185 座談会準備
天秤の羽根には最高信徒の幹部がいる。『十使徒』と呼ばれる彼らは天摩神である教皇から直接指示を受ける立場で、他の信者たちとは一線を画す地位にいる。
教皇シルリアの右腕を自認する第一使徒オットーを始めとする十人の幹部たちは今、円卓室で会議を開いているところだ。
議題は当然、近く開催の決まった座談会のことである。
「教皇様は『暁雲教』を中心とした六大宗教会発令を受け入れになられた。遅くとも十日以内には座談会が開かれるだろう」
オットーのその言葉を皮切りに、十使徒たちはざわめく。
「この状況で座談会を開かせるというのか……」
「いったい何故だ、教皇様はどういったお考えなのだ!?」
「拒否すれば我ら組織が傾くほど、印象が悪いものとなることを憂いてらっしゃるのではないか」
「そんなはずがない! 此度の座談会は天秤の羽根を被告にした弾劾裁判の場となろう……五組織から責め立てられれば街における我らの立場も揺らぐ! そうなればもはや印象どころの話ではなくなるのだぞ」
戸惑いを隠せない彼らに、オットーはシルリアの言をそのまま伝える。
「教皇様は食い破るおつもりなのだ。この機を幸いとばかりに打って出た『暁雲教』の企みを堂々と受け、その上で叩き潰す。天秤の羽根に次ぐ力を持つ彼らを抑えることができるなら、我らの地位はさらに盤石のものとなるだろう」
「「「…………」」」
なるほどその言い草は確かに教皇らしいものだ――その手腕でもって先代以上に他組織をやり込めてきた彼女らしい物言いであり、姿勢である。
他の追随を許さない大組織であると、自他ともに認められている天秤の羽根を率いている者としての矜持に満ちた決定……そのこと自体に、十使徒は不満を持っているわけではない。
彼らもシルリアの才覚を否定しようというのではない。
だがその才覚を以ってしても、天秤の羽根対残りの五組織という構図は危うい……それが気がかりでしょうがないのだ。規模で言えばこれでも互角ではあるが、向こうには頭目の数での優位がある。座談会はそれぞれの宗教のトップが顔を合わせる場で、そこに組織の規模は反映されない。無論どうしても発言権の強さに差は生じるが、決まりとして六大宗教の立場は平等であるとされる――そうでなければ臨時会に意味がなくなるのだから当然の話だ。
「五対一というのは、いくらなんでもマズかろう……! そもそも行方不明事件そのものが怪しい! 暁雲教の手の者が引き起こしたものではないか!?」
「しかし四百近くという数はあまりにも……」
「五宗教が手を組めばあるいはどうか……?」
「それにしたって手口が分からないぞ、一応の調査は続けているが手掛かりひとつないというのは――」
「今更そんなことを言ってどうするのだ」
ぴしゃりと言い放ったのは第二使徒である壮年の男性。
几帳面に整えられた髭を生やす強面の彼は、低い声で狼狽える他の十使徒たちへ叱るように続けた。
「教皇様の決定は絶対だ。私たちのすべきは愚痴を言い合うのではなく座談会への対応手を検討すること。そうではないのか?」
もっともな言葉に会議の場が静まる。彼の指摘通り、先までの会話にまるで益はなかっただろう。散々話し合った末に結論が出なかったことをここでぶり返しても仕様がないのだから。
ここだ、とオットーはシルリアのもうひとつの決定を聞かせることにした。
「教皇様は今回の座談会にシリカ様を同伴されるとのことだ」
ざわり、と種類の違う動揺が広がる。
いよいよなのか、と彼らは互いの顔を見合わせた。
「本格的に代替わりの準備ということか……」
「それはいいがしかし、今回の件にシリカ様はあまりに力不足ではないか」
「無礼な。次期教皇様に何たる物言いか」
「だが事実だ。シリカ様は確かに、傑物揃いのエヴァンシスの中でも麒麟児として、シルリア様を上回る逸材と期待されてきた。されどここ数年は『天摩神様の血』による力も伸びを見せなくなってきている」
「それこそ今更言っても仕方のないことだ」
「しかし、考えずにはいられないだろう。シリカ様が本当に覚醒を果たせば他の組織など物の数ではなくなるはずなのだ。……なぜ聖杯はその権能を発揮してくれなかったのだろうか」
ぽつりと呟かれた聖杯というワードに、オットーは瞑目し、第二使徒は鼻を鳴らすようにして背もたれに重心を預けた。
天摩神の血を十全に操れる者――長いエヴァンシスの歴史でも数人しかいない『覚醒者』になり得る候補としてシリカ・エヴァンシスは信徒たちからの多大なる期待をその一身に背負ってきている。しかし二年ほど前から力の伸びは目に見えて落ち始めたものだから、信徒たちは焦燥に駆られた。それでも歴代当主と比較してシリカの才覚はずば抜けているのだが、一度手に入ると思い込んだものはそうそう諦めきれないのが人の性というもので、十使徒を中心にシリカの『覚醒計画』は依然として進められているのだ。
その一端として、行方不明事件を機に天秤の羽根を除く六大宗教が密かに動きを活発化させたことで座談会開催の要求を予見した一月ほど前、教皇からの認可を得てついに『聖杯』を使用することになった。かの七聖具の主たる力は封印にこそあるが、逆に解き放つことも可能。それは聖杯に閉じ込められている力だけでなく、他のものにも作用する。
「しかし聖杯はなんの反応もしなかった。シリカ様の持つ天摩神様の力はその解放を見せるはずだったというのに、ぴくりとも動いてはくれなかった!」
「やり方が悪かったのかもしれん。我らは天摩神様の血統頼りだった。シリカ様であれば聖杯が作動しないはずがない、と決めつけてしまっていた……」
「しかし詳しく調べられるような文献もない。聖杯の中にいるとされる大悪魔の逸話はあっても聖杯そのものの力に関してはおかしなまでに記述が見つからないのだから」
「当然だろう、かつては魔道具どころか神具として扱われていたものだぞ。おいそれと記録に残すはずがない」
「とにかくだ、聖杯に不備があったかどうかという判断だけでも――」
侃侃諤諤、というよりもまた傍流へ逸れかけている議題を軌道修正すべくオットーが話を遮る。
「覚醒の目途が立たない以上は、シリカ様本人の持てる力で教皇様を支えてもらう他ない。天摩神様の血が起こす『奇跡』を抜きにしてもシリカ様は大変才気に溢れたお方だ。初めての座談会にもきっと光明を見出すことだろう」
「そう願いたいところだがな」
「そううまくいくものか……?」
「我らは我らで手立てを考えねばならん」
「何か事件の真相に繋がる情報がひとつでも手に入れば話も変わるが」
「私にふたつ、案がある」
そう告げてまたしても場の注目を集めたのは、第二使徒であった。
全員を代表してオットーが「案とは?」と訊ねる。頷いた第二使徒は、
「ひとつは能動的野蛮策。もうひとつは受動的野蛮策」
「なに、どちらも野蛮なものなのか……」
「そうだ。加えて言うなら本質的にはどちらも能動的なものでもある……まずは聞いてもらおうか」
第二使徒の語った内容に、十使徒たちの顔は一様に険しくなった。
そこに否定的な色があることは否めないが、それ以上に講ずるべきか検討しているが故の険しい顔つきであった。
「シリカ様にも危険が及ぶのだぞ。それを教皇様が良しとするだろうか」
「そこは心配いらないのでは? 教皇様が公私を混同することなどないはず」
「混同などと言うか? 母とたった一人の娘だというのに」
「我に言わせればまずそこが間違いなのだ。次代を担う可能性はいくつあってもいい。教皇様が一子と言わず何人もお世継ぎをもうけてくださればこのようなことには――」
「不敬が過ぎるぞ! 教皇様を産馬が如くに貶めるなどと、貴様それでも十使徒か!」
「飛躍させるな! 我はただ未来の天秤の羽根を想うからこそ――」
またしても飛び火していく議題。話がまとまるのは何時間後になるだろうか、とまだしも冷静を保てているオットーと第二使徒は互いに目配せをしあい、薄くため息を吐いた。
オットー以外名前はいらんか……いらんな!