177 アムアシナムは怖い街
絶対に住みたくない街
ナイン一行は迎賓館にある一室に通された。シャンデリアのような室内灯、細工の凝らされた窓枠、脚の部分が渦のようにデザインされた椅子、柔らかすぎてどこまでも沈んでしまいそうな寝具。
目に入る何もかもが高級志向で埋め尽くされた、小市民にとっては非常に居心地の悪い部屋だ。
ここで落ち着けるだろうか、と不安がるナインを余所にクータはベッドで飛び跳ねているしクレイドールは見かけたメイドたちとお喋りをしに早速部屋を出ていってしまった。
まったく自由な奴らだとナインは呆れと頼もしさを同時に覚える。
人数分の部屋も用意できるとは言われたのだが、ナインはそれを断って全員同室にしてもらった。手狭になるかと予想したが案内された部屋は想定を超えて広く、ひとつしかないベッドもそれ自体が小部屋ほどはあろうかというくらい大きいので(カイザーサイズと言うらしい)少女四人で寝転がってもまだまだスペースが余るほどである。
ナインが一室での宿泊を希望したのは、何も彼女が潜在的に寂しがりだからという理由ではない。
今後のことを考えて、同部屋に固まらなければ危険だと判断したのだ。
「うまくいったの、主様よ」
ナインと一緒に室内の検分を終え、冷蔵庫からジュースを取り出しながらジャラザが言った。ぷしゅりと缶を開けて旨そうに飲んでいる――彼女が日頃から水分を多くとりたがるのは種族的な特性なのだろうか、とナインは考えつつ「俺にもくれよ」と頼む。
「人の飲みかけを堂々と要求するとは、いよいよ自重せんようになったか」
「飲みかけ寄越せなんて一言も言ってねえ。つーかいよいよってなんだいよいよって。まるで俺が前からセクハラの兆候を見せてたような言い方はやめろ」
「仕方ないの。ここはマウストゥマウスの出番か」
「仕方ありまくりだわ。どっちかってーとお前が俺にセクハラしてっからな」
前からその傾向はあったが、最近ますますジャラザはナインを揶揄うようになった――まあ遠慮されるよりはいいのだが、クータやクレイドールが曲がりなりにも主人としてナインを丁重に扱おうという意思を見せる中でジャラザの態度は少しばかり浮いていると言えなくもない。
だがもし彼女までが他二人のようにナインへ妄信的にでもなったらそれはそれで困った事態になるだろう。ブレーキ役がいなくなってしまう。
それがお互いに分かっているからこそ、彼女たちはこのやり取りを引っ張らずにすぐに元の話題へと戻った。
「確かにここまではうまくいってるな。順調すぎるくらいに」
「ふむ、覚悟していたよりすんなりと入り込めたことを良しとすべきか……しかし主様の顔色は妙に優れんようだの?」
「順調なのが逆に怖い。待ち構えているライオンの口の中に飛び込んだネズミの気分っていうのかな……お前も見ただろ? シルリアさんのあの顔」
ナインは儀典室を出る前に向けられた彼女からの笑顔を思い出す。
何か含みを持たせたような、冷たい微笑。
あれは確実にこちらの思惑に気付いている顔だ。
「ただの客とは考えておらんだろう。とはいえ、どこまでこちらを見透かしているかは不明確もいいところだの。そも、向こうからすればどんな疑いを持つにせよ、まだ疑惑の域を出ないはずだろう?」
もしも儂らの目的を正確に読み解けたとすればそれは、とジャラザは続ける。
「あの教皇こそが此度の事件の犯人という証拠になろう」
「……ああ。ぶっちゃけ、儀典室にいた人たちは全員が最有力容疑者になるからな」
事件、犯人、容疑者――彼女たちが話しているのはアムアシナムで頻発している行方不明事件のことだ。ナイン一行はこの事件の真相を解明すべく動こうとしている。
なぜ彼女らがそんなことをしなければならないのか。
事は昨晩、ナインズがアムアシナムに到着した場面にまで遡る。
◇◇◇
「お会いできて光栄です、十代目武闘王。握手してもらってもよろしいでしょうか」
「ええ、それくらいお安い御用ですよ」
「ありがとう!」
検問所の審査官であるその男性は、どうやらナインのファンであるらしかった。彼女がフードを取る前からクータ達の顔を見て一行がナインズであると気付いていたようなので、相当なものである。
そんな彼にアムアシナムがどういった街なのか訊ねれば、とても丁寧に教えてくれた。
曰く、アムアシナムの治安維持局はほとんどまともに機能していない。元締めとして天秤の羽根を始めとした六大宗教が都市を支配し、その信徒たちによる監視網によって秩序が守られている。ただし裏を返せば組織ぐるみでの犯罪の場合、そうそう明るみには出ないということにもなる。犯罪件数自体は他の五大都市と比較しても目に見えて少ないアムアシナムだが、年間死亡者数や行方不明者数はリブレライトに次いで多い。リブレライトがその総面積の広さや人口の多さに端を発するものであることを考慮すれば、アムアシナムの不穏さはもはや言うまでもないだろう。
実際、事件が迷宮入りしてしまってまともに調査されなくなる頻度はこの都市がずば抜けて高いのだ、と声を潜めるようにして彼は語った。
「危険な街ですよ。僕も任務でなければこんなところで審査官なんて御免被ります……おっと、こんなことを漏らしたなんて誰にも言わないでくださいね」
「勿論他の人には言いませんよ。それより、アムアシナムに住んでいるのにお兄さんはどこにも入信していないんですか?」
「いえ、ここで暮らす以上そういうわけにもいかないので、僕は天秤の羽根に所属しています。入会費や互助会費はなかなか懐を寒くしますが、他のところよりは安いし援助も確約されている分、かなりマシだと言えますからね」
さすがは最大組織ですよ、と男性は冗談交じりに笑った。
その様子からは街の雰囲気に馴染めず、また馴染もうともせずにひたすら任期の終了を待つ役人としての悲しい苦労が見えた。
(ミドナさんが言っていたように、アムアシナムの治安はかなり特殊らしいな。治安維持局の介入もあまり期待できそうにないし、揉め事は完全NGだな……気を付けねーと)
スフォニウスでは闘錬演武大会の時期だったこともあって、バーハルとの私闘や『グローズ』との場外乱闘についても好き放題暴れた割りに大したお咎めもなく終わったが、アムアシナムではそうもいかないだろう。道端でちょっとしたトラブルから喧嘩でもしようものなら、最悪その人物の所属する宗教組織全体との抗争にも発展しかねない――そして悪者になるのは間違いなくこちらだ。となると、道すがらうっかり肩をぶつけてしまうことさえも恐ろしい。
「あの、俺たちみたいな旅人もこの街に滞在するからには、どこかの勧誘を受けないといけないんでしょうか」
「いや、そんな決まりはないですよ――一応は」
「一応、ですか」
「はい、一応です。実際には一宿だろうと半日の休憩だろうと急いでどこかの宗教の庇護下に入らなければ街を出歩くことはできません。できはしますが、危険すぎて推奨ができません。最近ではあからさまな事例こそ減りましたが、つい十数年前まではどこへも入会せずにアムアシナムに滞在した旅人がいつの間にか消えていた、なんてことは珍しくなかったんです。さすがに問題になって一時万平省からの都市検問が行われたこともあったらしいんですが、結局はそれも殆どお流れ同然で済まされたみたいです。まったく上層部は何を考えているんだか……まあ、それを機に外来の行方不明者が減ったというからには、検問の意味も多少はあったのでしょうが」
後半はぶつくさと愚痴るような内容になっていたが、彼は目の前にいるのが飲み仲間ではなく幼気な少女たちであることを思い出したようで「ごほん!」と咳払いをして雰囲気を戻した。
「武闘王擁する『ナインズ』の皆さんであれば、特定の宗教のもとへ下らずとも問題はないでしょう。何せそうせずとも向こうからあなたたちを歓迎するはずですから――ただし、最初に接触するところは選ぶべきですよ。信用度を考えるならやはり、最大手の天秤の羽根をお勧めします。信者の数では他の追随を許さない組織ですから、他の六大宗教よりも余裕があるんです。待遇や安全面でも一番優れているでしょうから、何か特別な理由でもない限りはここ一択ですね」
「なるほど……」
元から天秤の羽根へ近づきたかったナインにとって、この情報は渡りに船であった。この分なら怪しまれることなく客人として招き入れてもらえそうだとほくそ笑む。
「何から何まで教えていただきありがとうございます」
「いえいえ! 武闘王のお役に立てたなら何よりです」
「それじゃあ、俺たちはこれで」
「ええ、良い観光を。……あっと、それからもうひとつ」
「? なんでしょう」
慌てたように付け足す男性に、ナインは何か言い忘れたことでもあるのかと立ち止まる。続きを待てば、彼の口から出てきたのは思いのほか物騒な話であった。
「ここ二ヵ月くらいで、アムアシナム住民が行方不明になるという事件が爆発的に増えているんです。消えた人数は既に三百人を超えました」
「さ、三百人……? たった二ヵ月でそれだけの数の人がいなくなったと?」
「はい、はっきり言ってこの街でも異常すぎるペースです。六大宗教と治安維持局が手を合わせて……と言っても実際にどれだけ連携が取れているかは定かではありませんが、とにかく人員を割いて捜索しても手掛かりひとつ見つけられていないのが現状です」
「それは……怖い、ですね」
「とても怖いことです。この街には都市長というものが存在しませんから、もしこのペースがもう二ヵ月続いたとしても万理平定省からの救援は来ないでしょう。事件の解決は絶望的だと僕たちは見ています……なので、ナインズの皆さんも何卒お気を付けください」
「ご忠告痛み入ります。自分たちも警戒しておきます――もしも。この事件に誰か黒幕がいて、そいつを見つけたなら……俺が倒しますから」
この宣言を最後に、検問所を後にしたナイン一行はいよいよアムアシナムへの都市入りを果たした。
しかしながらこのことが犯人捜しの直接の動機になったわけではない――「見つけたら」と言いはしたが、いるかいないかも分からない犯人を当てもなく捜すつもりなどナインにはなく、もしも怪しい者と遭遇した際には治安維持局や宗教組織の助けを待たずに打ち倒すつもりだ、というその意思を、心配してくれた彼に少しでも安心してもらいたくてリップサービス気味に告げたに過ぎない。
彼女が本格的にこの怪事件の捜査に乗り出したのはこの後に遭遇した人物こそが原因となる――それは。
「お待ちしていましたぁ、ナインさん」
「えっと……君は?」
「私、万理平定省に所属している――『七聖具蒐集官』オイニー・ドレチドと申します」
よろしくお願いしますねぇ、と。
くすんだ銀髪の少女は朗らかに、しかし汚泥のようなねばつく笑みを見せながらそう言った。
毎度誤字報告お世話になっております