178 オイニー・ドレチドの提案
オイニーが現在名乗っている『七聖具蒐集官』という肩書きは肩書きとして機能していない珍妙な肩書きである。
というのも彼女の役職は、正しくは『執行官』。戦闘行為にばかり重きを置かれた開発局所属の『アドヴァンス』などとは違って、幅広い範囲で任務をこなすエリート集団の一員としてオイニー・ドレチドは数えられている。
誰を相手にも名乗るのならそちらのほうが相応しい――何故なら七聖具蒐集の任をオイニーが受けていることは、そう容易く人に聞かせられるものではないからだ。無論完全に秘密ということはあり得ない――そんなことをすれば七聖具の情報自体が集まらない。じっくりと時間をかけるなら別だが、そこまで長大な任務にするには不確定要素が多すぎることと、また期間の経過は逆に内部情報の漏洩を招きかねないことを万平省の『上座』たちは知っている。
だからオイニーは限られた人物にだけ、その肩書きを明かす。
七聖具を持つ者、あるいは、その疑いのある者。そうでなくとも七聖具の所在地について知識のある者――そういった相手に限りオイニーは堂々と立場を明かすのだ。
それはつまり、今この時。
ナイン一行を前に『七聖具蒐集官』の肩書きを使用したオイニーの思惑とは――。
◇◇◇
突如姿を見せた少女の案内で路地裏を訪れた一行。
「ここなら長話をしても平気でしょう。信じてくれてけっこうですよ、私もこの街についてはだいぶ詳しくなりましたから」
「……ああ」
フードを外しながら、硬い声で頷くナイン。彼女の心中はまさに嵐である。
(オイニー・ドレチド……! どうしてアムアシナムに!? いや、それよりも――何故俺の前に現れた!? しかも蒐集官と名乗ってまで――)
混乱する。
オイニー・ドレチドの人となりや危険性についてはリュウシィよりよーく聞かされている彼女だ。自分が聖冠を食べてしまったという事実を誰よりも知られてはならない相手。その知見の鋭さや厭らしい性格を嫌っている――否、いっそのこと畏れていると言ってもいいくらいにあのリュウシィが煙たがる万理平定省の手足たる少女。
それがオイニー・ドレチド。
ショートのくすんだ銀髪に、眠たげな目付き。胡乱な雰囲気は彼女のどことなく柔弱でありながらその印象がまったくの嘘のようにも思える奇妙さから来ているのだろう。
とにかく信用ならない。
ナインの抱く第一印象はそれだった。
ところがオイニーのほうは――
「ああ、やっぱりあなたでしたかあ。写真で見た時からそうだとは思っていたんですけど、実際に対面してみるまではと断定せずにいたんですが……やっぱりあの時、リブレライトの治安維持局から出てきた子、ですよねえ? そちらの赤髪の子を担いでらっしゃった」
「……!」
ナインはその指摘でようやく思い出す。以前、リブレライトでの仕事終わりに治安維持局に寄って、帰宅する際――確かに銀髪の少女とすれ違ったことを。
時間も経っているうえに、あの時とはオイニーの服装が違いすぎて気が付かなかった。今の彼女は特徴的な青いマントを付けずに地味な――どこにでもいる街娘といったような恰好をしている。
しかし髪色や顔を隠すようなことはしておらず、だからこそ辛うじてナインもオイニーがあの時の『独特な気配』を発していた少女であることに思い至ることができた。
「それじゃあ二度目ましてってところか……。で、俺に何か用かい?」
「おや、お分かりでない? 私がなんのためにあなたを待ち構えていたのかを?」
「…………」
たらり、とナインの頬に冷や汗が落ちる。
この口振り、そして自らの立場を晒していることからしても、もう疑問の余地はない――こいつは秘密に気が付いている!
「わからないな。顔を合わせるのが初めてじゃないとはいえ、前回のあれは知り合ったうちにも入らんぜ。言葉もなくただすれ違っただけなんだからな……実質今が初対面みたいなもんだろう? だからあんたから声をかけられる理由なんてさっぱりだよ」
確信を強めながらも、ナインは平静を装って言葉を紡いだ。仮に秘密がバレているとしても、それがどれだけの精度や確度を持つかは不明。それこそカマかけのつもりでオイニーがブラフを張っている可能性だってある。心証では黒でも物証がない、という事態はままあることで、実際にナインが聖冠を食べてしまったことはその暴挙具合が故に目に見える形での証拠は掴みづらいはずなのだ。
つまりオイニーはこちらがボロを出すように誘導しようとしているのではないか。
そう勘付いたナインは、明らかに追い詰められているこの状況でも不敵な笑みを絶やさないようにした――のだが。
「あー、そういうのはいいんです」
心理戦を覚悟したナインを嘲笑うようにオイニーは告げた。
「は……?」
「ぐだぐだと言葉のあげつらいをするつもりはありませんのでご安心を。そんなことしなくたって大体のことはもう見えてますからねえ。だってそうでしょう? 七聖具の噂が出たリブレライトに丁度あなたはいた。治安維持局とも懇意にしていて、なのに街を出たかと思えば嗅ぎ付けたようにここまでやってきた、と。アムアシナムに何をしに来たんですー? ……なんて。それも当然、私には分かっていますよ。ここにも七聖具があることを、あなたは知っているんでしょう? ねえ、万理平定省の動向にお詳しいナインさん?」
「……っ、」
甘かったとナインは痛感する。なんとか誤魔化せるかもしれないなどというのは生クリームにハニーシロップを垂らすよりも甘い考えだった――オイニーはもはや白か黒かで迷う段階にいないのだ。物証などなくとも自身の思う心証――心象のみで物事の可否を下すのに迷いのない性格。自信家で行動家な者に多いタイプであり、この少女は明らかにどちらの素養も振り切っているのが見て取れる。
疑われているどころの話ではない。
決めつけられてしまっている――しかも想定以上にこちらの行動が筒抜けなのも非常にマズい。
リブレライトでの活動に関しては新聞や情報誌でも何度となく示唆されていることなので国中の誰もが知っていることだが、リュウシィと知己であり治安維持局に関しても一般人より深い知識を持つオイニーだからこそ導き出せる結論というものがある――そのうえ、こちらが万理平定省の動きをある程度(というには微かに過ぎるが)把握していることもバレてしまっている。
どこから漏れたか、は問題ではない。むしろ漏れた原因が掴めないことこそが、万平省――ひいてはオイニーの情報収集力の高さを物語っている……要するに。
下手な嘘も欺きも彼女には通じない。いや、たとえ嘘を吐きなれていないナインが一世一代に頭を働かせて上手な騙し方をしたとしても、それでもオイニーの心証を覆すことはできないだろう。
瞼の重そうな、今にもこの場で眠ってしまうのではないかというくらいに『やる気なさげな』態度を見せる少女。
しかして瞳の奥から射貫くような視線を送ってきていることが、その何よりの証拠。
――詰んでいる。
遅ればせながらナインはそれを自覚した。絶対に知られてはならないとリュウシィから受けた忠告を守れなかった。国宝の不当所持に留まらず破壊し、胃の中に入れるという常軌を逸した行為。それを隠蔽したリュウシィ。自分たちはどうなるのか?
自分はまだいい、しかし局長という重い立場に就いているリュウシィは……。
ナインの身体は固まる。それはオイニーが突如として姿を見せた時のそれと似ているが非なるものだ。単なる驚きで体を硬直させた先とは違い、いま硬直しているのは心のほうである。もう少しで聖冠を取り出せる(かもしれない)聖杯に手が届く(予定)のこんな場所で、よもや最も恐れていたことが起ころうとは――そしてそれを挽回するすべがまったく浮かばないとは。
手の打ちようがない現実に直面し、ナインはどうしても臍を噛まずにはいられない――そしてその苦悶を三名は敏感に感じ取った。
「提案を。消しますか、マスター」
「試しに探ってみたが、どうも周囲に仲間らしき気配はないようだの」
「燃やしつくせばいいんだ。そうすれば、だれもこいつをみつけられないよ」
物騒極まりないことを述べる仲間たち。
普段はそれを諫める役を請け負うナインも、この窮地を逃れるためには致し方ないことかとつい野蛮な解決策へと心が惹かれ――かけたところに呆れを孕んだオイニーの声。
「あのですねえ、勝手にバトル展開にしないでいただけます? そりゃあなた方は闘錬演武大会の優勝チームで、なんでもかんでも肉体で解決しようとするのは正しい姿勢なのかもしれませんが、こちとらただの公務員ですよ? 脳筋論に付き合わせないでもらえませんかね」
その言葉は暗にここで戦うつもりはないと知らせるものだ。
ナインはわけがわからずに、顔を顰めた。
「どういうことだ? 俺を捕まえにきたってわけでもないみたいだが……それじゃああんたはいったい、何がしたくて俺たちを待ってたって言うんだ?」
「そりゃあ、こんなナリをしていますが、私も大人。立派な社会人ですからね。あなたも子供ながらに自立した一人の女性でもあります。そんな私たちがする話といえばひとつしかないでしょう――ビジネスの話ですよ」
「び、ビジネスだぁ……?」
「主様が困惑しておる、もっとはっきり言わんか」
「そーだそーだ!」
「当方に撃滅の用意あり」
「おや大不評。というかそちらのメイドさん、先ほどから殺意が高すぎでは? まあいいでしょう、単刀直入に言わせてもらいますよ――ナインさん」
「……なんだ」
「私の仕事のお手伝いを、してみませんか?」
提案(脅迫)
ただし今度はされるほう