176 武闘王は突然に
――何故このタイミング、なのかしら?
作為のようなものを感じずにはいられず、シルリアは柳眉を寄せる。
その様子を見てオットーは何を勘違いしたのか、『客人』に対するものにしては些か厳しい声をかけた。
「教皇様の御前だ。フードを取って顔を見せるように」
教皇対応ということで儀典室を開き、わざわざ歓待の体を取っているというのにこの言葉遣いはどうしたものか……言っていること自体はマナーとして間違っていないだけになお悪い。正論は時としてこの上ない悪印象を相手に与えるものでもあるのだから。
特に彼女のような手合いであれば、扱いを慎重にすべきだ。
命じるような口調を受けてどんなへその曲げ方をするか分かったものではない――。
という憂慮からシルリアは、まず間違いなく機嫌を悪くするであろう彼女へどういったフォローを行うべきかを幾通りかのパターンで想定する。しかしその苦労を笑い飛ばすかのように、存外にもあっさりと。
「あ、そうですね。これは失礼を……今すぐ取ります」
などと言って少女はぺこりと頭を下げた。
嫌味な言い方でもなく、ごく普通に謝っただけという感じ。
これは意外な反応だ。
まさか武闘王ともあろう者がここまで常識人的な対応をするとは、シルリアにとってなかなか理解しがたいものがある――腑に落ちない、と言ってもいい。
そもそもが妙な話なのだ。何せアムアシナムの歴史上、武闘王が訪問したことなどただの一度もありはしない。過去にその称号を手に入れた者たちは総勢で九名。彼らはそのほとんどが、闘錬演武大会優勝後も武芸者として諸国漫遊の旅を行なっていたとも聞き及んでいる。しかし諸国を巡りながらも歴代の武闘王たちがこの都市へ足を運ぶことはついぞなかった――それは何故か。
答えは単純、彼らがアムアシナムを好かないからだ。
実力主義と権力主義の極みであるアムアシナムは、なんの力も持たない個人などは意見も人権もほぼ黙殺されるという、人間社会に蔓延る階級制度を極端化した街として良くも悪くも有名である。この街で人らしく生きるには組織に属すこと、あるいは個人であっても組織に対抗できるだけの何かしらの力を有すこと。このふたつのどちらかを満たすのが最低条件なのだ。
逆に言えば力さえあればアムアシナムでの扱いは手厚いものとなる――それが武の頂のひとつとして数えられる『武闘王』の称号を持つ何某ともなれば、大宗教を前にしても傅く必要はなく、むしろ組織のほうから手招きとともに諸手を上げての歓迎を受けるだろう。
そんな猫可愛がりや囲い込みを、武闘王はどうしようもなく嫌う。
それは何も彼らが謙虚な姿勢を貫く清貧の精神を持ち合わせる者たちだから、というわけではなく。
むしろその正反対、彼らは謙虚さなど微塵も持っていないような、自尊心の塊のような存在だ。そうでなければ並み居る強敵を下し、優勝者として歴史に名を刻むべしと認められるはずもなく――我の強さこそ即ち肉体の強さ。もちろん自我肥大によって強くなれるということではなく、強者とは総じて心も鍛え、心身ともに強靭であるという話だ。
これがそこらの腕自慢程度であればちやほやされることでその自尊心を大いに満足させるだろうが、武闘王ともなればもはや明け透けな世辞を嫌悪し、唾棄し、忌み嫌うようにまでなる。自尊心が天元突破しているからこそ一周回って媚び諂ってくる者を相手にしなくなるのだ。
だからこそ彼らはアムアシナムという場所を避けたに違いない。
揉み手ですり寄ってくる集団を相手になど誰がするものか、と。
シルリアは概ねそういった理解の仕方をしていた――ところが目の前に初めての例外が現れてしまった。
つい一月ほど前に新たに誕生した今世代の武闘王。
最新最年少の十代目。
チーム『ナインズ』を率いたリーダー、ナイン。
都市の歴史上初となる武闘王の来訪が叶ってしまった――こんなタイミングで、である。
(確実に偶然ではない。かと言って仕組まれた必然と見るにはまだ足りていない――否。というよりも断片的にしか見えないと言うべきか)
ごそごそとフードに手をかけている背丈の小さな少女を見ながら、シルリアは思い悩む。彼女の傍らには御供のように、ナインズのメンバーである三人の少女たちが控えているが、彼女らはみな一様につんと澄ました顔をしている。まるで事前に打ち合わせでもした態度を一貫させようと努力しているような、不自然な強張りを感じる。
明らかに目的ありき。そうでなければ武闘王がアムアシナムへ来るはずもないので、むしろ納得できるくらいだ。しかしナインが驚くほどに素直な様子を見せるものだから、何も考えていない単なる変わり者である可能性をも考慮してしまうシルリアだった――のだが、随伴者たちの『平常を装う』その姿勢からやはり「それはないだろう」と結論付けた。
狙いがあるのはわかった。
しかし狙いそのものについては、まったくの不明瞭。
見極めるにはこの後にそれとなくされるであろう彼女らからの要求を聞いて判断するしかない。
まさか本当に挨拶だけをして帰るはずもないし、天秤の羽根としても追い返すようにナインズの面々を手放したりもしない。
武闘王のほうから近づいてきてくれるのであれば、こちらとしても本望なのだ。何を企むにしても天秤の羽根からも強烈なまでの知名度を持つナインとその仲間たちを囲え込める機会が転がってきたのだと思えば、これはまたとない絶好のチャンスでもあるのだから。
「気が回らなくてすみません。偉い人と会うとなるとどうにも緊張しちゃって」
などと嘯きながら外されたフード――日の目を見るその容姿。
彼女の美貌に、オットーを始めとする謁見立ち合い人の使徒たちは息を呑む。シルリアやシリカといった尊き血筋の整いすぎているくらいに端整な顔立ちを日夜拝んでいる彼らが、それでも硬直せずにはいられないほどの圧倒的な美。それは自身の優れた容貌について自覚のあるシルリアも同じだった。他三名も顔を基準にして仲間を選んだのかと疑いたくなるくらいに美少女揃いではあるが、それを率いているナインはナインズの中でも群を抜いている――文字通りに頭抜けている。
まるで人ならざる者の美を見せられているかのような、あまりに妖艶で、けれどあどけなく、さりとて華美に、それでいて儚く。
作り物よりも作り物めいた美の結晶。そういった印象を抱かせる。
「改めて、自己紹介を。こいつらが同じチームで戦った――」
「クータです!」
「ジャラザだ」
「クレイドールと申します」
「そして俺が一応のリーダーをしてます、ナインです」
「……これはご丁寧にありがとう」
想定外にフランクな挨拶を受けたことでシルリアはどうにか正気を取り戻す。いくら相手が相手とはいえその美しさに見惚れて粗相を見せるなど教皇としてあってはならない。
「私も名乗りましょう――シルリア・アトリエス・エヴァンシス。天に届く者の名を受け継いだエヴァンシス家の当代にして天秤の羽根教皇を務めております。どうぞナイン様方、よしなに」
オットーら幹部『十使徒』の簡易的な紹介をして、そこからちょっとした時流にちなむ小話を挟み、彼女たちはようやく誰もが待ち侘びた本題へと入っていく。
「それで、ナイン様がお越しになられた御用向きとは?」
「俺たち、チームで五大都市を回っているところなんです。リブレライト、エルトナーゼ、スフォニウスと観光してきたんで、次はやっぱりアムアシナムだろうと。検問所の人にどこかお勧めのスポットはありますかって聞いたら、どこを観るよりもまずは天秤の羽根に向かうといいって教えてもらったんで、言われた通りに来ちゃいました」
「そうですか……」
不自然な点は、ない。
他の五大都市もクトコステンを除きナインズが網羅しているらしいことはシルリアも様々な媒体を通して頭に入っているし、検問所の派遣員が旅人へ――ただの旅人ではなく武闘王に――天秤の羽根を勧めることもなんらおかしくない。
つまり彼女の言だけを考えるなら、その判定は信となる。
ナインズがここを訪れる一連の流れに嘘らしい嘘は含まれていないということになるのだ。
けれどそれを無暗に信じるシルリアではない。
たとえ嘘はなくとも何かを隠しているのはほぼほぼ確信しているところだ――そしてナインはその手札を見せるつもりはないらしいことも、この会話で理解した。
だとすればこちらの取るべき手段は――。
「喜ばしいですわ。武闘王に足をお運びいただけるとは……私共としても非常に光栄なことです」
「いやこちらこそ、まさかすぐに教皇様とお会いできるとは思ってもいなかったので、恐縮です。こんな場まで開いていただいて、俺たちなんかのために申し訳ない」
「謙遜なさらなくて結構ですよ? ナイン様の武功はここまで轟いていますから――ですからそんなナインズの皆さまを、私たちは是非とも持て成したいと思っております」
「えっ、持て成すなんてそんな。俺たちは別に、ちょっとご挨拶に寄っただけですし……」
「いえ、ナイン様。噂に名高い十代目武闘王に何もせず、何もさせずに帰したとなれば天秤の羽根の名折れというもの。順番は前後してしまいますが、どうか私たちが賓客としてあなた方を招いたものとして諒解していただけないでしょうか」
「は、はあ……俺としちゃそれで構いませんが」
「ならよかった。ではまず、この本部を案内させますので……オットー!」
「は」
教皇の傍まで歩み寄った彼に、耳打ち。
短い指示を授けてからシルリアはにこりとナインへ微笑んだ。
それは非常に品のいい、しかしどこか冷淡さを思わせる氷のような笑みだった。
「まずはお部屋へ。中庭の迎賓館をご利用ください。滞在中に決して不自由はさせませんので、どうかご安心を……よろしいですか、ナイン様」
ありがとうございます、と心なし固い声でナインは礼を述べた。




