175 教皇シルリアはまつろわず
新章開始。アムアシナム編です
「座談会とは、あまりに急な話です。奴らは確実にこちらへ全ての責を押し付ける腹積もりでしょう。このままではおそらく――」
「そんなことは承知のうえです」
幹部『第一使徒』にして天秤の羽根経営の責任者の地位にも就く彼オットーは、組織の中でもトップに次ぐと言ってもいいくらいの重役だ。そんな彼の言葉を途中で遮るような真似ができるのは、同じく使徒階級としてオットーと同等の役職に就く者か、あるいはそれよりも上。たった一人だけの絶対君主にしか許されない行為。
今回の場合は、後者。唯一明確にオットーよりも上に立つその女性。
豪奢な椅子にかけながらも高みからオットーを見下ろす、豊かな黒髪を持つ彼女こそ、天秤の羽根『教皇』シルリア・アトリエス・エヴァンシスその人である。
「この二ヵ月ほどで異様な増加を見せた都市の行方不明者たち。その原因を天秤の羽根にあるとして吊し上げを行うつもりでいることなど、考えずとも分かります。如何にも連中の企みそうなことよね」
「それをご理解なさっているのに、なぜ……?」
アムアシナムでは二年に一度教覧会という集いが開かれる。それは主要宗教組織の代表たちで互いの近況の報告――という名の牽制のしあい――と今後のアムアシナムをどうしていくかについて話し合う場だ。
同じ餌場を共有する者同士、ライバルでありながら隣人でもある彼らは表向きだけは対立の雰囲気など欠片も出さず友好的に振舞う。言わば仮面を被った者たちの上っ面を磨き合うパーティーのようなもので、そこでの立ち位置が己が組織にとっても重要な転換点にもなり得ることから皆必死にもなる。
アムアシナム内では最大手としてその地位をちょっとやそっとのことでは揺るがされない程度には確立している天秤の羽根はそういった下々の口八丁のやり取りに積極的に参加するようなことはなく、どちらかと言えば元締めとして教覧会の進行に気を注ぐことが通例となっている。
もしもこの集いが台無しに終われば、それは天秤の羽根の失態という扱いを受けることだろう。
それを狙って騒ぎを起こそうとする他組織の陰謀もこれまでに何度もあったが、基本的にはどこも最大勢力たる天秤の羽根に逆らうような姿勢を表立って見せることなどなく、こちらも表面上は極めて穏やかな関係性が築かれている。
何せ天秤の羽根は単独でアムアシナムの約50%を占める信徒数を誇るのだ。大都市に住まう二人に一人が同一組織の所属と考えればそれがどれだけ凄まじいものか分かるだろう――当然、他の組織たちは滅多なことでも起こらない限りは逆らおうなどとしない。
しかしそれも、普段通りであればの話だ。
教覧会と違って座談会は臨時で開かれる宗教会議である。
大抵なんらかの事件・事故を契機に主要組織二ヵ所以上が宣言を行うことで開催されるそれは、端的に言えば糾弾の場だ。
他組織の不正、汚職、犯罪行為や、あるいはその実行前にも計画した証拠があれば責める。過去に座談会で追及を受けて消えていった宗教はいくつもある。シルリアの母、つまりは先代教皇よりも以前の時代には全部で十三あった主要組織も今では天秤の羽根を含めても六つにまで減っている。ただ消えるだけでなく合併や併呑を繰り返したことで現在の形になっているのだが……それは消滅と言っても差し支えないだろう。
天秤の羽根もその恩恵に与ったことがないわけではないが、そういう意味では他組織のほうが遥かにその勢力を伸ばしていることになる――とはいえ、それでも数の差を覆せるほどではないのだが。
けれどその優位性も今回ばかりはどこまで通用するか知れたものではない。
「あなたが危惧しているのは、彼らの結託。そうですね?」
「はい。この座談会で被告人席に立たされるのは我々です! きっと奴らはそのために失踪事件を繰り返し起こしているに違いありません!」
「…………」
シルリアは冷たさを感じさせる瞳でオットーを見る。
目に見えた謎にも気付かない配下の至らなさに辟易しているのだ。
普段はもう少し落ち着いている彼だが、どうにもここ最近の悪い流れに気があてられてしまっているようだ。
「――確かに、いくらアムアシナムの五割近くを手中に収めている天秤の羽根と言えど、残りの五割が徒党を組めば勢力図としては互角。数の有利はその時点で消えることになります」
無論、ひとつの組織と複数の組織の集合体とでは単純に比較はできないが、そこは大組織の常として足枷もある天秤の羽根の事情もあって考慮するほどの差にはないだろう――問題はやはり、結託することで十分対抗できると踏んだ他組織が起こす行動にこそある。
「手を組む。その建前として事件を起こす。あり得ないとは言いません。むしろ似たような事例が過去にもあることを思えば疑って当然の線だと言えるでしょう……しかし。この事件の発生件数はあまりにも多すぎる。事を急ぎ過ぎているとしか言いようがないほどに」
「教皇様、それはどのような」
「三百と、五十三。発覚しているだけでもこれだけの人数が僅か二月の間に行方をくらましているのです。それも秘密裏に、誰にも気付かれることもなく――こんなことが行える組織がどこにありますか」
「は、ですから私は、連中が手を組むことでこの事態を可能にしたのかと――」
「手を組んだからこそ不可能なのです。我の強い彼らは、日ごろから互いに寝首を掻くのに必死。一時的に協同組織の体を取ったとしてもその本質が変わることはない。彼らが天秤の羽根に並ぶほどの規模になったところで、むしろ動きは鈍ることになる。このように素早く、それでいて静かな始末が行えるはずがない」
「な、なるほど確かに。……教皇様。今、『始末』と仰いましたか?」
「ええ。十中八九、消えた人々はもうこの世にいないでしょう」
ごくり、とオットーは喉を鳴らす。
美しくも冷ややかな印象を見る者に与えるシルリアがなんの感情も込めずに人の死を告げると、長年側近を務める彼であっても背筋を震わさずにはいられない。
「ですが、殺せば余計に足がつくはずです。死体の処理も何百もの数となれば容易ではありません」
「だからこう考えたと? 五つの組織は共謀し、互いの信徒を街のどこかに隠匿し、天秤の羽根を陥れ瓦解させるそのときまで不自由な生活を我慢させている、と」
「お、仰る通りです」
「ならもう少し考えて物を言いなさい。確かにアムアシナムは広大よ。リブレライトやクトコステンには及ばずとも、エルトナーゼやスフォニウスよりも広い面積がある。探せば三百名以上を隠し住まわせられる場所も見つかるでしょう――理論上であれば。実行に移すとなればそれだけの人数分、衣食住の補完をするのがどれほど手間になることか。表に出さないということは生産力もないということ。ただ食べて寝るだけの集団を抱え込むようなことが、彼らにできて? 仮にそれぞれで分けて請け負うにしてもその分の利害や打算を前提としない協力は必須。ますます実現困難だわ」
そしてもうひとつ、と彼女は言う。
「もしも事件を天秤の羽根の責となるよう事前に計画していたのであれば、被害者は全て他組織の中から出すはず。けれど実際には私の信徒も同じように、無作為に街から消えている。どれだけわざとらしかろうと天秤の羽根の被害者数がゼロならこれ以上ないほどの付け入る隙となる――それが私たちの悪意でないことを証明するのは不可能に近く、悪魔の証明にもなりかねないのだから。だというのに、そうしなかったのは何故?」
「それは……では、まさか」
「そうよ。彼らはこの機に天秤の羽根を追い落とすつもりではいても、事件そのものを引き起こしたわけではない。真犯人は別にいる。その息が他の組織にかかっていないと言い切れはしないけれども、少なくとも実行犯ではない。それだけは確かなことでしょう」
一分の隙もなく言い切られ、オットーは黙り込む。自分の頭に血が上り過ぎていたことを自覚し、同時に気付かされた――つまり教皇が、自分たちの不利を知りながらも座談会を拒否しないその理由は。
不利だろうがなんだろうが真っ向から迎え撃とうという気概とともに、アムアシナムを襲う不可解な事件の真相を暴くためにもあるということを。
「最大組織としての強権を発動すれば座談会に応じないこともできる。ですがそうしてしまえば私たちの立場は余計に悪くなる。疑惑を暗に肯定してしまうようなものです。参加しましょう。彼らの言い分をまずは聞いて、この街に何が起きているのかを――私は見通さねばならない。……それから、いい機会ですから今回はあの子も参加させましょう」
「シリカ様を、ですか」
「ええ。どれだけ使い物になるか、今回の件はいい試金石になるわ。まだ子供と彼らも侮ってくれることでしょうし、役に立つこともあるかもしれない」
親の情というものをまるで感じさせない口調と表情でそう言ってのけたシルリアに、またしてもオットーが恐怖に近い感情を味わったところで、部屋の扉を叩く音。
シルリアに許可を貰い、オットーは扉を開けて廊下にいる者からの報告を受けた。聞いた言葉をそのまま、彼は己が主人へと伝える。
「教皇様、ご報告が」
「なんでしょう」
「先日開かれた闘錬演武大会の優勝者――十代目『武闘王』が訪問したとのことです」
「…………」
思いもよらぬ突然の来客。しかもそのネームバリューの高さに、シルリアは目を見開いた。
数ある誤字の中でも名前の取り違えは特にやっちまった感つよいっすね……やだ、私の脳に限界が……!?
報告ありがとうごぜーます。