191 ドレチド式交渉術
誤字報告感謝
手癖が抜けず同じ訂正をさせてしまって申し訳なく思います
オイニーにとっての嬉しい誤算は、ナインという少女が警戒していたほどに『ぶっ飛んだ』相手ではなかったことに尽きる。
武闘王にもなろうという人物であるなら思考にしろ性格にしろ何かしらの『飛びぬけた』部分――もっと言えば常人には持ちえない独特の感性を持っていることは十分に考えられた。
そういった手合いに対しては、当たり前だが交渉は難航する。
こちらの提示するメリットがデメリットに、逆にデメリットがメリットになりかねなくなる。
言葉ひとつで機嫌の波が乱高下する、なんの脈絡もなく会話を打ち切る、どころか突如として敵対行動を起こす……等々、極端な例ではあるが『変人』というものは得てしてこういうことをしがちであり、こういう人物の思考回路を読むことや言動を予測することは非常に難しい――というより不可能である。
そして強者とはその大概が変人で構成されているものだ。
強者の代表格とも言える『武闘王』の称号を持つ者ともなればその変人具合も並大抵のものではないはず。
七聖具に対して何らかのアクションを取っていること、そしてリュウシィがそれに手を貸しているらしいことも含めて、オイニーは当初ナインのことを奇天烈な人格を持つ子供として見ていたし、そう見做して慎重に話を聞きだすつもりでいた。
しかし蓋を開けてみればナインは拍子抜けしてしまうほどに普通の感性を持つ少女だった――常人らしい物言いをする武闘王だった。
それを意外に思わないわけではなかったが、けれどオイニーは内心の驚きをまったく顔に出すことなく、交渉プラン路線の大幅な変更をその場で行いつつ慎重に受け答えをした。
直情的かつ多分に偽善的懲悪の願望を抱く、見かけ通りの子供。
短い立ち話の中で彼女が見せた反応だけを材料とした、非常に拙い心理分析ではあるものの、オイニーの見立てによればナインとはそういう少女であり、これでどうして闘錬演武大会で優勝できるだけの強さを得ることができたのかその生い立ちが結構な疑問となる、いかにも子供らしい性質を持っている『普通の少女』であった。
悪い奴は悪い奴だから許せない、と深く考えることもなく口にするような非常に真っ直ぐな性格。
その性根の真面目さと正義感は、オイニーからしてみれば誘導しやすいことこの上なかった。
七聖具で揺さぶりをかけつつ失踪事件に話を持っていき、自分の代わりに犯人と目される悪魔憑きを見つけてくれと頼む。
ややもすると不自然に思われるであろう流れだが、ナインはオイニーの見越した通りにそう悩むこともせずに同意した。
彼女はこちらがどう出るかばかりを気にしているようだったし、悪魔憑きを放っておけないと語ったその言葉にも嘘はなかったようだが、ならばもっと冷静にこちらの意図を見透かす努力をすべきだった――とオイニーは笑う。
(観察眼自体はある程度鍛えられている。あくまである程度、ですがね。それでも、私が『悪魔憑きの犠牲になる無辜の民をこれ以上増やしたくない』などと語りでもしたら彼女ははっきりと違和感を持ったことでしょう)
オイニーはナインに、一言も正義を振りかざしはしなかった。悪魔憑きの所業については聞かせつつもそこに自分の心情を混ぜるようなことはしなかった――それは何故か。
何とも思っていないからだ。
彼女は真実それを、ただの仕事の邪魔だとしか感じていない。
四百人にもなろうかという犠牲者にも、悪魔憑きが更なる凶行を重ねることについても、オイニーは一切の感慨を抱いていないのだ。
憐憫や義憤はなく、かといって無関心ということもない――ただそうなったのだという事実のみを見ている。
四百人の犠牲は四百人の犠牲でしかなく、悪魔憑きの動機や出自など彼女にとってはなんだっていいことなのだ。
それら諸々を第三者として眺め、思うことといえば、ではどうやって聖杯を手に入れようかということ。
それだけを考えるのがオイニー・ドレチドという、万理平定省の執行官を務める少女であった。
(言葉選びにもさほど苦労はありませんでしたねえ、ナインさんは私の言葉の真偽にばかり目を向けていて、内心に関してはまるで無頓着でしたから。まあでも、嘘は言っていないんですから騙したうちには入りませんよね)
これで気付かないほうが悪い。
簡単に言えばそういうことだ。
知っている情報を伝え、仕事に協力してほしいと頼んだ。悪魔憑きが障害となって七聖具蒐集の任務に支障が出ているというのも教えた通りである。
ただオイニー個人が悪魔憑きのことなどどうでもいいと考えているだけで――正確には聖杯さえ無事であるなら極論、人々がどこへどれだけ消え去ろうとも、それで仮にアムアシナムという街そのものがどうなってしまおうとも、彼女には然したる興味なんてないという、それだけの話でしかないのだが。
しかしそのことが発覚する、ないしはさも悪魔憑きに怒りを燃やしているかのように騙るようなことをすれば、ナインの不興を買ったであろうことは疑うべくもない。そうなったら悪魔憑き捜しの要請を彼女が受け入れてくれたかは微妙なところだ。
嘘をつかずに本音を隠す。これはオイニーが手にした処世術のひとつ。対話の場面において相手方が自分と同様に嘘を見抜けるだけの技量を持つ手練れであった場合において有効な会話テクニックである。
言うまでもなくそういった人物を相手にするのであれば高度な舌戦による化かし合いは避けられない――オイニーにとっても肩の凝る戦いとなるが、幸いにもナインとはそういった意味でも疲労の残らない『良い子』であった。
(思った以上に手間取っている様子なのは私にとっても痛いですが……しかし街の声を聴くに座談会の開催はもはや確実なようですし、近日中に状況が大きく動くことは間違いない。悪魔憑きにとっても武闘王の介入は予定外のはずですから、いい具合に引っ掻き回してほしいところですねえ)
どういった形で事件に決着がつくにせよ、オイニーはそれにかかずらうことなく聖杯だけに目標を絞る。
最終的にこの手の中へ七聖具が納まりさえすればそれでいいのだ――シンプルでいい、と彼女は己の仕事を実に楽なものであると考えている。
(捕らぬ狸の皮算用といきますと……ナインの聖冠と合わせて、回収済みなのは三つ。聖杯を取れば四つ。残りの未回収は三つ――うちふたつはクトコステンにあり、と。最後のひとつに関しても目ぼしはついていますし、順調にいけばそう時間もかからず任務を終えられそうですかね)
ナインの所持する七聖具が聖冠であるということについてオイニーはとっくに看破していた。
こちらは推理ではなく、単純な消去法である。
聖典は首都に。
聖剣は手元に。
聖杯はこの都市に。
聖杖と聖槍はクトコステンに。
聖衣はおそらく『とある人物』の元にある――となれば残るは聖冠しかない。
(所在不明だった聖衣に続いて聖冠の所持者まで判明したのは実に僥倖。これも日頃の行いがいいおかげでしょうか? ……とはいえ、こうなると問題は聖杖と聖槍のほうになりますか)
七聖具蒐集の任を受けた当時、首都にある聖典と同じく聖杖・聖槍についてもその所在地は明白だった――五大都市が一角、亜人の都クトコステン。都市でありながら他の街とは異なるルールが存在するあの場所は、ある意味ではアムアシナム以上に潜入に苦労することだろう。それだけでもオイニーにとっては面倒だというのに、ここ最近のクトコステンは荒れている。改革派と保守派に分断されているあの街はいつだって荒れていることに違いはないけれど、近ごろはそれが特に顕著になっているとオイニーにも報告が入ってきているのだ。
アムアシナムを出れば彼女が次に向かうのはクトコステンとなるだろう。
それを思えば今から既に頭が痛い。
「厄介なんですよねえ。街ごと狂っていると通常の潜入術が意味をなさない。ここに続いて次もそうだなんて、私のような繊細な人間には辛いところです」
きっと他の執行官の皆さんの行いが悪いせいですね、などとオイニーは独り言ちる。自分は割を食っているだけだと嘯く少女は、しかしその口元に笑みを携えたままだった。
(なんにせよまずは聖杯ですか。さて、あの子たちは果たして天秤の羽根でどこまでやれるのか見物ですね……今のところ私はそれを見物することすらできませんが)
万が一。
悪魔憑きが武闘王の手にも余るような存在で、なおかつそいつを片付けねば聖杯が手に入れられないような事態ともなれば――。
(そのときばかりは、私も実力行使に出る必要がありますかねえ……。銀霊剣の出番などないにこしたことはないんですが。とっても疲れますし)
眠たげな目付きをしたくすんだ銀髪の少女は、ふらりと夜の街へ消えていった。