195 警備隊長アルドーニの矜持
男の名はアルドーニ、四十五歳。武の道を四半世紀以上ひた走る彼は、筋骨隆々の鋼のような肉体を持つ、禿げ頭が眩しい偉丈夫である。山賊のように野放図な髭の生やし方をしているその風貌からは意外に思えるかもしれないが、彼はこれでも天秤の羽根幹部である『十使徒』に次ぐ位を持つ最高信徒が一人である。
その役職は警備隊長。本殿だけでなく天秤の羽根の敷地全体の警備を担う重要人物と言って相違ない。護衛隊はそれぞれが特定の持ち場を持つ選り抜きの戦闘員であるが、ローテーションは異なれど彼らもまた警備隊の一員として構成が組まれている。護衛隊長はテレスティアを含め三名いるが、警備隊の隊長はアルドーニただ一人。補佐として副隊長なる役職もあるが当然権限は隊長に敵わず、アルドーニこそが名実ともに天秤の羽根全戦闘員の頂点に立つ男なのである。
彼は最高信徒の座を持つ通りに、天秤の羽根に忠誠を誓う彼だ――が、そんな彼だからこそ組織に対し納得のいかない思いを抱くこともあった。
「何故なのですか、教皇様! 客人を護衛に雇うなど、これまでただの一度もなかったではないですか! それも、明日にも歓迎会が開かれようというこの時に!?」
シルリアがナインたちを雇う決定を下し、それを直接伝えるためにオットーが一行を呼び出しに儀典室を出たその最中に、質疑を許されたアルドーニによる困惑と疑問が飛び出した。
それを正面から受ける教皇シルリアは、無表情だ。
そうしているとまさに氷像のようにしか見えない彼女だが、受ける印象の冷たさで言えば笑顔を見せているときとさほど違いはなかった。
「この時だからこそです、アルドーニ。私は『ナインズ』の力が必要だと判断しました」
告げる言葉に揺らぎはない。
警備隊長として最高幹部も集うこの場で教皇へ異を唱えるアルドーニ――質問の形を取ってはいるがその意味するところは誰の目にも明らかだ――の感情の発露にも何ら影響を受けることもなく、彼女はただただ平静であった。
それもそのはず、ナイン一行へ依頼するという選択は彼女らを宿泊させたその時点から思い付いていた案なのだ。武闘王という確かなネームバリュー――確か過ぎるまでのそれを持つナイン率いる彼女たちであれば、座談会時にこちらへ与するように居座ってくれるだけでも他宗教に対して防波堤が如き役割を果たしてくれるだろう。
シルリアが現在喉から手が出るほどに欲しがっている『味方』になり得るのがナインズなのだ。
ではなぜ、アルドーニが指摘するようにシルリアはこうも瀬戸際になってようやくナインズを雇う決断をしたかと言えば――ここまでたっぷりと見極めることに時間を使っていたからである。
覚醒者の手引き、足掛かり――表現はなんでもいいがとにかく、エヴァンシスの血に真の意味で目覚めた者が出た場合のために七聖具のひとつ聖杯を隠匿している天秤の羽根は、勿論それを絶対の秘密としている。そんな明かせない秘密を持つからには部外者を警戒するのは当然のことで、少女ばかりのナインズとて例外にはならない。
聖杯の存在は教皇とその娘であるシリカを除けば天秤の羽根内でも最高信徒のみが知ることである。故にシルリアは所属員たちに「不便のない持て成しを実現するためにもよくよくナインズの方々を見ているように」と頼むことでそれとない監視の体制を作り、日がな彼女らが何をしているか報告を耳に入れていた。
始めの内、本殿をやたらと散策していることからやはり聖杯を嗅ぎつけた狗であることを疑った。しかし、そうだとするなら大胆に動き回る様が気になる――しかも備品を連続して破損させるというおまけ付きだ。これで本当に聖杯を探しているのだとすればあまりにも雑すぎるし、粗雑すぎる。これでシルリアは訳が分からなくなった。せっかく観察の時間を設けたというのに、彼女の頭脳を持ってしてもナインズの狙いというものが読み切れなかったのだ。ナインとクータの信じられないような凡ミスをジャラザは叱ったが、結果としてこれがいい隠れ蓑として機能したことになる。
結局のところ疑いを保留としたシルリアは、当初に浮かんだ通りにナインズを天秤の羽根の護衛として使うことに決めた。こういった経緯があってのギリギリでの登用なのだが……それを懇切丁寧にアルドーニへ聞かせてやる必要はない。
「彼女たちはまだ子供。あなたが不安視するのもよくわかります。しかし、私は『ナインズ』を信用しているのよ」
「その是非についてを問うているのです、教皇様!」
「――ならば何故問うのか。この私の決定に異を唱えたいというのですか?」
「……ッ」
低くなった声。
睥睨するような瞳。
シルリアの威圧感が増したことにアルドーニは歯を噛みしめ――それでも口を開いた。
「こればかりは……っ、どうしても納得がいきませぬ! 貴女様を、天秤の羽根を守るのは、我ら警備部隊の役目のはずではありませんかっ!」
この誇り高き役職。それを武闘王などという肩書きだけで奪われてはアルドーニのプライドが許さない。そうさせてはならじと、今初めて教皇に真っ向から反対意見をぶつけた彼の面持ちは大層な決意に満ちている。たとえこれで隊長の座から降ろされたとしても、ここで唯々諾々と引き下がってしまうことのほうが己が立場に相応しくないと彼は考えたのだ。
「進言致します! 武闘王などよりも、座談会の警備は――どうか我らにお任せを!」
「ふむ……」
顎に手を当てるシルリアは何かを考えている様子だ。一見するとアルドーニの気迫に再考の余地を見出したかのような姿だが、それは違う。
アルドーニの進退を懸けた一世一代の忠言にも大して思うことはなく、彼女の頭にあるのは「ならば」という転換であった。
ここまで彼が言うのであれば丁度いい――自身も直に確かめたかった武闘王の実力というものを、この目で見る絶好の機会を捻出できる。
「アルドーニ」
「はっ」
「あなたがそれほどまでに警備隊長として責務に忠実であろうとしてくれていることを、私は嬉しく思います」
「あ、ありがたきお言葉……!」
「ですが」
ぴしゃりとシルリアは言い切った。
「それでも私の決定は絶対。私の判断こそが天秤の羽根の判断。その信徒たるあなたが私の決めたことを覆す権利は、元よりない」
「…………」
悲し気に顔を歪めるアルドーニ。
やはり自分の言葉など教皇に届きはしないか、と諦めかける彼にシルリアがいつもの微笑を見せた。
「とはいえ、あなたの言うことに理がないわけではない。確かに、ナインズの強さを目にしないことには信を置けないというのも道理です。ならばこうすればいい――アルドーニ。ナイン様が依頼を引き受けた場合、実際に戦ってみることです。あなた自身の手で直接、彼女の実力を推し量ればいい」
「それを、お許しいただけるのですか」
「ナイン様が拒絶なさらなければ」
「……もしも自分が勝てば」
「武闘王とは即ち武の頂点。あなたがそれに勝利したのであれば、もはや『ナインズ』を護衛に置く必要もなくなるでしょうね」
「……!」
これはつまり、アルドーニがナインに打ち勝てばその時点で依頼は解消されるということだ。
本来の警備体制――自分たちだけでの警備ができるということ。
「感謝致します! 必ずやこのアルドーニ、隊長の名に恥じぬ戦いをし――武闘王に勝利してみせましょうぞ!」
「ええ。期待していますよ」
意気込みからハイテンションになっているアルドーニと平素のままのシルリアとでは、傍から見ているとやり取りに釣り合いが取れていなく滑稽にも思えるが、しかしアルドーニの全身から溢れ出す聖光の魔力の濃密さはこの場にいる全員へ圧力となって圧し掛かり、誰しもがそれを笑うことなど出来なかった。
アルドーニ、四十五歳。脂ののった中年。しかして未だに肉体は成長を続け、年々その運動量と筋肉量は増していっている――全盛期を更新し続けている。
彼の強さは本物だ。そのことは教皇も、幹部たちもよく存じている。
武闘王の強さも裏打ちされた確かなものではあるだろうが、この偉丈夫アルドーニであれば、あるいは?
武の頂と言われる存在にも勝ててしまえるのではないか――そう思わせるだけの気力が彼の身には満ちていた。
「警備隊舎に設置された闘技場。すぐに使えるかしら」
「いつでも手入れは万全にしてあります!」
「そう。ならナイン様との模擬戦はそこで行いましょう」
「畏まりました!」
あれよあれよという間にナインのバトルが決まってしまう。彼女が依頼を受ければの話ではあるが、しかし本人の与り知らぬところで展開が進んでしまう様はまさに流され体質の極致とも呼べるものかもしれない。
その後、ナインは迷わずシルリアからの提案を受け入れ、護衛任務を引き受けることに。結果その十数分後に彼女は筋肉の塊のような大男と闘技場で対峙する羽目になってしまった――。




