181 見覚えのないメイドを見かけたら
「またこの時期がやってきたか……何故いつもシリカ様が追い出されねばならないんだ」
迎賓館へ向かっているテレスティアはひどく不機嫌だった。
天秤の羽根本部の敷地は広大だ。庭に囲まれた中心に巨大な本殿があり、その中庭に迎賓館がある。迎賓館とはその名の通り賓客を迎え入れ滞在させるための館だ――が、天秤の羽根では時期によって多少扱い方を変えることもある。
時期とは即ち教覧会や座談会が開かれる特定の三日間のことだ。六大宗教――つまり天秤の羽根以外のアムアシナム主要宗教組織五つの首領たちを招くにあたって、本来なら迎賓館を利用させるのが世間的常識であるところを、何故か彼らに関しては本殿に宿泊させるのが過去からの通例となっているのだ。
それは異なる戒律を持つ別組織ではあっても同じ都市を支える宗教同士、別館に滞在させることは他人行儀に過ぎるからという好意的理由で避けられたのが始まりか。あるいは同業にして敵とも呼べる彼らを額面だけでも客として迎え入れることをしたくないというそこはかとない悪意の現れか――今となってはその真実を知る者はいない。
真相はともかくとして、しかしこの決まりとも呼べない決まりによって現代に不自由している者は確実にいる。
それがシリカ・エヴァンシス。
天秤の羽根教皇にしてエヴァンシス家の現当主シルリア・アトリエス・エヴァンシスの一人娘である。
彼女は普段、母と同じく本殿で暮らしている。だが教覧会や座談会が開かれる際には、その住処を迎賓館へ移すことが習わしとなっている。それは保護か、秘匿か、その目的は判然としないものの教皇の命によってシリカがまだ乳飲み子だった頃から守られているルールだ。
護衛隊長の一人としてシリカ専属の警護を務めるテレスティア・ロールシャーは当時からずっと彼女を守り続けている。会の度にシリカがこそこそと隠れるように迎賓館へ籠らねばならないことにはその頃から納得がいっていない。
テレスティアにとってはシリカの安全が第一であり、会議中のいざこざに彼女が巻き込まれないようにするという意味では建物を離すことにも意味はある――しかしそれを分かっていても、正当な居住者が弾き出されてしまうことは、シリカを不憫に見せて仕方がないのだ。
今回開催される座談会は何やら不穏な空気が漂っている。なのでますます迎賓館へ避難させるのは正しい判断のはず、なのだが――やはり感情はそう簡単に留飲を下ろしはしない。見回りの時には必ず苛立っているのがテレスティアの日常でもあった。
見回りとは、迎賓館の安全確認のことを指す。テレスティアの業務上、普段は余程のことでもない限りはシリカの近辺を離れることはない。無論迎賓館に足を運ぶような機会も通常業務中は訪れない。しかしシリカが本殿から迎賓館に身を移す三日間は彼女もそこに詰めることになるし、その前段階として建物内の点検を行うのが常となっている。
たった三日とはいえシリカが寝泊まりするのだ。何かしらの不備や危険がないかを直接自身の目で確かめないことには安心できないのがテレスティアという女である。
やりたくてやっていることではあるのだが、そもそも他組織の狸親父どもが我が物顔で本殿を使用しなければこんなことをしなくても済むのだ。
そう考えるとやはり、シリカの扱いが悪いような気がしてならず、腹が立つ。
そういった不満のせいで女性らしいとは言えないのしのしとした歩き方をするテレスティアは、歩調の速さもあってすぐに本殿から中庭の庭園に差し掛かり――そこから見える迎賓館の玄関口に、数名のメイドたちを見つけた。
おや、と彼女は反応する。
あのメイドらは何をしているのだろうか、と。
いや当然、メイドたちとて建物の外に出ることはおかしくない。迎賓館勤めのメイドもいるし、中庭の掃除や庭園の手入れ(剪定や花の世話)は彼女らの仕事なのだ。だから外に出ていること自体は何も変ではない。
気になったのは時間帯である。掃除も手入れも、普通なら気温の低い朝方に行われるもので、昼前のこの時間にメイドたちが揃って中庭に出ていることは非常に珍しい。少なくともこれまでテレスティアがそんな光景を目にしたことはなかった。
不思議がる彼女の視線の先で、メイドたちが迎賓館へと戻っていく。やはり中庭で行う仕事はもうないようだ。では何をしていたのだろうか……と訝しむよりも先に気になることがひとつ。
一人だけ庭に残った者がいるのだ。
他のメイドが全員建物へ引っ込んだというのに彼女だけがそれと別れ、庭園を歩き出した――それも物珍しいとでも言わんばかりにきょろきょろと花々を見回しながら。
テレスティアは目を細める。これぞおかしなことだ。庭園の風景は幹部たちの見栄もあり確かに美しく立派なものではあるが、それを維持しているメイドたちともなればとっくに見慣れたものであり、日常の一風景に他ならない。今更あんな風に興味深く花を眺める者などいないだろう。
新入りがいる、などとテレスティアは聞かされていない。護衛隊を含む警備隊員は本部内の人員の顔を覚えることも業務の内で、隊長たる彼女は新しい勤め人が入るたびに真っ先にその情報を知らされる立場の一人である。
テレスティアは自然と足を速めていた――目標に近づくにつれ、違和感はどんどん大きくなる。
まずは服装。
メイド服にさほど興味があるわけではないが、その者が着ているのはうちのメイドたちの衣装とはだいぶ形が違う。大まかな意匠は似通っているがよく見ればデザインはまったくの別物である。
次に顔だ。
目鼻立ちが確認できる距離まで接近して思ったのは、「こんな奴は一度たりとて見たことがない」という確信だ。顔を合わせたこともなければ書類上で確認したことも、絶対にない。なまじ相手が美人と呼べるだけの整った面立ちをしているだけに――まだ年の瀬は十五、六といったところだが――そう断言できる。
メイドに紛れた、まったくの部外者。
そんな者が迎賓館前で何をしているのか――。
生垣を飛び越え、テレスティアは彼我の距離数メートルの位置まで距離を詰めた。
腰の剣。まだ柄に手はかけないが、開手で。左手で鞘を掴み、すぐにでも抜き放つことができる状態を保ち――ゆっくりとこちらを向いた不審者にテレスティアは問う。
「お前は何者だ。嘘偽りなく明かせ」
迎賓館のメイドたちと職業談義に花を咲かせ、向こうの好意から庭園について説明を受け、仕事のある彼女たちとは残念ながら別れて一人庭を散策し始めたところ、急に見知らぬ人物から誰何を受けたクレイドールは……ここでどう答えるべきであるかをカチカチと逡巡した。
クレイドールです、と名乗っても意味はないだろう。彼女はどう考えても名前ではなく立場を訊ねている。
それに素直に答えるなら『パラワン製作で現在はナインに仕える自動人形である』というのが最も相応しい説明になるのだろうが、いきなりこんな自己紹介をしたところで相手は理解してくれないはず。それはナインたちとの初対面時で学習したことだ。
なのでクレイドールは、自分の服装からも相手にとって最も理解しやすいであろう職種で応じることにした――それ即ち。
「メイドです」
という答えだ。
しかしこれは考え得る限り最悪に近い返答であった。何せテレスティアはクレイドールのことを『メイドに扮した狼藉者』と捉えているのである。加えて昨日に座談会の開催を受け入れたこともあって天秤の羽根内は騒がしくなっており、そのあおりでつい一時間前に来訪したばかりの『ナインズ』のことがまだ護衛隊長であるテレスティアにも伝わっていなかった――故に。
嘘偽りなく、と忠告したのを堂々と破ってみせたメイド少女にテレスティアが容赦を見せるはずもなく。
「侮ってくれるなよ、その程度の変装を見破れないなどと……! この私、テレスティア・ロールシャーが貴様を罰してくれよう!」
抜剣。と同時にテレスティアの姿がクレイドールの視界から消える。
「!」
「後悔しろ!」
ハイパーセンサーによって左後方に回り込まれたのを察知したクレイドールは反射的に裏拳を繰り出す。しかし潜り込むようにして身を沈めたテレスティアには当たらなかった。
下方より掬い上げられる刀身。
「っ――」
「なにっ!」
一切の加減なく振るわれた刃は正確にクレイドールの股下から頭頂部へかけて通り抜けていった――が、切れてはいない。刃が肌を上滑りするようにして、切れたのは衣服だけだった。その服もみるみる切断跡が塞がっていく。
テレスティアは眉を顰める――とんでもなく硬い感触も、服が自動で直っていく様も彼女からすれば理解しがたいものだ。太もも、臓器、首、顎、目――急所のオンパレードとなる人体線状へ重ねるように切ったというのに、ダメージが通っていないことに納得がいかない。
「なんなんだ貴様は……!?」
「迎撃します」
今度は質問に応じることなくクレイドールから仕掛ける。スラスターを吹かすことで無動作の接近を果たした彼女にテレスティアは不意を突かれ、その拳を受ける。
「ぐうっ――お、重いっ!」
腹部に叩き込まれる殴打を咄嗟に剣の柄で受ける。ガード越しでも腕が痺れるような重みがあり、連続で食らえば剣のほうが先に駄目になりそうだ――生身で受ければどうなるかなど想像するまでもない。
(賊め、強いな! だが、しかし! 私とてこの程度ではないのだ!)
殴られた衝撃を利用し自ら後方へ飛び、距離をあえて離す。ひゅん、と剣を振るって構えを取ったテレスティアは、油断なくこちらを観察しているクレイドールへ剣気をぶつけながらそれを唱えた。
「信仰魔法――『ホーリーライト』!」