179 宗教都市に眠る悪魔
「あなたもご存知の通り、この街には聖杯が眠っている。七聖具蒐集官として私はそれを回収しなければならないのですが……それより先にやらねばならないことができてしまいましてねえ。いや、それをしないことには聖杯に辿り着けそうにない、と言ったほうがいいんでしょうか? まあとにかくそのお手伝いをナインさんにお願いしたい所存でしてね」
「手伝いってのは、どんなことだよ。それを聞かないうちには答えられん」
困惑しながら問うナインに、オイニーは「おっとその前に」とわざとらしいまでの仕草で頭に手を当て、さも今思い出しましたと言わんばかりに逆に問うた。
「私のほうから質問いいですかね? お仕事の内容をお教えする前に、どうしても確認しなければならないことがあるんですよ」
「どーぞ……」
憮然としながらもナインは了承する。彼女からしたらそうするしかないのだ。
「いやなに、簡単なことです。たったひとつお答えいただければ私もそれで満足しますから――仮に、もしも、万が一にも。あなたが七聖具を手に入れたとして。あなたはそれをどうするおつもりなのか、それだけ聞かせてもらえればいいのです」
「…………」
持って回ったような問いかけ。ややもするとアムアシナムにあるという聖杯をナインが発見した場合のことを訊ねているようにも聞こえるが、真相はそうじゃない。この質問にはもっと広義的な意味合いがある――それはつまり聖杯だけでなく、現在ナインが『保管』している聖冠のことについても聞いているのだ。
ナインが何を思ってリブレライトに流れた七聖具を所有しているのか、そこまではオイニーにも読めない。実際何も思わず食べてしまったのだから読みようもないのだが、それすらも彼女にはわからないのだ。
だからここで審議する。
ナインが七聖具で何をするつもりなのか――万理平定省の執行官を前に、それでもまだ七聖具の所持を認めず、そして手放すつもりもないと言い切るのであれば――その時は。
ただでさえ半目がちの瞳を更に細めながらオイニーはナインを観察する。
彼女には他人の嘘をその表情や雰囲気から暴く特技がある。
根拠は提示できない感覚的なものだが、彼女の体感で的中率は十割。
だからこそ以前、リュウシィを軽く尋問した際にナインの存在を絞り取れなかったことには疑問が残るが、今となってはそれも大したことではない。
当の本人がこうして手の内にいるのだから、謎があるなら直接確かめるだけだ。
果たして少女の返答は――
「返すさ。七聖具ってのは国の宝、なんだろう? だったら俺なんかが持ってていいもんじゃない。もしも見つけたって、その時は治安維持局にでも持っていって引き渡すだろうさ。俺に限らず大抵の奴はそうするんじゃないか?」
「ふうん――」
嘘では、ない。彼女は本気で七聖具に拘っていない――むしろ手放すことを、然るべきところへ手渡すことを本気で望んでいるように思える。
と、いうことは。
(彼女は何かしらの事情で、今は七聖具を手元から放せない、と)
手元というのは言葉の綾で、勿論ナインが本当に肌身離さず七聖具を持ち歩いている保証などない。むしろどこか安全な場所に隠していると考えたほうが自然だろう。どうやら今はそこから動かせない状態にあるようだが、ナインの言葉からするといずれは解決することのようにも受け取ることができる――オイニーの百戦錬磨の勘はそれを確かに認めている。
けれど何故か、重大な思い違いをしているような気がしてならないのはどういうことなのか?
(……ま、この場だけで何もかも推し量ろうとしたって無理ですよねえ。なんにせよこの子は七聖具の独占を夢見るような間抜けとは違う、ということはハッキリしました――ならばけっこう)
納得したオイニーはにっこりと――ナインからすればじっとりと――笑う。
「それを聞いて安心しました。いやなに、七聖具の回収を行なっている身からすると、関わる人が任務の妨害を企てる輩ではないかという確認はどうしても必要になってしまうものですから……疑いも晴れたところで、お仕事の話をしましょうか」
そこからオイニーが語ったのは、ナインも先ほど検問所で知ったアムアシナムで起きている連続失踪事件のことであった。
ただし、審査官から聞いた内容と大きく違った点がひとつだけあった。
それはこの事件が何者の手によるものなのか、オイニーには当たりがついていたこと。
「この事件の犯人は悪魔です。これは間違いありません」
「悪魔、だって……?!」
まさかのワードに呻くナイン。横に立つクレイドールは首を傾げる。
「なぜそう断定できるのですか」
「私は悪魔の気配を感じることができるんですよ、かわいいメイドさん。私がアムアシナムに潜伏を始めて以降、あちこちで悪魔の気配が出現しては、消える。それと並行するように市民も消えていく――これが何を意味するか、おわかりになるでしょうか」
「……まさか」
可能性に思い至ったジャラザが低い声で呟いた。それにオイニーは頷き、
「上位の悪魔は様々な力を使います。中には人を変生させてデーモンにしてしまう者も……おそらく今回の手口はそういった術によるものです。市民を悪魔化し、そして放逐する。行方不明となった人々は悪魔の一種に変えられて、自ら街を出ていったのですよ」
「……!」
そこで思い起こされるのは、先のオルゴン悪魔襲撃事件。
何百体というマネスが小都市を襲ったあの夜のことだ。
(てことは……あの悪魔たちはまさか、元は人間だったっていうのか!? 人があんな姿になって、人を殺して食らってたっていうのか……!!)
ジャラザに遅れてその事実に気が付いた面々が、悪魔の信じ難い正体に戦慄を覚えている中――その動揺に構うことなくオイニーは話を続ける。
「変生すれば元の人格は消滅し、ただの悪魔に成り果てる。自我を保てることもあるようですがそちらは相当珍しいパターンのようですから、行方不明者たちは皆、もはや人間と呼べるものではなくなったと見たほうがいいでしょうね。変生してしまえばどうせ元にも戻せませんし」
「ほう、ずいぶんと悪魔のことを熟知しているようだな?」
オルゴンの事件を知っているのかいないのか、そんなことを言ったオイニーの見識をジャラザが皮肉のように褒める。
「悪魔に関しては一家言あると自負していますよ」
「ふん……。しかし、奇妙ではないか? よりにもよってここ、アムアシナムで起きる事件の犯人が悪魔などというのは……奴らは信仰心を嫌い、ここら一帯に寄り付かないと聞いたが?」
「その通り。私も最初は戸惑ったものですよ――ここで感じるはずのない気配を感じたものですからねえ。しかしすぐにとあることを思い出したのです。あの有名な逸話ですよ……ここには聖杯がある。そして聖杯には、とあるものが封印されている」
「あっ……!」
ナインの脳裏によぎる、ピカレ・グッドマーの顔。彼女が語った大昔の物語には、確か――。
「聖杯には大悪魔が封印されている……俺は確かにそう聞かされた!」
「ザッツライ、それですよ。アムアシナムだからこそ存在し得る悪魔のことをうっかり失念していたんですねえ」
なんてことのないような口調で肯定するオイニー。しかしそれが本当ならとんでもないことだ、とナインは焦る。
「そいつは大陸中を騒がせたとんでもない奴、なんだろう? そんな危ない悪魔が解き放たれたっていうのか?」
「最近になって封印が解けた。私にはそうとしか思えませんね。さしもの大悪魔も長年の封印で弱り果てているはずですが、それでもこれくらいのことは寝起きでもやってのけるでしょう。私も文献でしか知りませんが聖杯の悪魔はデビルとしても最上級のはずですから」
「それが本当だとしても、だ。狙いがまるで読めんではないか。大悪魔ともあろうものがせせこましく人間を悪魔に変えて何をする? 配下作りならまだしも、作った端から追い出しているのだろう」
そこですよ、とオイニーはしたり顔で指を立てる。
「私もそこでとっても悩みました――悪魔の企みがまるで見えてこない。騒ぎを起こして人間の慌てる姿を見たいがため、ということも犯人が悪魔なら十分に可能性としてはあるんですが、それにしたって失踪事件ではインパクトが弱い――なるべく惨たらしく夜な夜な人を殺して回ったほうが恐怖は上でしょう。なぜいたずらに不安ばかりを煽るようなことをするのか、その意味が見えなかった。しかしそれにもようやく答えが見つかりましたよ」
コンクエストをご存知ですか、と。
一同の顔を見回しながらオイニーが聞いた。
「コンクエスト?」
「座談会。街を束ねる六大宗教会が開く臨時会議のようなものだと理解してください。この原因も先行きも不透明な連続失踪事件が続いたために、天秤の羽根はその責任を追及されようとしています。いいですか? 街の主要人物が一箇所に集おうというのです」
そこまで言われたらナインでも察しがつく――つまり悪魔の狙いとは。
「その座談会中を襲うつもりだっていうのか?!」
「さて、ただの襲撃計画なのかどうかは判りかねますが……ただひとつ忘れないでいただきたいのは、大悪魔といえども独りでに封印を解くことはできないということです」
「! おい、それじゃあ悪魔には――」
「そう、悪魔には仲間がいるんですよ! 人間の仲間が――聖杯の封印を解いて悪魔に協力している、もしくはさせている何某かが! 大悪魔がこのような回りくどい手法で座談会を待つのも少々おかしな話です。なのでおそらく主犯は人間のほうと見て間違いないはず――なので」
私としましては、その何某。『悪魔憑き』をナインさんに探し出してもらいたいのです。
オイニーの締めの言葉に、話に聞き入っていたナインはその目を真ん丸に見開いたのだった。