172 襲撃事件のその後:休憩と人探しと炊き出し
地獄のような一夜が明け、オルゴンの街にようやく朝が訪れた。
住民たちはみなへとへとだが休んではいられない。家族や友人知人の安否確認や被害報告、破損した住居の代用場の工面等々、全員に何かしらのすべきことはある。
とはいえ夜通し働きづめだった冒険者一同や、怪我人の治療を行なっていたジャラザなどはさすがに体力も限界だ。少しでも休憩しないことには次の仕事などできそうにない。
間違いなく都市住民にとって一番の救世主であろうジャラザ――彼女の『清流の癒し』は治癒術師の資格を持たないアマチュアしかいないこの街では破格の治癒能力を誇ったのだ――に対しナインは「お疲れ様」と心から労った。
「よく一晩中頑張ったな。お前がいなかったら大変なことになってたぜ」
「今は言ってくれるな主様よ。取り零した命があまりに多い。救えなかった者たちの手前、儂は儂の手際を誇ろうなどとは思えんのでな」
教会から運び出されていくもう目覚めることのないオルゴン市民たちを眺めながら、ジャラザは覇気のない声でそう言った。どうやら彼女にとっては肉体以上に精神負担からくる疲労が大きいらしい――しかし、体の疲れが余計に心の重荷を増やしているとも考えられる。
「完璧じゃなかった……それは皆同じだし、当たり前のことだ。だから必死に現実に立ち向かっていくんだ。その中で、今日のお前は一等強かった。最大の功労者がそんな顔しちゃいけないぜジャラザ――みんなからお礼を言われたろ?」
「……うむ」
「俺たち討伐組にも討ち漏らしはあったし、救えなかった命も多い。俺だって悔やんでばかりいるのは否定しない。でもたぶん、生きるってのはそういうことなんだと思う。悔やんで悔やんで、次こそはと完璧を求めて……そしてまた悔やむんだ。その繰り返しの中で、少しずつ成長していく。それが善く生きるってことなんだと俺は思う」
「そう、か……善く生きるか」
きっとジャラザは、ナインが外で暴れているその最中、辛い選択をいくつもしたのだ。彼女は一人ずつしか治癒できない――清流の癒しで一度に何人も救うのは無理だ。中にはもう手遅れだと、まだ息がある重体患者を見殺しにすることだって多々あったことだろう。残酷な言い方だがそうやって効率的に治療しないことにはこれだけの人数を生かすことなどできなかったはず。
それが分かっているからこそナインは彼女を褒めたし、励ました。
そこまで真剣に住民を助けるべく、一人でも多くを救うために奮闘した彼女が、それでも力及ばなかったと心を痛めているその様子に、彼女の持つ気高さを見たから。
自慢の仲間だと心底から誇らしい。
この気持ちが少しでも伝わってほしい。
俯く彼女がまた前を向けるように――そして。
「主様の言う通りだの。後悔はするべくしてするものだが、それに足を取られるなど愚かよな。悔やむのなら同じような事態が起きた際に、もっと大勢を救えるようになるべきだ。そういうことであろう?」
より気高く、強くあれるように。
ジャラザの瞳に色味が戻ったように感じられ、ナインは安心する。最低限、気落ちのほうはどうにかできたようだ。
残るは体の疲労だ。
「ちょっと休んでろよ、ジャラザ。後のことは俺たちでやっておくから」
「主様こそ休まなくていいのか? 儂を功労者などと言ったが、マネスを倒した数で言えば――それで被害に遭わなかった諸々を思えば、一番の功労者は主様を置いて他にはおるまい。必然、最も動き回って体を酷使しておるのも主様だ」
「俺は元から眠らなくたって平気だからな。それに体力だって普通じゃない。気の持ち方次第でいくらでも動けるんだから、こういう時にこそこの体質を活かさねーとな」
「ふ……根っからの善人とは主様のことを言うのであろうな」
「お前だって俺と同じようなもんじゃないか」
「それは主様の影響だ。よく言うであろう? 『ペットは飼い主に似る』とな」
「……こっちにもそういう文言はあるのか」
異世界間共通のペット論にナインは驚くやら感心するやらであったが、とにかく雑談ができる程度にジャラザが復調したのが分かった。礼拝堂に隣接されたホールにはアマチュア治癒術師が毛布を敷いて休んでいるので、そこに彼女も連れていきとりあえずとばかりに寝かせる。外の騒がしさと彼女自身の気の昂ぶりもあって精々仮眠程度にしかならないだろうが、短時間でも睡眠を取るのと取らないのとでは大違いだ。特にジャラザは天然元気印のクータやエネルギー消費の激しい戦闘でもこなさない限りは理論上いくらでも活動できると豪語するクレイドールとは違って、繊細な面が多々ある。
使い手も体力を消耗する治癒術を夜間中使い続けたことは相当な無茶であったはずだが、おそらく彼女はそれを気力で乗り切ったのだろう。
つくづく尊敬できる奴だ、とナインが自称ペットの一人に対して頭が下がる思いでホールを後にすると。
「ナイン、ここにいたか。少し相談があるがいいか?」
「トゥームさん。どうかしたんですか?」
「地下の水道に逃げ込ませた子供たちを探そうとしているんだが……子供たちは悪魔がもういないということを知らずに、ずっと隠れ続けているんだ」
のきなみ図体が大きく、空を行ける個体が多かったマネスは地下にはとんと目を向けていなかったらしい――それにいち早く気付いた聡い一部の大人は自分たちで悪魔を引き付けて、子供らを下水道へと逃がしたとのことだ。そのことから無事でいることはほぼ間違いないのだが、隠れた彼らを見つけ出すのが大変なのはこちらも同じということで。
「それは心配ですね……そんなところに長時間もいたら心細いでしょう。子供だけなら尚更だ」
「ああ、一刻も早く見つけて保護してやりたいところだが……なにぶん小さな街とはいえ全域に張り巡らされている下水道だ。通路状だが全体の広さはかなりのもので普通にやったんじゃ捜索に時間がかかり過ぎる。君たちの中に、人探しができる子はいないだろうか?」
「あーっと……そういうことなら力になれそうです」
探知系の術の心得がある者が市内のあちこちへ出払っているとのことなので――以前リュウシィに聞いたがそういった術を使いこなす探知・感知タイプの人間は稀有であるらしい――ナインは仲間の力を貸し出すことにした。
クータは温度感知で人の体温を壁越しにも感じ取れるし、クレイドールにも各種センサーが備わっている。闇雲に探索するよりは彼女たちの同行があったほうが子供らを見つけやすいだろう。
今呼びますんで、と人の行きかう隙間を抜けて教会を出るナイン。その背中を追いながらどうやって連絡を取ろうとしているのかトゥームが不思議に思ったところ、ナインはすうっと息を吸い込んで――
ぴぃい~っ、と見事な指笛を吹く。
その音色は高らかにオルゴンの空に昇っていった。
「しまった、思ったよりうるさかったな……寝てる人を起こしたくはないんだが」
「い、今のは?」
「合図ですよ」
なんの、と聞く間もなく答えは示される――すぐ傍からばさりと翼のはためく音が聞こえたのだ。
「っ――と、クータ君か……」
昨晩の長い戦いから、羽ばたきが聞こえる=悪魔が接近していると体に根付いてしまったトゥームは咄嗟に戦闘態勢を取りかけたが、それがマネスなどではなく一人の少女――真っ赤な髪と同じく真っ赤な翼を持つのが特徴的な、チーム『ナインズ』が一員のクータであることに気付き緊張を解く。
「クータ、哨戒はもういいからトゥームさんについていってくれ。トゥームさん、こいつの能力は子供を探すのに向いてますから、どうぞ役立ててやってください」
「ああ、分かった。君もいいかな、クータ君?」
「了解! クータにできることはなんでも手伝うよ!」
「それは心強い。早速来てくれるか。詳しくは道中に説明する」
「あ、ちょっと待ってください。クータ、クレイドールがどこにいるか知ってるか? さっきまで炊き出しを猛スピードで作ってたのは見たんだけど、いつの間にかいなくなっててな」
「さっき会ったよー。南口のところがとーかいが激しいから、片づけにお呼ばれされて手伝いにいくって言ってた」
「なるほど……そいつはちょっと呼び戻せないな。すみませんトゥームさん」
「いや、いいんだ。クータ君だけでも十分な戦力だとも」
二人が足早に去っていくのを見送ったナインは、クレイドールのように撤去班に回るかそれとも一度防衛班(マネスの第二陣や他の魔物の便乗襲撃に備えている。クータも空を飛んでその警戒に当たっていた)のもとへ向かって話を聞きに行くべきか――どちらも怪物少女としての力を遺憾なく発揮できる現場であるからこそ少し迷ったところで、背後から声がかかった。
「ナインさん、少々お手伝いを願えますでしょうか?」
「わっと、シスター……ああいえ、ちょいと考え事をしてたもんですから。それで、何かあったんですか」
「相談所で利用者様同士での諍いが起きてしまって。良ければ一緒に来ていただきたいのです」
「あー……」
場所が適しているということで、治安維持局や市役所の職員らが協力して設置した教会広場の『相談所』は一般市民からの苦情陳情をその中身の大小を問わずに受け付けている――実際に相談へ力になれるかどうかはともかく、住人たちからの生の声で情報を収集することも兼ねて開かれているそこには先ほどから多くの利用者が訪れている。
しかし相談所を利用するということは皆何かしら自分たちの手には余る困りごとがある人たちということで、中には盛大に苛ついている者も少なくない。不満を自分で消化できるのならいいが何かと気がささくれ立つ現状ではなかなかそうもいかず、またそういった者同士が顔を合わせやすい相談所は即ち喧嘩にも発展しやすい場所ということにもなり――そして腕に覚えのある戦士はどこの所属にもかかわらず街の至る所でその力を振るっているこの時間、ここにはそういった争い事を収められる人材が極端に少なくなっている。
それこそ、慌てたシスターではナインくらいしか頼りを見つけられないくらいに。
「わかりました、俺が行きます。ちょっと手荒にもなるかもしれないのでシスターも同行してくれると助かるんですが……」
「ありがとうございます、ナインさん。勿論私もご一緒します」
「よかった、それじゃ向かいましょうか」
たとえ力ずくでの説得になっても、シスターがいてくれたらその後にもまた言葉によって当事者たちの気を鎮めることもできるだろう。頷いたナインは相談所へと足を向ける。
(まずは要のここを整えるのが先決か……炊き出しを配るのも地味に肉体労働だし俺が大鍋ごと引き受けるかな)
街にいる全員にやるべきことがある。中でも一般人とは呼べないナインのような存在には数多く。
それを自覚している彼女は急ぎ足で広場を横切っていく――その忙しない後ろ姿を、昨夜彼女に助け出された大勢のうちの一人である幼い少女、レミがじっと見つめていた。




