183 従者の失態は主人の責任
「ナイン殿、クレイドール殿――まことに申し訳ないことをしたっ! この通りだ!」
平身低頭、やり過ぎではと思うくらいに平謝りするテレスティア・ロールシャーに、ナインは苦笑混じりに「頭を上げてください」と肩を叩いた。
「事情はお聞きしましたから。中庭に素性の知れない奴が入り込んでいたら警戒して当然だと思いますよ」
「しかし、私は言葉でなく剣で対応することを選んでしまった……」
「そっちも別に気にしてませんよ。クレイドール本人がそう言ってるんで……なあ?」
「肯定を。言葉足らずだったのはこちらも同じですから」
結局のところ今回の件は痛み分け――という表現には語弊があるが、とにかく両者が非を認めたことでの手打ちとなった。
責任の比重で言うのなら弁明に失敗したクレイドールよりも(そもそも彼女は質疑を受けている自覚もなかった)、一方的に襲い掛かったテレスティアのほうにこそより重い罰が求められるだろう――この場合は客側からの訴えを待たずして天秤の羽根側が即座に処罰することがベターであるはずだが、それをテレスティア自身が告げてくるのだからナインは驚いた。
確かに彼女の言い分は真っ当かつ真っ直ぐではあるが、それだけが正しいことではない。
そう思ったナインは双方の謝罪によって解決ということにしよう、と提案したのだ。
「謹慎だとかになったらその間、シルリアさんの娘さんを守る役目は誰が果たすんです? 先ほど自分で仰っていたじゃないですか――任務に誇りを持っているって。別の人には任せておけないことなんでしょう?」
「ナイン殿……」
「だからもういいんです」
客人――ナインズ一行の中でも主賓であるナインが「もういい」と言っていることをほじくり返すわけにもいかない。罪悪感からどれだけ相応の罰を求めようと、それもまたテレスティアの我儘に他ならない。相手が裁く気などないと言うのなら、大人しくそれに従うのが正しいあり方だろう。
そして実際、数日内に開かれるであろう不穏な座談会を考えるなら、ここで謹慎処分を免れるのはテレスティアにとっても非常にありがたいことである。護衛対象であるシリカから離れる羽目になることは我慢がならなかったが、それでも公正な処罰を要求する辺りに彼女の人間性が垣間見える――テレスティアとはやはり真っ直ぐな道を好む者なのだ。
此度は少しばかり、直線に駆け抜け過ぎたようだったが。
「感謝する、ナイン殿」
「礼ならクレイドールに。テレスティアさんを許したのは俺じゃなくてこいつですから」
「そうだったな。クレイドール殿、本当に申し訳ないことをした。傷のほうは……?」
「修復は完了しています」
右手の甲を顔の高さに上げてよく見せる。
言う通り、そこには僅かの傷も確認できない。
ついさっき深々と切り裂かれたのと同じ部位であるとは到底思えないほどだ。
摩訶不思議な治癒力を前にしてテレスティアは改めて驚かされるが、今はそれよりも安堵のほうが強かった。
「痕が残らなくて本当に良かった。改めて、寛大な心遣いに感謝する。滞在中に何か困りごとがあったら言ってくれ。必ず助けになると約束しよう」
「承知いたしました。マスターからの要望があれば、その時はよろしくお願いします」
どうして俺が頼む前提なんだろう……? ナインは訝しんだ。確かにこのチームの主動となっているのはナインであり、行動は全て彼女の一存に因んでいる――つまりは何かしら頼み事が発生した場合はナイン由来のものである可能性は確かに著しく高いと言えるだろう。しかしたった今し方、怪しまれてはいけないと言ったはずの天秤の羽根所属の人間と大胆にもドンパチやり合ったのは誰だったか……この子は忘れてしまったのだろうか?
釈然としない気持ちを抱きつつも握手を交わすクレイドールとテレスティアを見守っているナイン。
その耳に聞き覚えのない、新しい声が届いた。
「テレス!」
声かけとともにメイドが扉を開けると同時、飛び込むように人影が部屋へと入ってきた。黒い頭髪に黒い瞳の、この世界では珍しい髪と目の色を持つ少女。まだ幼さの残る彼女は、けれど美少女と言って差し支えない美しさと気品に満ちている――そんな少女を見てテレスティアは目を真ん丸にした。
「し、シリカ様! どうしてこちらに!?」
「メイドの一人が知らせに来てくれたのよ」
言葉短く答えた少女――シリカはテレスティアの無事を確かめるようにその姿を上から下まで一瞥したのち、ナインへと向き直った。
「私はシリカ・エヴァンシス。天秤の羽根教皇のシルリア・アトリエス・エヴァンシスの実子にございます」
「あ、こりゃご丁寧にどうも……俺はナインです」
「心よりの謝罪を申し上げます、ナイン様。テレスティアは私の部下でもあります。彼女の罪は私の罪も同じこと。勝手なことを言うようですが、私でしたらどのような沙汰も受け入れますので、どうかテレスティアをこれ以上責めないでいただけますでしょうか」
「シリカ様!?」
テレスティアが悲鳴のような声を上げるが……それも仕方ないだろう。何せ仕える主人に、自分が理由で頭を下げさせている――どころか庇われてまでいるのだ。これでは役割が逆だ。本来ならテレスティアこそが身を挺してでも少女を庇う側であるはずなのに、粗相をした部下を守らんと自分にこそ責があるとシリカは認めたのだ。
(こりゃ凄い関係性だ――信頼が透けて見えるようじゃないか)
ただの支配と被支配の間柄じゃないことは両者の態度から十分に分かる。それはどこか自分とクータたちを連想させるものでもあって、ナインは彼女らに親近感がわいた。
どちらも少々向こう見ずというか、直情的な部分が多いにあるように見受けられるが、それを含めてナインにとっては人間的好みの部類に入る。
「シリカ・エヴァンシスさん」
「シリカとお呼びください、ナイン様。どうぞお好きなように御命じになってくだされば、私はどのようなことでも喜んで致します」
「いや、これってそんな大層なことでは……あるのかもしれないけど」
正式に招かれたことになっているナインズの一員へ刃を向けたのだ――持て成すほうが客人へ戦闘を仕掛けたともなれば控え目に言っても大問題、いや重大問題である。
だからこそシリカもこのように大仰なまでに許しを請うような物言いをしているのであろうが、肝心の怒りを見せる側であるはずのナイン一行が既に許しているのだからその殊勝さも逆に笑いを誘う。
「シリカ。そう心配しなくていい、もうとっくに和解は済んでいるんだ。俺たちはテレスティアさんをどうこうしようなんて思ってないよ」
「え……?」
「そ、そうなのですシリカ様。ナインズの皆さまはとても寛大な御仁ばかりで、私の粗相を水に流してくださったのです」
「まあ……よかったわね、テレス。私も安心したわ」
「ご心配をおかけして大変申し訳ありません」
「いいの、テレスが無事ならそれで……でも今後は気を付けてね?」
後で二人っきりでお話をしましょう、と少女らしからぬ厳格さで一回り以上は年上であるはずのテレスティアへ告げて、シリカは再度ナインへと向き直った。
「テレスに代わって御礼を。ナイン様がお優しい方で本当によかった」
「ああいや、こちらこそ」
「こちらこそ?」
誰を相手にしても息が詰まるはずとしか考えていなかった天秤の羽根内部にて、テレスティアやシリカのような人物に会えたのはナインからしてみれば心強い事実だ。騒動はあったが結果的に所属員である――しかもかなり重要な役職に就いている――テレスティアからの協力を取り付けられたのは僥倖と言う他ない。
そういった諸々からの「こちらこそ」発言だったが、シリカに真意が伝わるはずもない。
彼女からしてみれば怒られるか呆れられる筋合いはあっても感謝される謂れなどないのだから。
「すまん、こっちの話だ。ええっと君は、シルリアさん――教皇様の娘さんなんだって?」
「はい、現教皇のシルリアは私の母。その一人娘が私です」
「つまりシリカが、次の教皇なのか?」
「……ええ、きっと」
肯定しつつもそこでやや、シリカの表情に陰が差した。その顔をまじまじと見つめ、ナインは彼女の瞳が真っ黒であることに気付く。オルゴンで出会った少女レミのような、日本人的なダークブラウンの色とは違う。正真正銘の純黒の眼をしている。
――母親と、あまり似ていないな。
ナインはそう感じた。いや、顔立ちはよく似ているのだ。シルリアは美人で、それを若くしたような美少女であるシリカは親子関係を疑うほうが馬鹿らしい具合にそっくりな母娘である。しかし、違う。どこかが決定的に違う。母親よりもっと黒い髪や瞳以上に、他のどこかが。それは雰囲気だとか存在感だとかひどく曖昧な言い方でしか表現できないものだが、確かに目の前の少女とあの教皇では、決定的な何かが違っているのだ。
だが、ついぞナインはその違和感の正体に思い至ることはなかった。




