19 夜の屋敷の大立ち回り
草木も眠る丑三つ時――。
蝋燭の灯りに照らされているのは、ナインとクータの二人。
彼女たちは屋敷の主たるスルト・マーシュトロンの眠る寝室の前に陣取り、護衛としての務めを果たしているところだった。屋敷の広さに比べて光量が少なすぎるせいで妙にホラーチックな雰囲気を醸し出しているが、廊下そのものは月明かりがあるので窓の付近であればそれなりに明るかったりする。しかし、襲撃に備える意味で寝室近くの窓はすべて板で塞がれているので、ナインたちの付近は蝋燭がなければ完全な暗闇になってしまうのだ。
守るという意味では屋敷内を暗くするのは妙手と言い難いが、ナインもクータも夜目が利くほうなので問題はない。
「ろうそく……火ー」
ナインの視線の先で、クータが蝋燭の火を指先でちろちろと弄んで楽しんでいる。火が得意技なだけあって燃えるものは嫌いではないようだ。
護衛中ということを考えると相応しい態度とは言えないが、手持ち無沙汰のまま集中だけしていろというのも無体な話なので、そのぶん自分が気を張っていれば問題なかろうとナインはあえて何も注意はしていなかった。
蝋燭で気が紛れているうちは助かっているくらいだ。火遊びに飽きて構って攻撃をされたらどうしたものか、と今から悩ましい。そしてその時はおそらくそう遠からず訪れるだろう、という確かな予感もあった。何故なら昨晩がそうだったからだ。
いっそ暗黒座会さんがとっとと来てくれたらいいのにと不謹慎なことすら考えているナインであった。
「ナインさん」
「おぅわっ!」
いきなり暗闇からぬっと顔が出てきて、ナインは思わず素っ頓狂な声をあげた。殺人鬼じみた登場の仕方だが、落ち着いてよくよく見てみればその顔は見知ったものである。
「アウロネさん、驚かさないでくれよ!」
「申し訳ありません。忍ぶのが癖になっているもので」
無表情で謝られても謝罪の意思はいまいち伝わってこない。というか悪いと思っていないのだろう、きっと。
少々呆れながらナインは用件を聞く。アウロネの待機場所はここではない。わざわざ暇つぶしにここまで来るはずもないので、何かしらすべきことをするために自分の下を訪れたのだろう。
「空気が変わりました。どうやら侵入者のようです」
「! 私兵の人たちは?」
「これから伝えに行きます」
屋敷内にはマーシュトロンが個人的に雇っている私兵が常駐している。昼間に顔を合わせて確認したが、その数は十五人。襲撃が予測されるので平時よりも大幅に人員を増やしているそうだ。それでも住み込みで働く執事や女中たちを外に出しているので普段より人口は減っているくらいだが、まさか戦えない者たちを警備カメラ代わりに置いておくこともできないのでしょうがない。
私兵らは屋敷の要所に数人一組で詰めている。しかし要所と言えばマーシュトロンの居場所を守るナインとクータの持ち場こそが最重要だ。だからこそアウロネは何者かの侵入を感じ取ったおり、真っ先にナインへ報告することを選んだのだ。
「私は予定通り、単身迎撃に動きます」
「俺もマーシュトロンさんに張り付いてるよ、決めた通りに。ああでも、クータを迎撃班に回していいかな? じっとしているのは向いていないみたいなんだ。自由に戦わせたほうが活きると思う」
「ナインさんがそう判断されるのでしたら、どうぞ。しかしお一人で手は足りますか?」
「正直ちょい不安。だからまあ、この場所まで誰もやってこないのを期待してる」
「……これはこれは。試されていますね」
面白げにアウロネは呟く。心なしかその口角もほんの少し上がっているように見える。
リュウシィとはタイプの違う女性とばかり思っていたナインだが、この感じなら二人の意気はかなり合いそうだとイメージを塗り替えた。
「では、手筈通りに」
「OK。何があっても部屋からは出ないよ。守りに徹する」
ナインの言葉に頷いたアウロネはすっと闇に消えていった。達人のような動きだ。
ほう、と感心しながらクータへ声をかける。
「聞いてたよな?」
「うん!」
「なら話は早い。マーシュトロンさんを殺そうとする悪い奴らが来たから、クータはそいつらをぶっ倒しに行きなさい」
「うん、ぶっ殺す!」
「……あーっと、まあ、その勢いでもいいんだが。下っ端に指示出す偉そうな感じの奴がいたら、なるべく命までは取らないようにな。アウロネさんが情報を搾り取りたいって言ってた」
おっとそれから、とナインは大事な忠告を思い出した。
「火はできるだけ使うなよ。使うにしても、周りに燃え移らないように火力を抑えてくれ」
「えーっ」
露骨に残念そうに眉尻を下げるクータ。
そんな彼女の頭をナインは撫でる。
「すまんな。依頼人の家を炎上させちゃ大変だからさ」
リュウシィに放ったような熱線を屋内で使われては、被害は甚大だ。それではクータのほうこそが襲撃犯だと思われてしまうだろう。
くれぐれも辺りに火を撒き散らすような真似はせず、どうしてもという場合にだけ火の拳や蹴りを使う程度にとどめてくれと言い含める。
「わかった! クータ行ってくる!」
「おう、頼んだぞクータ。ああでも、リュウシィみたいにバリバリ強そうなのを見つけたらすぐ戻ってこいよ。絶対に戦うな」
「りょうかい!」
相も変わらずちゃんと了解しているのか不安になる即答である。ナインが何か言いたげに手を伸ばすのも空しく、クータの背中は廊下の向こうへと消えていってしまった。
「……ま、大丈夫だよな。あれでクータは賢い」
舌足らずな喋り方をするが、知能が低いなどということは決してない。むしろ理解力は高いほうだ。子供のようでありながら、言われたらきちんとその通りにするだけの自制心もある。なのでこれだけ言って聞かせたからには心配いらないだろうとナインは不安に蓋をする。
クータに関しては、きっと大丈夫。
むしろ大丈夫じゃないのは自らのほうだ。
たった一人、護衛主の下に残ったナインの責任は重大である。
「よーし、気合入れんとな」
意気込みながらマーシュトロンの眠る寝室へと入り、気休めではあるが内側から鍵をかけた。
ベッドの傍までよれば、頭まですっぽりとシーツを被ったマーシュトロンの姿がある。侵入者が来ているとも知らず、ぐっすりと眠っているようだ。
それでいい、とナインは思う。願わくば彼が何も気付かないままに、事態を終わらせてしまいたい。怖い思いをさせる必要などないのだ。私兵たちやアウロネの活躍次第ではそれも十分可能である。
などと思っていたナインだが、微かな振動や遠くから漏れ聞こえる何かがぶつかるような物音を耳にするうちにこりゃ嫌でも気づいちまうなとあっさりマーシュトロンの安眠を諦める。が、思いのほか彼の眠りは深かった。決して小さくない音があちらこちらから響いても一向に起きる気配がない。
これなら希望はありそうだ。
「頼むぞ、クータにアウロネさん」
私兵たちも屈強な体付きの男たちだったので、妙な名称を名乗っているチンピラ軍団になど負けはしないだろう。そうナインは高を括っているのだが――その想定がいかに甘かったかをこのあと痛感することになる。
◇◇◇
「えーいっ!」
少々気の抜ける声で黒装束の男を思い切り蹴り飛ばすクータ。掛け声の可愛らしさとは裏腹にその健脚がもたらす威力は常識離れしている。腹にとてつもない衝撃を受けた男は一瞬で意識を失い、力を無くした体はくの字に曲がって壁際の棚へと突っ込んでいった。
「片づけた!」
クータの周りには四人の黒装束が倒れている。今やっつけたので五人目だ。
明らかに夜陰に紛れて襲う意図の見える服装の者たちを見つけたクータは、迷わず飛び掛かって一人目を地に伏せ、二人目をかち上げ、三人目を殴り倒し、四人目をぶん投げ、たった今最後を足で片付けた。流れるように五人も倒してみせたクータだが、一息つく間もなく物音に反応して素早く振り返った。
まだこの場に敵がいたか、と警戒とともに身構えた彼女だが、すぐに構えは解かれた。奥から顔を出した二人の男たちはどちらも黒装束ではなかったし、片方が怪我でもしているのかぐったりとしていて、もう一人の肩を借りて歩いていたからだ。
「嬢ちゃん、ちょっと手を貸してくれ!」
「どうしたの?」
「相方が傷を負っちまったんだ。安全な場所で応急処置をしてやりてえ、運ぶのを手伝ってくれ!」
「わかった!」
クータは怪我人に駆け寄って、持ち上げてやろうとその体に触れた。そこで些細だが奇妙な違和感が彼女に生じる。
応急処置が必要なほどの傷を負ったというなら、それはそれなりに深いものであるはず。そうであるなら打撲にしたって皮膚が裂けて擦り傷くらいはできるだろう。つまり深手ならば怪我の種類を問わず、血の匂いが漂って然るべきなのだ。
クータを襲った違和感。
目の前の男からはまったく血の匂いがしない――。
「……っ!」
さりげなくクータの視界の外に回っていた男が背後から突き出したナイフを、紙一重で躱す。
何か変だと気付かなければ回避は間に合わなかったかもしれない。たったいま掠ったのはまさに死そのものであった。けれど、死が皮一枚に肉薄した状況にもクータは恐れを抱かなかった。
彼女の中にあるのは、敵の殲滅に向けた限りなく合理的な思考だけ。
「シッ――」
避けたついでに腕を叩き下ろして、男の肘を破壊する。呻く声に反応するように怪我人を装っていたほうも腰のサーベルを抜いて切り払ってくるが、その前にクータは男の肩を押さえた。動作の起こりを止められた男の硬直に合わせて手に炎を纏う。「ギィッ!」と滑稽な悲鳴が上がるのもの無理はない。クータの指先は男の体内へと侵入していたのだから。
人間とは思えない握力と、メラメラと燃える炎の高熱とで尋常ではない激痛が男を襲う。それを見たもう片方は肘の痛みを無視して残った腕でクータの首を狙った。男の手には小さなかぎ爪のような暗器が握られており、それで少女の頸動脈を裂くつもりなのだ。
目標へ目掛けて一直線に、男の出せる最速で放たれた攻撃はしかし、その爪先でクータに触れることすら叶わなかった。
「げやあああっ!」
肩口を抉り取られた男が絶叫する。
暗器を躱しながらクータはわざと大きく跳び上がり押さえている男の背中へと回ったのだ。その際に掴まれていた肩は骨ごと肉を捩じられ、ごっそりと部位を持っていかれた。故の絶叫。それなりに鉄火場を経験している男でも味わったことのない、耐え難い苦痛。
もはや戦うどころではない男の胸からズブリと燃える手刀が突き出てきた。背中から心臓を焼き貫かれた男は物を思う間もなく絶命する。だがその死は彼にとって大いなる救いとなっただろう――これ以上の痛みを感じなくて済むという点において。
「化け物……!」
残った男は自分の敵う相手ではないことを悟り、手の中の暗器を放り出し転身。一目散に逃げだす。
本来なら最初の不意打ちで仕留める作戦だったのが乱戦にもつれ込んだ時点で勝ち目は薄かった。それでも相方と挟み込んで攻めればどうにかなるのでは、と小さくない期待を抱いていたのが間違いだった。たった一人で自分たちと同程度の実力を持つ男たち複数人を沈めた彼女をもっと恐れるべきだったのだ。
後悔は先に立たないもの。
今は判断ミスを嘆くよりも逃亡に全神経を傾けるべき。
必死の形相で逃げる男。大きな窓から差し込む月明かりに照らされたその影に覆いかぶさる、もうひとつの影。それが少女のシルエットをしていることに気付いた男は「ひゅ」という風切り音が聞こえたのを最後に、永遠にその目と耳を閉ざした。
「勝った! ……でも、あれー?」
焼け焦げた切断面の男の生首を放り捨てながら、クータは首を傾げた。
倒したはいいものの、この男たちはマーシュトロンの私兵ではなかったか。
ではなぜ自分は襲われたのか。
味方のはずなのに、どうして……?
敵と間違えられたのだろうかと思案するクータだが、思い返せばこいつらはだまし討ちをしてきたではないか。それは味方としての立場を利用してのもの。
ならば間違いなく、クータをクータと認識したうえで殺そうとしてきたことになる。
「……、…………、……あっ、ご主人様が危ない!?」
考えても考えても味方から奇襲を受けた理由が分からず頭を抱えていたクータだが、同じような目にナインが遭いかねないことに気付いた。
どうして襲われたのかはいまいちピンとこないものの、理由はともかく襲われたことは確か。とすれば自身だけでなくマーシュトロンを一人守り続けているナインにも私兵たちは襲撃をかけるおそれがある。
急いでこのことを知らせねば、そして守らねば――もちろんマーシュトロンではなくナインを――と踵を返そうとしたが。
「お待ちください」
「わっ!」
振り返った先にて、いつの間にか音もなく佇んでいたアウロネに制止をかけられた。
炎は使うなよ!
了解、焼き切る!