171 オルゴン襲撃事件:中級悪魔vs怪物少女
誤字報告の反映が遅くてすみませんです
見かけたマネスを葬り去っていくナインはもはや自分の担当区域などお構いなしに街を駆け巡っていた――下手にエリアに固執するよりも目に付く悪魔を片っ端から抹殺するほうが効率的だと考えたのだ。
見敵必殺を文字通りに実行しているナインはその手の速さ、足の速さと相まってそちらのほうが多くの敵を殺し、結果として多くの市民を救うことに繋がるのは間違いのないことであった。
とはいえ三つの通りを横切ってもマネスが見つからなかったことからナインがさすがに区分を外れ過ぎたかと引き返そうとしたとき、頭上から声がかかった。
「マスター? なぜお飛びになられないのでしょうか」
「クレイドール! ここはお前の担当だったか」
たん、と勢いに似つかわしくない軽い動作で足を止めた少女は空を飛ぶ仲間の一人へと目を向けた。
「俺の場合は飛ぶよりも走ったほうが速いからな。最高速度はそこまで変わらないんだが、飛んじゃうと小回りが利かなくなるんだよ」
ナインとて上空から街を見下ろしてマネスを発見する利便性を理解していないわけではないのだが、遠距離攻撃の手段を持たぬ彼女の場合は一体見つけるたびに降りて殺して上がって見つけて降りて、という上下運動を繰り返すことになってしまう。なまじ一撃で敵を殺しきれるパワーだけはあるので余計にジグザグ軌道の手間に気を取られる――そもそも飛ばずとも目を向ければそこら中にマネスがいた先ほどまでの惨状からして、そんなことをする必要性も感じられなかったというのもあるが。
しかしこうして屋根の上を駆けるだけではマネスを目視するのが困難になった現状、移動時間のロスを差し引いてでも飛んで巡回すべきかとナインが考えを巡らせたところ、クレイドールはそれを止めた。
「ノン、マスター。状況は大きく変化しています。マネスを見つけられなくなったのは単に数が減ったからというだけでなく、彼らが散らばらずに同じ場所へ集まろうとしているせいです」
ナインから指示された方角の敵をマルチロックミサイルの多用によって粗方爆殺させた彼女は、自分より多くの数を相手にしているクータを援護しようとして――それを断られた。
一人でも充分に片付くのだから手の足りないところへ行ってくれ。
クータは火炎を猛らせながらそういった旨の台詞を叫び、飛行するマネスの群れへ突っ込んでいった。
その言に一理どころか十理あると判じたクレイドールは言われた通りに他の冒険者の助けに行った。
協力してマネスを屠り、同時に救助者を探していた彼女はやがてマネスが別の動きをするようになったことに気が付く。
ただ一辺倒に市民を殺戮していた今までとは違ってどこかを目指すようになった――明らかな目的意識が生まれている。すぐに戦闘が収まりを見せ、そのこと自体は避難民の誘導に時間を充てられるために歓迎すべきなのだが、どうにも不可解に思ったクレイドールはスラスターを吹かして空高く舞い上がった。
そして目にしたのは、生き残りのマネスたちが揃いも揃ってただひとつの場所……避難民と怪我人で溢れかえる中央教会へ向けて歩を進めている光景。マネスの大半は翼を持っており空を飛べるため、移動が速い。というより気付くのに遅れてしまったと言うべきか。目の前の敵を相手しないことには市民が命を落としてしまっていただろう――だからクレイドールに非はないはずなのだが、彼女は後悔せずにはいられなかった。
必要最低限に場を落ち着けたのち、ジャラザや教会を守る冒険者たちの救援に向かおうとしたところ、こちらへ向かってくるナインを見つけたのだ。教会とは反対方向に進もうとしている彼女を見かねて降下したクレイドールは、何故か空を行かない彼女に先の質問をぶつけたのだ。
この選択は結果的に大正解だったと言えるだろう。マネスがどこを狙っているかなど全く考えもしていなかったナインはここで初めて中央教会のピンチを知った。そして今、このオルゴンという小都市において彼女以上の戦力はいないのだ。
「先に行く! クータと一緒に後から来い!」
了解しました、とクレイドールが返事をする前にナインの姿は見えなくなっていた。
クレイドールのハイパーセンサーをもってしても、ナインの本気の急加速の前には何も映してくれないのだ。
◇◇◇
地面を叩き砕くような勢いで教会前の混戦場、その中心地に降り立ったナインは素早く状況を確認した。しかし確認するまでもなかったかもしれない――マネス、マネス、マネス、マネス、マネスマネスマネスマネスマネスマネスマネスマネスマネスマネスマネスマネス。クレイドールの推察通りに街中にいたマネスは今、この場にだけその数を集中させているようだった。
マネスも、そして戦っている冒険者を中心とした人間の集団も、一様にナインを見て硬直している。一番初めに動き出したのは最もナインの近くにいた一体のマネスだった。まるで本能に押されるような挙動でのそりとナインへ手を伸ばし――逆にその腕を掴まれ、捻り上げられた。そのまま肘から呆気なく捩じり切られたそれをゴミを捨てるように放り飛ばしながら、ナインはそのマネスの顔面へ直に膝蹴りを叩き込んだ。
ばふぉっ、とどこか気の抜ける衝撃音とともにマネスの首から上が消し飛ぶ。
「――はっ。た、戦え皆! あの子に続け!」
ナインがマネスを倒したのを契機に、動きを止めていた両陣営が再び爪と刃を交え合った。トゥームは仲間の死に触発されたように勢いを増したマネスたちを押し戻すべく号令をかけ、戦闘員を奮起させる。
パーティメンバーと連携して近場のマネスを相手取る彼は、新代の武闘王として名高い少女へエディの救出を頼みたかった――しかしそれはできない。
自らの戦いで精一杯だったこと。
間違いなくこの場における切り札的存在であるナインへ自分本位な指示を出すことへの躊躇。
いかに彼女と言えどもあの巨体マネスと単独で向き合うのは無謀だという予想。
そういった様々な理由から頼みを声に出せなかった彼だが、けれど一番の理由は別にあった。
それは彼が助けを求めるべきか逡巡するその僅かな間に、重傷を負っている者を助けるべく少女が既に動き出していたから。
要するにナインは、何を言われるでもなくエディのもとへ――その傍らに立つ一際巨大なマネスへと立ち向かうことを選んでいたのだ。
「こっちを見やがれえええっ!」
一時はナインの登場へ他の悪魔ともども目を向けていた巨体マネスだが、すぐにそちらへ興味を失ったように――あるいは自身の獲物への興味を思い出したかのように、血を流すエディへその視線を戻していた。何度か中断させられたこの人間へのトドメこそが今の彼の最優先事項。そして痛みと恐怖で彩られた魂と肉体を食らうことで彼はよりその力を強めることだろう。
しかし、またしてもそれを邪魔するように声を張り上げながら小さな人間がやってきた。閃光が如き速さで接近する彼女を――他のマネスなら碌に視認もできずにやられただろうが――中級悪魔とでも称すべき存在となったそのマネスはしかとその視界に捉え、そして腕を振るった。
ごがっ、と鈍く重い音が鳴ってナインが軌道を変える。殴り飛ばされたのだ。弾かれた少女が吹っ飛ぶその途中から、ようやく何が起きたかを察したトゥームは遠巻きに宙を舞うナインを眺めて顔を青くした。
が、すぐにその目をしばたかせる。
あの巨体マネスに殴られておきながら何事もなかったかのように着地したナインは、その手にあるものを持っていた。
それはたった今自分を殴りつけた悪魔の、片翼。
したたかに殴られながらもナインは吹き飛び際、敵の翼をむしっていたのだ。
大の冒険者を一撃で昏睡状態に陥らせる悪魔の膂力をぶつけられても無事で、そのうえで敵の部位をむしり取る人間離れした握力――もはやトゥームにはまったくもって理解が及ばなかった。
及ばないが、しかし。
「お前、なんか他と違うよな。万が一でも逃げられたら面倒そうなんでこいつは奪らせてもらったぜ……別に構わねーよな? だってこれから死ぬんだ。羽なんてあってもなくても一緒だろ?」
凄絶な笑みを浮かべながら、身の丈で五回りは上回っていようかという悪魔を相手にそんなことを宣えるナインが、正しく武闘王と讃えられるだけの少女であることはどうにか認識した。
この時点でトゥームは彼女とエディを心配することを止めた。
そして自身の戦闘にだけ集中しようとして――しかしそれもできなかった。
何故なら次の瞬間には、ナインと巨体マネスの戦いに決着がついていたからだ。
それは時間にしてたった一秒程度のこと。しかし当事者たちにはその数倍から数十倍はあろうかと感じられるほどの濃密なやり取りで持ってその戦いはハイライトを迎えたのだ。
先手はマネス側。
少女を他の有象無象とは少々異なる敵であると認識したマネスは、中級悪魔としての異能を存分に発揮させることを選択する。
そこで彼はまず腕を分裂させ、片側数十本という数にまで増殖させた。その一本一本の先に恐竜の牙を思わせるような鋭く巨大な爪を置き、そしてそれらをまとめて、腕というよりも触手か鞭かといった具合に大きくしならせた。やがて必然的に起こるしなりの反動がどこを目指すかなど言うまでもない――その恐るべき鞭撃は全てナインただ一人へと収束していく。
亜音速で迫る爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪爪――ナインはそこへ身を躍り出した。
怯まず、竦まず、顧みず。
暴力の権化としか言いようがない巨体マネスの鮮烈なまでの攻撃に、少女は策を弄することもせず。
ただ単純に。
それ以上の暴力によって対抗することを選ぶ。
だん!
跳躍する音は軽やかさと重さを兼ね備えたもの。自ら望んで爪の雨を浴びるように跳び出したナイン。
それを視認したマネスは、その次の瞬間には自身の腕が――総数にして百を超える左右の鞭が丸ごと引き千切られたことに驚愕し。
それを為した当人が既に眼前に迫っていることに再度驚愕し。
度し難いほどの速度で拳が振るわれるのをしかとその目に焼き付け――そして。
表現しきれない圧倒的なまでの衝撃をその身に受けた。
千切り取られ放り捨てられた触手たちがまるで血しぶきのように舞い散る中で――中級悪魔はその命まで呆気なく散らした。
向かい合うこと、僅か一秒。その短くも激しい戦闘の仔細を目にすることができた者は残念ながらこの場には一人もいなかったが、崩れゆく巨体マネスが少女に敗北したことだけは誰の目にも明らかだった。
その強さから悪魔たちの中核ともなっていた強敵。
彼の死を知った戦場の一部の者たちは大いに士気を上げた。
「ようし……もうひと踏ん張りってところか」
最も厄介そうな一体を無事に倒したナインは、勢いを増している冒険者たちの戦いにすぐさま加勢をして、それからしばらく。
あれだけうじゃうじゃと街中に溢れていたマネスがやがてその姿を完全に消すのに、そう大した時間はかからなかった。