確かめねーと)
ナインがパーティーで抑止力として見せびらかされている間、別行動を取っていたクータたち。
彼女らのミッションは、この空いた時間のうちに聖杯を見つけだすことにあった。
時は昨日へと遡る。
◇◇◇
模擬戦でアルドーニを退けたことで正式に『ナインズ』の雇用が決まったあと。
ナイン一行は警備隊たちとの顔見せと打ち合わせを行い、歓迎会を含めた四日間の予定を綿密に練り――と言っても元のシフトの要所にナインらを加えるだけのことだが――それから解散。その時点で陽はとっくに落ちていた。
そこでナインは自身にまったくもって猶予が残されていないことを悟る。
正確には、もはや自分たちだけで悪魔憑きを捜し出すのは夢物語だと理解したのである。
何せ明日からはもう自由に動ける時間もない。歓迎会はまだしも座談会が始まる明後日以降は確実に何もできない。
セキュリティが敷かれているはずの聖杯の隠し場所へ忍び込む算段すら立てられていないのだからいよいよもって絶望的だろう――ならばどうするか。
自分たちだけで無理なら、新たな味方を得るしかない。
それは天秤の羽根……というより教皇シルリアがナインズに対して画策したものとおおよそ一致した思考であった。彼女がナインズに慎重な判断を行ったように、ナインもまた聖杯を探す日々の最中にも、きちんと説明さえすればこちらの意を汲んでくれそうな人物に当たりをつけていた……それは誰か?
言うまでもなく、その第一候補はテレスティアである。
テレスティアと、そしてシリカ。
この二人は少なくとも悪魔憑きではない。
そう判断した材料がなんであるかと言えば、彼女らの忙しさにこそそのわけがある。
次期教皇であるシリカは多忙な毎日を送っているし、そのお付きをしており、そうでないときも自己鍛錬に余念のないテレスティアも悪魔憑きとしてアムアシナム住民をマネス化させて放逐する、などといったことを行えるはずもない。
皆が寝静まった後に就寝時間を割いてやる、というのなら不可能ではないがどのみち抜け出せば目立つことこの上ない。特にシリカの寝室へ行くためには毎夜テレスティアが詰めている『播間』と呼ばれる部屋を通り抜けねばならず、それは同時にシリカが抜け出そうとしてもテレスティアに見つかってしまうということになる。
テレスティアのほうも、彼女以外の護衛隊や警備隊、使用人たちといった深夜でも眠らずにいる職員たちの目を盗んで本殿を抜け出すのは厳しい。というか隙のない監視網からして普通に無理だろう。
万が一シリカとテレスティアがグルならば……などと考えなかったわけではないが、仮に二人が組んでいようと結局のところ大勢いる関係者たち全員の目を欺くことは不可能だと結論付けた。
これが何日もかけて本殿内を練り歩いたおかげで導き出せた結論だと思えば、この数日も決して無駄ではなかったことになるのだろう。
ということで変則的にアリバイが証明され、その人となりも合わせてナインはテレスティアとシリカを信用することにしたのだ。とはいえ天秤の羽根本部に務める人間は誰もが彼女たちにもそう負けない程度に忙しい日々を送っているのだろうが、ナインたちがスケジュールを確認できたのがこの二人だけしかいないなのだから仕方がない。
夜、無理を言ってテレスティアを自室まで呼び出したナインは、アムアシナムの事件について知っているすべてを打ち明けた。
それはつまり、天秤の羽根が隠し持っている聖杯についても承知していると明かしたということであり。
最初はテレスティアもそれなりに動揺して青褪めた。ナインズに対し初めて否定的な態度を取りもした――が、彼女たちが真摯に語り掛け、悪魔憑きの狙いが座談会にある可能性が高い以上、参加するシリカにも危険が及ぶことは十分に考えられるのだと告げればその顔色をがらりと変えた。
青褪めたままではあったものの、聖杯の秘匿をどうにか誤魔化そうという後ろ向きなものから『シリカを狼藉者から絶対に守ってみせる』という決意の表情へと変化したのだ。
交流することで見えた、テレスティアの内心。彼女は天秤の羽根というよりもシリカ・エヴァンシスに対して忠誠を誓っている。そういう風に感じられた。その情に訴える作戦が功を奏し、迷いを残しつつもテレスティアはナインズを味方することを確約し――そしてその口から聖杯の情報を語ってくれた。
「気配である程度の場所までは絞れているだって……? なるほど、そこまでバレているなら仕方がないな。ああ、ジャラザ殿の見つけた気配は聖杯のものとみて間違いないだろう。一階北東にある書庫前の廊下で感じたと言ったな? 明察だ――確かにその場所にこそ聖杯はある。正しくは、書庫から隠し通路を介した秘密の部屋に、聖杯は仕舞われているのだ。……もしも悪魔憑きが実在し、既に聖杯へ手を伸ばしていたとすれば、あのときのことにも説明がつくな……」
彼女が言うには一月ほど前に、座談会で不利に立たされることを予見した教皇と幹部の話し合いの末に、シリカの持つ素質を強引にでも覚醒させるという計画が立案され、そのために聖杯の力を利用すべく秘密の部屋へと向かったとのこと。
十使徒とシリカの護衛であるテレスティア、シルリアの護衛であるもう一人。
覚醒を促されるシリカと促すシルリア。
総勢十四名で聖杯の部屋を訪れ、その力を解放させようとしたが――失敗。
以前は確かにシルリアの体に宿る『天摩神の血』に反応を示していた聖杯が、なぜかそのときはうんともすんとも言わなかった。いくらシリカとシルリアが魔力を注いでも何の現象も起きず、いたずらに時間だけが過ぎ……一時間近く儀式を続けた彼女たちだったが、結局は諦めてその場を後にしたという。
「ちょっと待ってください。聖杯が無反応だったってのも気にはなるんですけど、そっちは悪魔憑きが何かしたせいだろうと予想がつくのでまだいいです。俺としては、シリカに宿るっていう『天摩神の血』ってのがなんなのかがわからない。いったいシルリアさんとシリカにはどんな秘密があるんですか?」
「ここアムアシナムの前身、街がまだ都市などという区別もなく扱われていた大昔の『メシアム』という土地で栄えた神の血を受け継ぐ者たちの集落。そこを興し繁栄させたのが、太古の神と言われる『天摩神』の血統であるエヴァンシス家なんだ。そこでは代々女性が当主を務め、世代を超えて現れる『覚醒者』によって住民たちへ『奇跡』が振る舞われたのだそうだ。時代が進み、大戦が始まって以降もエヴァンシス家は衰えることなく、今でも大都市として生まれ変わったアムアシナムで最大の組織として天秤の羽根を率いている、というわけだ」
「太古の神……まさか神話なんですか、それは?」
「天摩神様の実在についてはともかく、エヴァンシスの血は本物だとも。そこには崇高な力がある。シリカ様はその中でも更に特別なのだ。伝承にはこうある――『天摩の神は絶対なる裁きを下し、悪しき者は去り、良き者はそのかいなのうちへ抱かれることだろう』と」
「「「「…………」」」」
得意気に語るテレスティアには悪いが、ナインもクータもジャラザもクレイドールも、いまいちぴんときていなかった。徹底的な無神論者でももう少しましなリアクションを取るだろうというくらいに彼女らは感心するでも否定するでもなく、ただなんとはなしにその御伽噺を聞き流しただけであった。……今日日少女の関心は、神様云々の語りには向かないようである。
神話だ伝承だとぼやかしてきましたが神と呼ばれるものは確かに存在します……湖の魔物編でもう書いてましたね